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著者と海野少年は不良だったが勉強ができる方で札幌近郊の有数の進学校に在籍していた。著者より10倍も複雑な家庭環境と赤貧のゆえ、海野少年は退学する。やがてすすき野のヤクザになり数人の部下を持った頃、ふと著者の居託を訪ね窓から忍んで一夜を明かした朝の風景である。
チョッパリとは朝鮮人が日本人を蔑んで使う言葉。海野少年は朝鮮人と日本人の混血だった。
(引用)
母親が運んできた朝食は、どこにそんな食材が隠されていたのか…立派な食事であった。
私たちがそれを食しているあいだ、交わす言葉は一つもなかった。食べ終わるや、彼はさっと玄関の上り框(かまち)に出て、居間に向かって「ありがとうございました」と声をかけた。そして私の両親がそこに並んで顔を出すや、それ以上は不可能なまでに身を平らにして、
御馳走さまでした。
それは叫びにも似た声であった。上半身裸でひれ伏すその一種壮絶な姿を見て、私の母親は思わず嗚咽し、父親のほうはさすがに顔をゆがめて感情を押し殺していた。彼は5秒間ばかりその姿勢でいたあと、またさっと起き上がり、玄関の戸もさっと開け、逃げるようにしていなくなった。
私の脳裏に焼きつき、忘れようとて忘れられない光景は、その一瞬の梅野の姿なのである。あの言葉はまことに声をふり絞る者の叫びであった。たった一晩の宿泊と一食の給仕にたいして…。
【出典】「友情〜ある半チョッパリとの45年」西部邁/新潮社‘05年
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