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戦前そして戦後の日本を顧みると、国家社会の指導層いわゆるエリートの無能と無責任が否応なく目に付く。
先の大戦が最たるものだが、近いところで言えばプラザ合意後のバブル形成であり、卑近な例を挙げるとオリンピックエンブレム問題である。
いわゆるエリートがダメなところは、他者より優れているというエリート意識に支えられて、自身の判断ミスや対応力欠如に対し平然と居直ってしまうことである。
このような恐るべき自己保身態度は、自分や自分の仲間は一般人より優れているのだから、自分たちが失敗したとしても、他者は自分に匹敵するほどの判断や対応さえできないのだから、責任をとる必要なぞまったくないと勝手に思い込んでしまうことで支えられている。
(エリート層のそういう態度を一般国民の多くが容認してしまうところもイタいのだが...)
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[ほんの小径]鶴見俊輔「悪人」の思想 エリートの弱さ見据え
7月に93歳で亡くなった哲学者の鶴見俊輔氏の発言で忘れられないのは「『自分は悪人だ』と思ってきた」という言葉である。84歳のとき取材に応えた揺るぎない口調に、「リベラルな行動派知識人」という先入観は吹き飛び、記者は相づちも打てずに、聞き入るしかなかった。
外務大臣、東京市長などを歴任した後藤新平の娘だった母親から度重なる折檻(せっかん)を受け、それに対する反発から、学校をさぼり不良となった。鶴見の「悪人」「不良」という言葉は、その痛切な体験に裏打ちされている。ただ、この発言が、成人後の、権力に対峙する思想と、どうつながるのか、明瞭には分からなかった。名士の娘である母や、衆院議員だった父、祐輔に対する精神的な反逆というだけでは、幼すぎる。
雑誌「現代思想」(青土社)10月臨時増刊号の総特集「鶴見俊輔」所収の追悼文や評論に、その疑問を解く手がかりがあった。社会学者の酒井隆史氏は、鶴見の生涯にわたる「優等生」批判と「不良」の自称について「そのふるまい自体が、日本社会の構造の核心を露呈させる実践である」と見る。その「社会の構造」とは、東大卒に代表される優等生が組織を支える慣行だろう。「つねに優等生であり一番でありたいからこそ、人は国家に奉仕すべく転向をする」。秩序維持のためならばリベラルだったエリートも翼賛体制にやすやすとくみしてしまうのである。鶴見は、「悪」「不良」と称することで、思想の根を持たないエリート支配の危うさをあぶり出そうとした。酒井氏の指摘はそう読める。
「目の前の社会情勢を見て、理想の社会に作り替えよう、と考えるのは政治的優等生や革命家だが、不良少年はそんなことは考えない」と作家の吉岡忍氏は追悼文に書く。世の中の下へ下へと降りていき、庶民が、暮らしと歴史の中で培ってきたまっとうさにつながるのが、鶴見の姿勢だという。庶民の知恵に目を見張る姿勢は、戦後大衆文化論の先駆をなした。上向きだけのエリート社会の弱さを見つめ続けた人だった。
(編集委員 宮川匡司)
[日経新聞10月4日朝刊P.]
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