http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/226.html
Tweet |
良くしたり顔で学ぶの語源は真似ぶからなので、しっかりと学ぶためにまず真似をしましょうと仰る人がいます。
本当にそうなのか気になったというか違和感もあったので、少し調べてみました。
まず、「まなぶ」と「まねぶ」は文献上同時期に存在しており、どちらが先に生じた言葉かの前後関係は明確になってないそうです。
そうするとそもそも前後関係があるのかも問い直すべきだと思いますが、一旦前後関係、少なくとも関係があるという前提で進めます。
よく聞く「真似ぶ」語源説の場合「真に似せる」の意味になり、「学ぶ」から「真似ぶ」が生じた場合は「誠に習う」が元となっている可能性が高いそうです。
この2つだけを見比べると感じとしては「真に似せる」→「真似ぶ」説では「にせる」が「ねる」に変わったことになるので音として違和感を覚えます(ただし、「ま」と「ね」という元の大和言葉の意味を検証しなければ違和感自体勘違いの可能性が残ります)。
この違和感を手掛かりとするのなら、「誠に習う(まことにならう)」から「学ぶ(まなぶ)」は音としての違和感はありません。
では仮に「誠に習う」→「学ぶ」→「真似ぶ」だとして、「誠に習う」の「誠」は何を指すのでしょうか?「誠に習う」とはどういう意味になるのでしょうか?
「誠」なる存在(ギリシャ哲学的な意味での「イデア」?)を想定し、そのことを指しているのか(目的語として捉える)。それとも「誠」を誠意と解して正しく、あるいは誠実にならうの意味なのか(形容詞として捉える)。
またもしかしたら、上の2つの意味を両方とも兼ね備えていた可能性もあります。つまり、学ぶとは習う行いであり、かつその行いの中から何がしかを発掘・探求することでもあると(個人的な「学ぶ」行為の経験からすればこれが一番近いような気もします)。
しかし、そうだとすると「まなぶ」から「まねぶ」が分化されていった理由がわかりません(学ぶ→真似ぶ前提の場合)。
これは残っている文献の実用例から判断するしかないのかもしれません。
何れにしも何も考えずにしたり顔で「学ぶ」にはまずは「真似る」こと!とか偉そうに言っている人が嫌い(笑)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 雑談・Story41掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。