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いじめを苦にした自殺者は少しも減少していない。そこで、これまでのことからいじめ常習犯の行動パターンを考え、どのように対処するべきかを考えてみた。まず、どんなにがんばっても、実際にいじめ攻撃にさらされている被害者のダメージというのは、周囲の人間にはわからないということだ。ある程度のことまでは想像することはできる。しかし、どうしてもそれには限界があり、やはり結局は他人事になってしまうのだ。また逆にあまりにも同乗しすぎていじめを苦にした自殺者と同じように自殺する人もいる。しかし、それでは問題解決にならない。問題はいじめ常習犯を除外することであり、一定の基準で罰するしかない。だがいじめの問題はどうしても曖昧に扱われ、放置されやすい。いじめというのは放置していても絶対に自然に解決するということはなく、むしろ逆にどんどんエスカレートするものだ。通常は、別の学校に転校したり、会社勤務の場合には転勤か、あるいは会社を辞めることでその場のいじめは回避できる。ただしそれはいじめ問題の解決ではなく、回避というか逃亡だ。そしていつも生き残るのはいじめの被害者ではなく、いじめ常習犯であり、いじめの加害者だ。いじめ常習犯の特徴は、常に群れていることだ。いじめ常習犯が一人で行動することはまずない。常に群れている。いつも必ず仲間がいるように見える。それは本当の友人関係ではなくいじめをするための共犯者である。いじめ常習犯は、いじめという愚かな行為を繰り返すが、けして知能が低いわけではなく、馬鹿でもない。それどころか非常に悪賢い。たいていの場合、いじめ常習犯は、学校の教師や警察に対しては低姿勢である。親にも知られないことが多い。いじめ常習犯は常に周囲をきょろきょろしていて、いじめ攻撃をする機会を狙っている。そしていじめのターゲットとなる相手を探している。いじめ常習犯はいつもいじめをしていないと気がすまないたちで、普通ではない。普通は、いじめをしないで皆と仲良くする生き方を考える。ところがいじめ常習犯はそれとは逆で、どうすればばれずにいじめができるかを考える。いじめ常習犯の家庭は不幸な状態にあることが多い。極度の貧困状態とか、片親しかいないとか、家庭での虐待、他者からの暴行や迫害がある。世の中は常に上には上があるので。いじめ常習犯も常に有利とは限らず、日頃から強者に殴られたり蹴られたりしていることが多い。不思議なのは必ずしも恵まれていない家庭だけでなく、恵まれすぎている裕福な家庭の子供でもいじめ常習犯になることがあるということだ。いじめ常習者は常に周囲をきょろきょろしていて、その場の管理責任者の動向を観察している。そしてほんのわずかな隙を狙っていじめ攻撃をする。だから、教師であろうが親であろうが、警察でも周辺住民にもまったく知られずにいじめ攻撃を実行することができる。だが、窮鼠猫を噛むという諺にあるように、いじめ被害者がたまりかねて最後の反撃に出ることがある。アメリカなどではよく、いじめの被害者が銃を乱射していじめ加害者を殺害することがある。あるいは、いじめの被害者は弱いのだが、その家族、親戚、友人などが代わりに反撃していじめ加害者を殺害する事件が起きている。日本の場合には銃規制があるし、そういう反撃は認められていないので、ほとんどの場合にはいじめ被害者の自殺で終わり、そのままうやむやに闇に葬られることが多い。警察はいじめ事件の解明などはしないし、学校関係者も体面を保つことだけが優先して何もしない。要するに日本の場合には泣き寝入りで終わる。しかし、それですべてが解決したわけではない。いじめ常習犯はなおも反省せずに生き残っているし、いかなる制裁を受けることもなく平然としている。そして次々に別のターゲットを探して、またいじめ攻撃を繰り返している。これは恐ろしい状態であり、こんなことでは、絶対に日本は発展しないだろう。なぜならば、日本を支配しているのはいじめであるからだ。いじめが最強となっている。ただしこれは日本国内だけで通用することだ。日本のいじめ常習犯が海外において、同じいじめ攻撃をやった場合には、とても生き残れないだろうし、厳しい状況に追い込まれるだろう。つまりいじめとは、いじめ加害者だけの問題ではなく、いじめ犯罪に甘すぎる日本国内の環境が問題となっている。また学校でのいじめの場合には、いじめ加害者が未成年ということもあり、曖昧な処分で、結局のところすべてうやむやにされてしまうが、これが、同じいじめでも成人して会社内でやったり、あるいは一般社会で、同様のことをするとうやむやにされないことが多い。未成年の時期にいじめは悪いことだという認識がないと、同じようにいじめを繰り返す人生で、それ以上に厳しい制裁を受けることもある。公務員世界でも政治の世界でもいじめはあるが、いじめを武器として生きようとすることは危険である。いじめ常習犯の最大の武器は、いじめをしていることが知られないようにすることだ。つまり、巧妙に発覚しないようにいじめを継続し、相手にダメージを与えるという処方である。だが実際のところ、それが成功したとしても、いじめ加害者の得るべき利益はないもなく、ただ罪を深く大きくするだけである。家族や親戚や親しい者を傷つけるだけだ。いじめ加害者は罰を受けなければ平気だとか、発覚しなければいいとか、未成年だから許されるとか、いろいろ口実を考える。しかし、実際には、とんでもない代償を払わされることがある。いじめ攻撃にしろどういう手口にしろ、他人に危害を加えたり、死に追いやるという行為は、それなりの代償を伴う行為だ。何の関係もない他人の人生を狂わせたり、通行人の通行を妨害したり、嫌がらせをして面白がるのであれば、たとえ誰もそれを罰することができなくても、そういう人間に人間としての魂があるのであれば、自分が許せないだろう。そういうことも何も考えられないとか、感じられないというのであれば、もはや人間でもない。
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