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ホンダ、リコール連発の元凶は伊東社長の開発現場軽視経営か 引責辞任求める声広がる
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141225-00010006-bjournal-bus_all
Business Journal 12月25日(木)6時0分配信
本田技研工業(ホンダ)にとって今年は、厄年のような1年だった。14年度は国内販売台数を過去最高の103万台に設定し、ハイブリッド車(HV)「フィットハイブリッド」がこれを牽引するはずだった。ところがフィットは5度にわたるリコール(無償回収・修理)に見舞われ、事態を重く見た国土交通省はホンダの新車の型式を認めなかった。その結果、6月に予定していたセダン「グレイス」の発売は12月にずれ込み、国内販売目標も93万台に下方修正した。
そして新車発表で心機一転、反転攻勢に向かおうとした矢先、自動車部品大手タカタ製のエアバッグの欠陥問題が噴出。米国やマレーシアではタカタ製エアバッグを搭載しているホンダ車で死者が出た。ホンダは原因が判明していない段階で、消費者の安全確保を最優先し、リコールの対象を拡大。調査を目的としたリコールを日本や全米を含めた全世界に広げることを決めた。全世界でのリコール対象台数は1340万台以上に膨らむ見通しで、世界販売台数の実に2年分を優に上回る規模となった。
調査リコールを全世界に広げることを決めたホンダは、15年3月期に200億円超の追加費用を計上する。それにより営業利益が押し下げられ、当初見込まれていた前期比3%増の7700億円の営業利益は、達成が難しいとの見方もある。
タカタ製エアバッグのリコールは、日米欧の全自動車メーカーで計3000万台を超える可能性が指摘されており、空前の規模となる。「タカタの問題はホンダの問題」という認識が世界に広がったことに対して、ホンダの経営陣は鈍感だった。タカタは1987年、ホンダの要請でエアバッグの量産を始めた。現在、ホンダ車の約半数にタカタ製エアバッグが搭載されているほか、ホンダはタカタの1.2%の株式を保有する第10位の大株主だ。ホンダの伊東孝紳社長は今回のリコールでタカタが立ち行かなくなった場合に人材流出が起きることを懸念し、「誰も助けないのならホンダが経営を支援する」と表明しているが、度重なるリコールの元凶は伊東氏だという厳しい指摘が社内外にある。
●リストラの副作用
ホンダの新車づくりは開発子会社の本田技術研究所(山本芳春社長)が担い、研究所が作成した図面を元に本社工場が量産するかたちを取ってきた。開発部門を別会社にしたのは創業者の本田宗一郎氏で、本社の業績に一喜一憂せず、長期的視点で新車づくりに励むという理念による。そのため、ホンダの歴代社長は研究所の社長を経て就任するのが慣例だった。
リーマン・ショック後の09年にホンダ社長に就任した伊東氏は、当初はあえて研究所の社長を兼務し、全社的なリストラを断行。研究所を聖域としなかった。多くの企業が最終赤字に沈む中、ホンダは大幅な黒字を維持し、どんな状況下でも利益を出せる企業に育てたとして、伊東氏の経営手腕は高く称賛された。
だが、相次ぐリコール問題は、開発期間の短縮やコストの圧縮を命じてきた伊東氏の経営手法の副作用がもろに出たと受け止められている。
「リコールが続く理由は、『早い、安い、うまい』を推し進めた伊東氏の経営方針の弊害です。経営層がまず新車の販売スケジュールをつくる。何か問題があっても、決められたスケジュールに間に合わせなければならない。問題が見つかっても、なかったことにする。こうした体質をマズイと思っている社員はいなくはないが、そんなことを口にしようものなら、上層部から非難される」(自動車担当アナリスト)
「スケジュールに合わせて見切り発車したフィットハイブリッドのリコールの発生は、発売前から予測されていた」と指摘するエンジニアもいる。ホンダは年間世界販売台数600万台、国内100万台を目指してきたが、新車の相次ぐリコールとタカタ問題でもくろみが崩れた。社内外からは「伊東氏と腹心の野中俊彦常務(四輪事業本部長、本田技術研究所副社長)が辞めるべきだ」との声が広がりつつある。
●「ホンダらしさ」を失ったホンダ
「創業者の本田宗一郎時代の中小企業の風土を知っている世代がいなくなり、大企業になったホンダしか知らない経営陣ばかりになった。ホンダらしいといわれた自由闊達さは失われ、上から下まで官僚化が進行し、保守化が進んでいる」(自動車業界関係者)
伊東氏は15年6月に社長就任6年目を迎え、交代のタイミングだが、後継者が育っておらず本人もやる気満々だとみられている。次期社長の候補に挙がるのは、専務執行役員で、11月1日付で四輪事業本部品質改革担当兼本田技術研究所取締役副社長執行役員に就任した福尾幸一氏と前出の野中氏だが、前述の通り連続リコールの責任を問う声が多く、「上にはゴマすり、下には尊大」(元役員)と酷評する向きもある。
“ポスト伊東”の最短距離にいたのは、初代フィットを開発してインド事業拡大のために同国へ赴任した松本宣之常務執行役員だった。松本氏は過剰な拡大主義を否定し、伊東氏と対立。結局、社内抗争に敗れて後継争いから外れた。松本氏に代わって社長候補に浮上したのが福尾氏という図式だ。福尾氏は初代HV「インサイト」の開発責任者で、ハイブリッド、燃料電池車の開発を担当してきた。
年度初めの明るい見通しから一転、伊東氏の社長退任論浮上にまで発展した連続リコールで、ホンダ周辺には、にわかに物騒な雰囲気が漂いつつある。
編集部
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