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「悲哀のドラマは終了」と云う事である。
ある日の晩(時刻までは記憶に定かでないが)、
両耳の中で、「ぎゅん」と云う大きな唸りを一瞬感じた。
このことは、二十代後半の晩(日付も定かでないが)、
二階で寝ている私の耳元で、突如、
とてつもない音量の唸り音が頭の中に轟いた、あの時の事を思い出させた。
その頃寝ていた部屋の、頭の向いていた方角には窓が在り、
窓の外は赤いパトライトのような煩い光で真っ赤に染まっていた。
そうした時は決まって、ぼーっとしたまま、「まあいいか」と、
気楽な気持ちになってすぐに寝入ってしまうのが当時の私だった。
すぐそばで消防車かパトカーが止まることがあれば、
気付かない者が居無いくらいの田舎であったが、周囲に訊ねても、
私の他には誰も何も目にも耳にも感知していない。
20代の私はそうした事は日常茶飯事だった。
不思議なことが起きるのが当たり前だった。
つい最近になって、もしかするとあれは、
911の起きる丁度一年前の事だったのではなかったかと思い起こしたのだが、
合って居るかどうかなど、もはやどうでもいい。
今年になってから、それにつぐ大きな唸り音を時折、感知するようになった。
そして今回起きたのは、2015/3/3の事である。
左右の耳を通じて脳に知覚していた音(所謂、「頭鳴り」)が、
ひっくり返った(と云う形容が相応しい)ような衝撃を伴ってあった為、
何らかの強いメッセージ性が在るように思うのも無理は無い。
そこで、何かしらの「反転」が起きたサインではないかと考えた。
耳の鼓膜がまるで左右入れ替わったかのようにすら感じたからだ。
日付の3/3も相まって、私はその事を
段階的な融合イベントのはじまりと認識している。
変革とは、意識が先ず変わり、その事で世界が変わり始めるのだと云う事が、
なんとなくであっても、人々は少しは理解しはじめているのではないだろうか。
私は20歳前後の頃からその事を待ちこがれていた。
その時知っていた情報が、今まさに現実のものとして活動し始めているように思う。
それぞれ始まりの合図を受けて、その為にと動く者も当然多く現れる事だろう。
私もその為に出来るだけ言葉を尽くしたいと考えている。
知りたい事は、誰かが与えてくれるものなのではなく、
それぞれが自分の力を使い、理解する事なのである。
そしてその気付きのタイミングはそれぞれにやってくる。
そうこうして居るうちに、私にもイベントの一つがやってきてしまった。
その直後からまたもや、インフルエンザのような状態が続き、
今回は予想に反して長く、5/15迄二週間ほど、
咳き込みが止まらず、頭と声の調子が戻らなかった。
現在は、良好な状態を迎え、新たな事の始まりの兆しが現れ始めて居り、
私としても新たな幕開けの待機中である。
それぞれのイベントとして起きた事象をどう捉えるかはそれぞれだが、
一つの事象に則し、それをニュートラルな自然現象として捉えきれないのなら、
無理にそうする必要は無い。
だが、もし、ネガティヴに物事として捉える考えから離れられないなら、
何故、そのように自分で自分に苦しみを与えているのかを問い糺してみて欲しい。
全ては自分の捉え方次第なのである。
その事を厖大な文字数とはなるが、細かく刻んで、小出しに書き記していきたいと思う。
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