02. 2014年12月20日 07:00:30
: ytIWoEzSFI
エアバッグはそもそも自動車の安全対策部品であり、自動車メーカーが部品メーカーから購入して採用しているのだから、責任は「完成車」メーカーにある。とは言え、エアバッグは明らかに目立つ部品だ。覚えている方も多いだろうが、かつてアメリカで、フォードのSUVに走行中の事故が多発し、これがタイヤのせいにされた事件があった。失敗百選 〜ファイアストン社製タイヤのリコール〜 http://www.sydrose.com/case100/015/ フォードのSUV、エクスプローラーに走行中の事故が続出し、これの原因がタイヤのせいにされた事件である。ファイアストンは、アメリカで歴史あるタイヤメーカーであるが、1970年代後半に出した製品の品質に問題があり、多くの訴訟を抱えて経営危機に転落。日本のブリヂストンが買収した。 ファイアストン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3 (一部、転載します。) 吸収合併後も訴訟問題は終わらず、2000年にはウィルダネスAT、ファイアストンATXおよびATX IIに関し、多数の訴訟および自主回収が行われ、当該タイヤを純正指定装着していた車のメーカーのフォード社とも訴訟問題に発展した。 しかし2005年10月に、ファイアストンが実施したタイヤ自主回収、及びフォード社が行ったタイヤ交換プログラムに関連する費用精算を含む事項などで、ファイアストンはフォード社と和解した。 (転載終了) ●この問題だが、完成車メーカーであるフォードが勝った事例である。ファイアストンが日本のタイヤメーカーの傘下にあることから、狙い撃ちされたと見る向きが多い。だが、ファイアストン製品は他社でも広範に使用されており、フォード車のサスペンションが、やたらタイヤに負担をかける構造になっているからとも言われる。いずれにしても、真の理由は明らかにされないまま事態は沈静化したが、何とも納得のいかない結末であった。 フォードは当社の製品に問題はないと主張したが、2001年に登場した3代目はサスペンションを四輪独立式に変更しており、それ以降は悪い噂を聞かないので、やはりサスペンションに原因の多くを求めることができると思われる。これだけフォード側が自社製品の欠陥がないと主張した背景には、かつて1970年代に大問題になった、フォード・ピントのガソリンタンク爆発炎上問題があるからである。 フォード・ピント http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%B3%E3%83%88 ★ピント (Pinto) は、米のフォード・モーターが発売していたサブコンパクトカーである。同社の元社長であるリー・アイアコッカが責任開発者となっており、また構造上の欠陥が問題となったことで有名である。 (重要な部分を転載します。) 欠陥 ピントに纏わるエピソードとして最も有名なのがいわゆる「フォード・ピント事件」である。 先述の通り、短期間で市場に送り込むこととコスト削減の目的で、通常43ヶ月を要する開発期間を25ヶ月に短縮して市場に送り込まれたが、開発段階でスタイリング重視によるガソリンタンクとバンパーが近接した構造と、バンパー及び取付部の強度不足により追突事故に非常に脆弱である欠陥が発覚した。しかし、フォードは欠陥対策に掛かるコストと事故発生時に支払う賠償金額とを比較し、賠償金を支払う方が安価であると判断し、そのまま放置した。 そんな折、市販された翌年の1972年にインターステートハイウェイを走行中のピントがエンストを起こし、約50 km/h で走行していた後続車に追突されて炎上し、運転していた男性が死亡、同乗者が大火傷を負う事故が発生した。この事故での陪審評決でフォードを退社した元社員らが欠陥を知りながら開発を進めた事実を証言し、コスト比較計算の事実も発覚した。 結果的にフォードは多額の賠償金の支払いが課せられることとなってしまい、逆に経済的に打撃を受け、加えて製品の信頼性や同社の信用も失墜してしまう皮肉な結果となった。フォードは対策としてガソリンタンクの配置を後車軸上に変更し、ガソリンタンクとバンパーの強化を行う等の対策を取った。 (転載終了) この小型車の開発を推進したのは、後にクライスラーに移って歴史的再建劇の立役者となるリー・アイアコッカ氏である。彼はフォード・ファルコンのプラットフォームを流用して、マスタングを開発させた。マスタングはスペシャリティカーのジャンルを作り出した先駆車となり、世界各国の自動車メーカーも追従した。 フォード・ピントも、このファルコンのプラットフォームを短縮して開発させた小型車である。このため、全幅が1,760mmと広かった。ところが無理やり短くしたため、ガソリンタンクが後方からの衝突に弱く、これが原因で爆発火災問題が発生。フォードは裁判に負けて多額の賠償をしたのである。 今でも真相は謎のままだが、アイアコッカ氏は社主のヘンリー・フォード二世に、「我が家の家業に泥を塗ってくれたな。」と激怒し、これに対し「あなたが早く出せとせかしたからですよ。」と殴り合いの喧嘩になったからだと推測されている。 そのアイアコッカ氏、1980年代にクライスラーを劇的に再建した「時の人」となったが、自動車の安全性問題では一貫してエアバッグの自社製品採用を拒み続けた。フォード・ピントの時の苦い経験が、エアバッグ装置への反対姿勢にあらわれたと思われる。彼は自著の中で、エアバッグは膨張させるのに火薬を用いており、これが危険だと主張していた。 ところが安全性問題は大きくなる一方で、これを搭載しなければ事業が継続できないレベルになってきたため、仕方なく採用を認めたという。当方は、エアバッグそのものの危険性に問題があると思っている。新車で購入してから何年使われるのか分からないが、20年や30年使われる国々もあるのだから、このような時限爆弾を抱えたままの自動車は本当のところ、運転したくないのである。そのためか、当家にある2台の自動車は、いずれもエアバッグを搭載していない時代の製品だ。 |