04. 2015年1月15日 18:39:18
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いずれにせよ改革は避けられないだろうなhttp://diamond.jp/articles/-/65005 【第97回】 2015年1月15日 上久保誠人 [立命館大学政策科学部准教授] 世代間対立問題の本丸は「日本型雇用慣行」 安倍普三首相が、衆院総選挙で争点となった「アベノミクス」以外の、憲法改正や集団的自衛権を含む安全保障法制の整備、原発再稼働など首相の「やりたい政策」についても、「信任を得た」と繰り返し言うようになった。首相は総選挙大勝を契機に「やりたい政策」を公然と推進する姿勢に転じたようだ(第96回を参照のこと)。だが、首相のやり方は、あまり上手ではないように思う。 首相が「信任を得た」と言い続けるのはよくないと思うのだ。政界は「一寸先は闇」である。不測の事態が起こって内閣支持率が急落した時、野党や党内の「ポスト安倍」を密かに狙う自民党議員が「信任がなくなったんだから代われ」と言える、付け入る隙を与えてしまうことにならないだろうか。 むしろ、首相が「支持率がゼロになろうと、政治生命をかけて不退転でやる!」と開き直るほうが、政敵にとって厄介なのだ。例えば、野田佳彦前首相が「政治生命をかけて消費増税を実現する」と宣言した時だ。 野田政権の支持率は低迷し、野党の解散要求が強まり、小沢一郎グループが離党したが、野田首相(当時)を辞めさせることはなかなかできなかった。首相にとっては、支持率後退も激しい反対抵も織り込み済みだから、それで動揺することはなかったからだ。結局、野田首相は三党合意によって消費増税を実現した。逆に、野田首相を解散に追い詰められなかった谷垣禎一自民党総裁(当時)は苦境に陥り、党総裁選で再選できなかった。 さらに反対派にとって手に負えなかったのが、菅直人元首相だろう。与野党双方からの「辞めろ」の大合唱で四面楚歌になりながら、中部電力浜岡原発をほぼ独断で停止し、首相の座に居座った(第16回を参照のこと)。菅首相(当時)を辞めさせるために、膨大な政治的エネルギーを必要とし、これも谷垣総裁が引きずり降ろされる遠因となった。 安倍首相が「やりたい政策」を実現したいなら、「信任を得た」と強調するよりも、「信任を得ようが得まいが、自分は信念を貫いて政策を実現する」と開き直ったほうがいいように思う。首相は「信任」と言い張ることで、一寸先は闇である政界の事態の変化に柔軟に対応する「余裕」を、自らなくしているように思う。 「裕福な高齢者」VS「貧しい現役・若者世代」の 世代間対立が浮き彫りになってきた 一方、安倍首相が「この道しかない」と総選挙で訴えた「アベノミクス」についても、国民の「信任を得た」とは、とても言いがたい状況だ。経済・財政・社会保障政策について、国民の不安が広がりつつあるからだ。 アベノミクスの化けの皮は剥がれた。円安が進んでも、既に海外移転を完了した日本企業の輸出は増えない。日本に工場を戻すつもりはなく、設備投資も増えない。日銀の金融緩和で銀行に大量の資金を供給しても、企業には資金を借りるニーズがない。営業利益が増えても、グローバル競争に晒される企業は、容易に従業員の給料を上げられない。中小企業は、円安の悪影響をモロに被り、原材料費、燃料費の高騰に苦しむ。 結局、アベノミクスとは株高・円安に誘導することで、企業が短期的に営業利益を増やして目の前の決算期を乗り切り、一息つけるというものに過ぎなかったことを、国民は次第に知るようになってきている(第75回を参照のこと)。 安倍政権は経済対策を決定した。今年も超金融緩和の継続、際限ない公共事業の増発、法人税減税、特定業界への減税措置の乱発などという、大規模なバラマキは続くのだろう。株高・円安は継続し、短期的な大企業の高収益は維持されるかもしれない。「バブル」になるとの見方すらあるようだ。しかし、国民の不安は払しょくされることはないだろう。財政赤字がさらに拡大するのは明らかだ。その上、少子高齢化の進展によって、社会保障費が毎年1兆円増加している深刻な現状を国民はしっかり認識しているからだ。 総選挙後、「裕福な高齢者」VS「貧しい現役・若者世代」という世代間対立の構図が、これまで以上に浮き彫りになってきているように思う。安倍政権の登場後、「社会保障関係費」が増加し「文教及び科学振興費」は減らされた。民主党政権時代の「子ども手当」「高校無償化」「小学校の35人学級化」など子育てや教育の支出増という現役・若者世代向けの政策はバラマキとして切り捨てられた。 また、若者の貧困化、就職難、格差拡大、結婚難などへの対策は後回しにされた。