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(回答先: にほんの、こころが、マトリクスをこえ、しそう、てつがくを、こえる 投稿者 おどろき 日時 2014 年 11 月 03 日 14:12:05)
>Mr.Wonder
あなたと私は、ある意味、あなたの言う「マトリクス」の中で出会っていると云う事も出来ますよね。
ただし私は「マトリクス」と言う言葉を
脱獄すべき「家畜の囲い」のように捉えることはありません。
私が指摘したいのは、その違いです。
では、私なりに、ニュートラルな感性に、
「マトリクス」と云う言葉を捉えなおして伝えてみたいと考えます。
私がもしその言葉を自身の思惑の中に取り入れるとしたなら、
そこでは「意識の創造性の場」という意味合いとして使うことでしょう。
私たちが現在、"利用して居る"ものとして。
まさにこの社会とは(ある意味あなたの使用する「マトリクス'」とは)、
そうしてそれぞれの、"自身の意に沿って表現された世界"の総体です。
先ずは、その意味であなたの伝えたい事を
私は理解しているつもりだと云う事を知らせておきます。
それは思考と思考が絡み合う場所、
そして自身の思考を客観的に"吟味する場"
(本質を外から見つめる本質そのものの目(※))、
謂わば、"自身の思考の観察の場"です。
ある者は、そこで厳格な倫理観を学ぶ必要性を感じ取るかも知れませんし、
ある者は、そうして一つの概念にのまれていく事に疑問を呈するでしょう。
そしてまたある者は、そこは自己の"意識の遊び場"としてあり、
その場の"創造性"たる自己の本質に気付き、
現在我々が概念に理解しているとする事柄の何にも属さない、
中立な立場の自分というものを見出すことでしょう。
飛躍するかも知れませんが、
この語句は、"場の本質"そのものとして使ってみる価値はあるかも知れません。
場が思考を生み、思考がまたその"場"を支えるものとなりえるのですから(※)。
つまり私にはこの言葉は、使い勝手の良いものに感じられるということです。
あなた方それぞれが、世界であり、又は神であると言うのは、
まさにこの一人一人が場として存在すると云う事を示しています。
自分の望みに意識を集中すると云う事が出来れば、
その為に必要な事が、自然とあなたの前に現れてくる筈です。
自分を信じて突き進んで欲しいと思います。
※
自身の本質を見つめるヴェシカパイシスを象る瞳が、
また本質そのものとしての場であり、その瞳の中にも同様の目玉があります。
それは延々と入れ子状に連なるようにして、
同様の「本質を見る目」とその「場そのもの」が隠れています。
卵に成体の情報が、
種に木の全体像が含まれているように。
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