29. 2014年11月24日 05:35:41
: UGRE39kcRc
うちのとうちゃんね。抑、育てられたという程の記憶がない。 子供の頃家で会った記憶も数える程。 大体、言葉が通じなかったし。 ただ、小卒(普通の田舎の公立小)した途端 ほぼ準備抜きで英語全く話せなかった和紙を、 ライオンの子育てよろしく、 英語圏の殆んど関わったこともない親戚の家に、 かあちゃんの懇願も無視していきなり突き落としたw それこそ、言語&文化ワカメだよww 研究職の親父は、結構なの金持ちではあったらしい。 一説によると、70年代半ば、日本の長者番付1位だったことも あったとか。でも、和紙にはまるでその実感がない。 車の免許も返上(これも一説によれば、売った車が巡り巡って、 当時おかんの友人だった力道山の所有車になってたとかw)し、 私有財産は邪魔だとばかり一切持たず。 親父、まるでフーテン暮らしだった(今でも基本は変わらず。 後妻さんの苦労がなければ、かなりみすぼらしいw)。 全部仕事につぎこんでたと。 和紙のおかん(無論正妻)も、ほぼビタ一文貰えず。 女でも、自分で努力して稼げ、と。ただ、おかんが自ら出世する為の 教育や道筋だけは、つけてくれたそうだ。 子供にも興味ないから、本人が(つまり和紙個人が)なんか本気で望まん 限り、教育資金も渡さなければ、受験や進学にも興味なし。 腹違いの兄貴(後に和紙と海外での同居人兼保護者になった)も、 ほぼそんな扱いだったらしい。 結局浮気騒動とか、文化思想レベルの行き違いもあって、小学校卒業時 には離婚が決定してたけど、その前提でおかんが慰謝料として受け取ったのは、 前から住みたいと目を付けてた、田舎の一軒家(古民家)と、 当時売れる宛のなかった山間の土地だけ。 それまで芸者置屋が大家の安アパート暮らしだったから、 庭付きでそこそこ広い、お寺所有の民家は、密集した ご近所の中では、当時はかなりの贅沢感はあったかもだけどw ま、でもさ。 結構親父の采配は、当たってたかもしれんw 結果、おかんは往生際にも、おとんとの結婚後悔してないって 言って微笑んでたし。おとんもちゃんと葬儀に来て、丁寧に 弔ってくれたし。 それ以前に、和紙自身、おとんによって異国に 突き落とされてからのしばしの間はともかく、 恨むこともなかった。 兄貴もそんな感じらしい。 大体、帰国してからは和紙もそれなりの英会話 交わせるようになって、つまり大人になってからは、 対等な大人同士としての対話が成立するようになってた。 時間を工面してはやりとりするようになり、子供の頃とは 比較にならないほどの対話を重ねるようになった。 それから、意見交換がお互いにとって有意義なものになっていった。 科学・技術談義、政治談義、哲学・宗教談義、地球談義、宇宙談義・・・ 今確認する元気ないけど、確か、直近の和紙のID、Zucなんとかのとき、 あんさんとこのスレでウチの親父について多少触れた記憶があるねんけど。 家の無線LANと、出張先のWifiとの兼ね合いかなんかで、帰宅後 IDが変わっちゃったりすることがあるみたいね。 なんか二人称もころころ変わりがちやけど(関東、関西弁もかなw)、 双方に跨がってるもんで、堪忍なw なんとか統一しようということで、一人称は「和紙」とw それと、ワカメもたいがいやけど、 「マダム」呼ばわり(まぁ、和紙がそれっぽいキャラ作ってつこたのが 悪いねんけどな)も、堪忍してくだはれ。
唯の、訳知りごかしたオバハンやんけw 以後、オバン、いや、qjhにも気ぃ使ことこってことで、 お姐ばんでどや?
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