その一方で、増え続ける高齢者の年金、医療、介護に切り込むことはない。有権者のマジョリティである高齢者の既得権を奪う政策を、安倍政権が打ち出すことはない。結果として、高齢者を支える税金や社会保障費を差し引かれる中で家計をやりくりし、子育てを強いられる現役世代の苦境は強まるばかりだ。 これまで、アベノミクスの狂騒の陰に隠れていたが、その退潮によって高齢者優遇による税金・社会保障増や財政悪化の将来負担の不安を、若者・将来世代が強く認識することになった。それが、世代間対立が激化してきた背景にあるのだろう。 世代間対立の「本丸」は、 「聖域化」した「年功序列」「終身雇用」である しかし、「裕福な高齢者」VS「貧しい現役・若者世代」という世代間対立の「本丸」というべき重要な課題が、ほとんど議論されていないように思う。新卒で正社員として就職できれば、定年近くまでの数十年間失職しない、「年功序列」「終身雇用」として知られる日本型雇用慣行である。 1月1日にテレビ朝日系で放送された「朝まで生テレビ」で、竹中平蔵慶応大教授が「同一労働同一賃金っていうんだったらね、正社員をなくしましょうって、やっぱり言わなきゃいけない」「(非正規が増えたのは)日本の正規労働ってのが、世界の中で見ても異常に保護されているからなんです」と発言した。日本型雇用慣行を真っ向から批判した発言は、日本の論壇では珍しかったが、猛批判を浴びている。だが、筆者は竹中氏の主張は正論だと考える。 この連載では、日本型雇用慣行を何度も取り上げてきた。そして、若者の就職難の問題は、彼らの努力不足とみなされることが多い。しかし、実態は90年代以降、バブル経済の崩壊とグローバリゼーションによる「失われた10年」と呼ばれる長期的な経済停滞に対して、国内の正社員の「終身雇用」を頑なに守ろうとしたことで起こっていると指摘してきた。 具体的には、「失われた10年」の時期、日本企業は国際競争力を維持するために多国籍化し、開発途上国の安いコストで生産する体制を作ったが、一方で国内の労働需要が激減した。これに対して日本企業は、「慣行」に従って既存社員の雇用維持に努め、新規採用を抑制し、派遣や請負等の非正規雇用社員を増加させた。その結果、若年層の多くが新卒で正社員として採用されず非正社員となっているのだ。 ここで重要なのは、若者の就職難がどんなに深刻化しようとも、現職正社員の「終身雇用」が徹底的に守られ続けてきたということだ。そして、民主、自民から維新の党、共産党までのすべての政治家、財界、労組、マスコミのほとんどが現職正社員の「終身雇用」維持を支持してきた。その結果、「終身雇用」という既得権が「聖域化」したといえる(第34回を参照のこと)。 筆者は、「終身雇用」という「聖域」に切り込まない限り、若者の雇用問題の本質的な解決はないと考える。 与野党の労働政策は、 既存の正社員と若者の格差を拡大する 昨年12月の衆院総選挙で、民主党など野党陣営は「同一労働、同一賃金」を公約として掲げた。派遣労働をなくし、すべて正社員として雇用すべしという主張だ。だが、この政策は、民主党など野党を支持する労働組合員の「終身雇用の正社員」という既得権を守ることをそもそもの前提としている。既存の労働者をすべて正社員とすることが実現した先には、コスト高を嫌う企業が、若者を派遣としても採用しなくなり、大量失業が発生してしまうだろう。 一方、自民党・公明党の与党側は「正社員ゼロ法案」とでも言うべき労働者派遣法の改正案を提出する予定としている。これは、経営者がどんどんコストの高い正社員を派遣労働者に置き換えやすくするものだ。だが、与党側も既存の正社員からそのステータスを無理やり奪おうとは考えていない。定年退職や早期退職によって、正社員が「自然減」したものを、派遣に置き換えていくというものだ。これも正社員としての新規採用は必要最低限となる。派遣があるだけ、まだ野党の政策よりマシかもしれないが。 要するに、与野党どちらの政策も、正社員の既得権を持つ中高年と、正社員への道がこれまで以上に狭くなる若者の間の格差を拡大するものでしかない。そして、それは「若者の努力不足」と決めつけられて終わるのだろう。 「終身雇用」「年功序列」は 世界的に珍しい制度 これに対して、この連載では「終身雇用」の慣行そのものを改革すべきと考える。なぜなら、「終身雇用」とは、世界的に見ると極めて珍しい制度だからだ。 欧米には、大企業、行政機関などに「終身雇用」の慣行は存在しない。筆者が住んでいた英国を事例とすると、まず大学卒の一括採用というシステムがない。学生は、大学在学中に就職活動をすることはない。大学在学中は勉学に集中し、卒業してから、インターンシップを皮切りにキャリア形成を始める。