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[中外時評]「日本スゴイ」で大丈夫? 自己陶酔なら歴史も歪む 論説副委員長 大島三緒
ちまたに「日本ってすごい」の称賛があふれている。
和食やアニメ、漫画、それに宅配便やコンビニといったサービスの数々、新幹線から炊飯器までのハイテクぶり、小学生がひとりで買い物に行ける治安の良さや街並みの清潔さ、あれもこれもすごいという。
テレビのバラエティー番組などで頻繁にやっている「日本褒め」である。ネット空間でも盛んで、最近は関連本も多い。目立つのは外国人に褒めてもらうパターン。世界が「スゴイ」と認めている、というわけだ。
昨年末に出たムック「JAPAN CLASS それはオンリーインジャパン」は10万部を超すヒットとなった。
ネット上のブログなどを再編集したこの本は、外国人の目を通した「日本スゴイ」のオンパレードだ。「売れて売れて。まさかこんなに売れるとは思わなかった。驚きです」と版元の東邦出版。大反響を受けて、続編を定期的に出すという。
ちょっと前まで「ここがヘンだよ日本人」などという番組が人気だったのに、世の中もずいぶん変わったものだ。戦後70年、社会の閉塞感の裏返しか、自信回復の表れか。排外主義や偏狭なナショナリズムに通じるとすればちょっと危うい。
長い歴史のなかでは、こうした現象はどう位置づけられるのだろう。「たとえば中世の朝鮮王朝の人々とのつきあい方を見ても、上から目線の一方で、文化への敬意を示す事例もある。それが共存するし、容易に反転もする」と東島誠・聖学院大学教授は指摘する。
なるほど極端から極端に振れたり、自慰と自虐が同居したりする日本的心性の一端が昨今の「日本スゴイ」なのかもしれない。ただしそれも、いまの日本への自画自賛だけならまだいい。問題は、さきの戦争をめぐる「過去褒め」だろう。
いわく「アジアの国々はあの戦争によって独立を果たしたり、そのきっかけをつかんだりした」「欧米の植民地支配から解放してくれた日本軍進攻を現地の人々は歓迎した」「日本統治時代の教育を懐かしがる老人があちこちにいる」。こんな言説が目立つようになった。
たしかに歴史は多面的だ。「大東亜を米英の桎梏(しっこく)より解放」するとうたった大東亜共同宣言(1943年)なども、まったくの虚構とは言い切れない。占領地での軍政がインフラ整備を進めた面もあるし、現地住民と心を通わせた将兵も多かっただろう。
しかし過去を直視すれば、それは日本にとって都合のよい部分にすぎないことがわかる。日本軍の南方作戦の大きな狙いは資源獲得だった。しかも占領地では人々にさまざまな「日本」を押しつけた。軍政が比較的うまくいったとされるインドネシアでも、おびただしい数の「ロームシャ」が徴発された。
そんな事実に目をつむり、一面的な歴史観にとらわれてはなるまい。自己陶酔で過去を歪(ゆが)めてはなるまい。
こういう思考から脱却するためには、さて、どうしたらいいのか。東島教授に聞くと、まず歴史をきちんと学ぶこと、そして「江湖(ごうこ)の思想」がヒントになるという。
江湖というのは、かつて中国で禅僧が江西、湖南の師匠のあいだを往来した故事にちなむ言葉だ。日本でも歴史上、じつは「江湖」をキーワードに開かれた世界に目を向ける動きが幾度かあり、とりわけ明治期には中江兆民などが江湖放浪人と呼ばれて注目された。
さしずめ現代なら留学でもいいし、バックパッカーの旅だっていいだろう。「外の世界をよく見れば、そこに日本への自画自賛とは違う見方があるのがわかる。自分を縛っているものからも自由にもなれるはずだ」と東島教授は説く。
いま中国や韓国、インドなどから外へ飛びだす留学生は激増し、日本人の存在感は低下する一方だ。アジア全体で旅行熱も高まっている。「日本スゴイ」と褒められていい気持ちになっているうちに、世界が大きく変わっていきはしないか。
「日本人の偉さの研究」。満州事変の起きた1931年に、中山忠直という人が書いた珍本がある。日本人の科学的才能は世界一だ、日本人は米を食べているから粘り強い、気候が刺激的だから日本人は利口にならざるを得ない――。気恥ずかしくなる自己愛だが、笑ってばかりもいられない。
[日経新聞4月5日朝刊P.10]
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