http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/157.html
Tweet |
自分を信じるという事とは
自分を演じると云う事である
あなたは他人を見て、あなたもまたそうなりたいと云う憧れを強くする
だがあなたは他人をそのまま演じられはしない
その事と同様に、他人もまたあなたをそのまま演じられる訳でもなく
また、そうなる義務も必要もない
誰もが他人の信じる事を信じ、実行しなければならないと考える
誰もが信じる神をもまた味方に付けねばならないと考える
だが、それは謂わば、あなたを演じる為に必要とする必須事項なのではない
あなたが信じるものとは、あなた自身の望みである
それは罰則の怖れを伴った、誰もが信じる神や規則に縛られる事ではない筈だ
あなたの願う事が、特定の限定されたものだけに善であると云うのは
これは善と言えようか
誰にとっても善で在ると云うことが真の善性である、人の目指す究極である
それに対し、大義の為には他人を傷つけても仕方が無いと考えるのは
迷いであり、奢りである
故にかつて言葉にされた大義とは、
曖昧で、大衆的かつ無責任な依頼心の温床となりうるものであった
そこには誰もに納得せしうる理想や、善性など皆無だ
大衆的に過ぎれば、恣意的に押し流されて、口にする信条も機械的となる
そしてやがて暴発して、強制執行の力となり果て、自己欺瞞を顕現するようになる
自分を信じた状態とは、する必要の無い義務的な制約から解放された状態である
心のどこを探しても、依頼心はなく、自信しか見当たらないという心的状態の事である
博愛の精神とは自然と生じるものである
善性とは目指すべきものなのではなく、自然な行動に単に現れるに過ぎない
人の世に怖れを感じるのなら、あなたはまだ誰もが信じるとした神の博愛のもと
その愛の鎖で他人だけでなく、自らをも縛ろうとしているのである
敵などいない
格別、味方などもいらない
敵が居ると信じ、適役を演じさせる人間を作っているのである
味方が必要だと信じて、自分を頼りないものと看做して居るのである
その事に気付く時代が今、ようやく訪れたのである
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 雑談・Story41掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。