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http://www.bloomberg.co.jp/news/123-ND3TFX6K50Y101.html
10月9日(ブルームバーグ):
朝曇りの春のパリ。バンドーム広場に建つ18世紀の建物に入った1匹のハエが中庭を越えてコムデギャルソン・インターナショナルの本社へたどり着き、エイドリアン・ジョフィー最高経営責任者(CEO)の頭の周りを飛び回っていた。
自身の執務室で芸術性と企業利益にどのように折り合いをつけるかを静かに話し合っていたジョフィー氏は、突然、右腕を挙げて素早くたたきハエを始末した。ジョフィー氏はかすかに笑みを浮かべただけで、何事もなかったかのように話を続けた。
禅思想と言語学に造詣が深く、穏やかに見えるジョフィー氏をよく知らない人は、こうした行為に驚くかもしれない。だが彼を知る人々は、徹底した効率性と、重要なことに集中するため気を散らすものは速やかに取り除くという同氏の最も際立った資質の一つだと理解している。ブルームバーグ・パースーツ秋季号が報じている。
コムデギャルソンは人前に出たがらないデザイナー、川久保玲氏によって45年前に東京で誕生。恐らく現代で最も長期にわたって革新性を世に問い続けてきたファッションブランドだ。彼女は1992年にジョフィー氏と結婚。当初から川久保氏の目標は自由な創造のために市場原理を超越すること、衣服や性、美の一般的概念を覆す中性的・抽象的な衣類を制作することだった。
リアリスト
コムデギャルソンは一方でビジネスでもある。採算性を維持するのは夫であるジョフィー氏の役目だ。創造性を求められる多くの企業にとって芸術と商業のバランスを取ることが難しい時代に、芸術と商業のいずれをも正式に学んだことのない同氏はこの2つを見事に融合させている。
ジョフィー氏のアイデアは、他人が真似できないと思えるほど斬新だ。しかし最後には多くの企業がそれに追随する。コムデギャルソンの期間限定ゲリラストアなどは、現在どこにでも見られる店舗形態の原型と言える。
ジョフィー氏(61)がコムデギャルソンで担う多くの仕事の一つは、あくまでも表に出ることを嫌う川久保氏の通訳兼門番だ。川久保氏はほとんど英語を話さず、自分自身を外部の世界に理解してもらうことに興味を示さない。
「自分の仕事の最悪の部分はそれだ」とジョフィー氏は言う。「彼女について説明するのは難しいし、私も実際それを望んでいるわけではない。でも自分にはリアリストの側面もある。仕事のためにはトライする必要がある」。
新規事業
ジョフィー氏の会社での役割を明確化するのも同様に難しい。川久保氏がコムデギャルソンのデザイナーにとどまらず、教祖的存在であるためだ。川久保氏は東京で生活し、今でも日本事業については都内の本社で自ら指揮している。
ジョフィー氏は世界全体の小売り事業の責任者を務めるほか、ロンドンとニューヨーク、東京に拠点があり、脱デパートの概念で評価を得ている商業空間「ドーバーストリートマーケット」を統括。コムデギャルソンにとって新規事業となる香水部門も率いている。これまでに77種類の香水を発売した。
ジョフィー氏がこの世界に入ったのは偶然だった。南アフリカ共和国生まれの英国育ち。ロンドン大学で日本語とチベット文化を学び、77年に仕事がないまま日本へ渡った。大阪で暮らし「パサデナ・イン」という名のバーで皿洗いをしながら、日本語を完璧にマスター。禅の修行を深め、僧侶になることを真剣に考えた。その後ロンドンに戻り、チベット仏教と禅宗の博士課程を履修し始めた。そしてパリ在勤の商業ディレクターとして87年にコムデギャルソンに採用された。
強いオーラ
ジョフィー氏が川久保氏に出会ったのは、そのころだった。川久保氏はいつもながら多くを話さなかったが、その必要もなかった。ジョフィー氏は周りから聞かされていた「非常に強いオーラ」に瞬時に捉えられたことを覚えている。「彼女が部屋に入ってきたら空気が変わったように感じられる。私が知る中でそんな人は他にいない」。2人は91年に交際を始め、1年も経たずに結婚した。
93年までにジョフィー氏はコムデギャルソンの社長に就任し、既成のルールを打ち破る同社の哲学を事業に生かす新たな方策を探った。同氏によると、川久保氏は鋭敏なビジネスマインドの持ち主だが、香水にはそれまで関心がなかった。しかしジョフィー氏が強く勧めたことで、2人はこの新分野での可能性を模索し始めた。もちろん美容・化粧品業界の常識は無視した。
コムデギャルソンでの日々は多忙だ。ジョフィー氏が川久保氏に会うのは月に1回ほど。川久保氏がパリに来る、あるいは自ら東京へ行く時だけだ。それ以外は1人で生活している。
仏教哲学
ファッション業界ではこの夫妻の個性的な生き方と仕事ぶりがどのくらい続くかが差し迫った問題となっている。川久保氏は10月で72歳。誰の真似もしない、自分自身の真似さえしないという自らに課したルールは年を追うごとに本人を強く縛っている。
「大変な苦しみだ」。ジョフィー氏は語る。「年齢のせいではなく、彼女はこれまで45年にわたって半年ごとに多くの新しいことを成し遂げてきた。その経験の重さを想像してみてほしい」。
そう話すジョフィー氏も、妥協を許さないために今後もベストを尽くし続けるだろう。同氏が積んだ仏教徒としての修養は、毎日瞑想(めいそう)する習慣をやめた今でも役立っている。
「大きな世界と身の回りの小さな世界。仏教哲学は世界を理解する手段だ。このおかげで私は健全さを維持してこられた。これがなかったら、このビジネスで生き残っていられたかどうか分からない」。(クリストファー・バグリー)
(バグリー氏はブルームバーグ・パースーツの寄稿者で、内容は同氏自身の見解です)
原題:Behind Comme des Garcons’ Free-Flowing Designs StandsContrarian(抜粋)
記事に関する記者への問い合わせ先:ニューヨーク Joel Weber jweber66@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先:Ted Moncreiff tmoncreiff@bloomberg.netJoel Weber, Daniel Ferrara
更新日時: 2014/10/09 07:01 JST
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