インターンで評価されれば就職できるが、最初から正社員の待遇はなかなか得られない。日本でいう「派遣社員」としてキャリアをスタートさせる。また、若者は30歳くらいまでは転職を繰り返して、自分の適職を探していくのが通常である。 日本の雇用慣行との最大の違いは、正社員が企業・行政機関の内部昇格でキャリアアップしていく「年功序列」が事実上存在しないことだ。企業・行政機関で役職者のポジションに空席が生じた時、組織外にオープンに人材を募る「公募」が行われる。平社員として契約している者が役職者になりたければ、「公募」に応募して、外部からの多数の応募者と競争しなければならない。もちろん、社内の人間が昇格することはあるのだが、それは社外からの応募者と能力を比較して、役職者にふさわしいと社外に明確に説明できる場合である。 この人事制度は、欧米だけではなく、中国や東南アジアでも一般的である。筆者が勤務する大学では、アジア諸国の公務員が留学生として派遣されて学んでいるが、彼らの国では、欧米の植民地だった経緯から官僚制度は欧米的なシステムで、「終身雇用」「年功序列」はないという。また、企業経営者も欧米で学んだ経験がある人が多いため、企業の人事制度も欧米的なのだ。 アジアの若者は、必ずしも日本の「終身雇用」「年功序列」にいい印象を持っていない。能力や業績通りの報酬を得られないことや、責任あるポジションに就くまでに長い年月勤め続けないといけないことは、アジアの若者が日本企業に魅力を感じない要因となっていることは、広く知られている。 「終身雇用」「年功序列」の慣行には問題が多い上に、世界的に見ても珍しい制度だということであれば、これを一切の批判を許さない「聖域」と考えるべきではない。 労使の契約関係が明確な 雇用システムを築くことが重要 重要なことは、欧米やアジア諸国の企業・官僚組織のように、雇用者・労働者間で、明確な報酬・労働条件を合意した契約関係が結ばれることではないだろうか。現行の日本型雇用慣行下では、雇用者・労働者間の契約は曖昧だ。もちろん日本にも雇用契約はあるのだが、筆者は内定式か入社式で、雇用契約書を配られ、その場で即、印鑑を押させられたのを覚えている。内容はほとんど確認しないで印鑑を押したし、契約書の修正など申し出る余地はなかった。新卒一括採用の場合、現在でもそれはほとんど変わらないだろう。 そのような曖昧な雇用者・労働者の契約関係の結果、「ブラック企業」という奴隷のような労働を強いる企業が出てくるのだ。日本型雇用慣行というのは、労働者を守ってくれるものとはいえない。終身雇用の慣行を廃し、契約関係を明快にする新しい制度を導入すれば、ブラック企業は減る。また、派遣が奴隷のような扱いを受けることも減るかもしれないのだ。 今年のテーマの1つは「若者の政策」 「クリティカル・アナリティクス」の今年のテーマの1つとして、「若者の政策」に取り組んでみたい。もちろん、経済・財政、社会保障・福祉、教育、農業などそれぞれの政策には、専門家の方々がいらっしゃる。さまざまな政策論が展開されている。だが、どれも30年も前の成功体験に基づいた、既存の政策の延長で終わってしまっていないだろうか。 超高齢化社会とグローバリゼーションの進展による新興国との大競争という、30年前とまったく経済・社会が異なっている。それにもかかわらず、金融緩和、公共事業、減税措置、成長戦略という、まったく効果がなかった既存産業の延命や地域への無駄なバラマキが繰り返されている。その結果が、国の一般会計が約40兆円の税収しかないのに、100兆円もの予算が組まれ、国の借金が1000兆円以上という悲惨な財政状況だ。 現在の政策の専門家には、将来の日本の課題がまったく見えていないのではないだろうか。若者や、これから生まれてくる将来世代のための政策を作るには、これまでとはまったく異なる新しい発想と戦略が必要だ。 この連載では、 (1)斜陽産業の保護でしかない円安政策を断ち、原材料費・エネルギー価格のコストダウン、海外への投資の拡大など、円高のメリットを生かした新しい日本経済を構築すること(前連載第56回を参照のこと) (2)民間が福祉など行政の業務を肩代わりすることで財政負担を減らす日本版「大きな社会」の構想(第20回を参照のこと) (3)日本企業に対する支援策にとどまる成長戦略を超えた、外資の研究機関・高品質製品の製造拠点の日本誘致(第57回を参照のこと) などの政策アイディアを提起してきた。 今年も、これまで以上に従来の発想に囚われることなく「若者の政策」を考えていきたい。その中心が「年功序列」「終身雇用」の日本型雇用慣行という「聖域」への切り込みになるのは、言うまでもない。 |