http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/189.html
Tweet |
審議前にある法改正についての私の意見を述べて置きたいと思います。
私たちが望む平和とは、人道的な取り組みによって生まれるものであり、
それは、平和的解決に依ってしか齎されません。
強大な力、即ち、他を圧迫する力で齎される平和など、
誰が望むものでしょうか。
より抗えない程の強い力で、人の精神性の全てを屈服させようというのです。
それは、尚も緊張状態を維持し、更なる悪化を生むことにしかなりません。
そしてまた、彼らの言う安全や安心と云うものはここでも、
「維持出来る迄の間、維持する」と云うことでしかありません。
我々を代表すると云う者の口をつく言葉からは、いつも同じ内容が繰り返されます。
「我々の求める知恵とは、常に強大な権力としての力を意味するものである」
私には、そう公言しているように聞こえます。
果たして、我々が持つ知恵とは、他を圧する力であるべきなのでしょうか。
そしてまた、彼らの言い分として囁く、積極的な平和貢献の為の活動支援とは、
"近隣で起きた火事の火消しの手伝いに行く"こととは訳が違います。
火を起こし、火を放ち、野辺を焼きつくし、人を燃やす人間を同様の、
「より火力の強い火」を持って、その精神性のすべてをも根絶する。
その手伝いにいくのです。
そうすることで平和で安全な世界を実現しようと云うのです。
そんな事はこれ迄も、同様の事が繰り返し行なわれてきました。
火を放ち、街や人を焼き付くし、同様の"火によって人を消す"。
それが彼ら「双方」の言う世界樹立の為の平和維持活動であり、
延々と世界中に誰も望まない対立の種火を起こし続けるのです。
全てのものの心を癒す"力技"ではない知恵、
人々の心の中に持つ種火を消火する手だてはないのでしょうか。
そこに、我々の本当の存在性としての知恵が試されていると感じます。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 雑談・Story41掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。