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タカタ、リコール問題を拡大させる異常な体質的欠陥 逃げ続ける経営トップ、米国の謀略
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141217-00010002-bjournal-bus_all
Business Journal 12月17日(水)6時0分配信
自動車部品大手タカタ製のエアバッグ欠陥問題をめぐり、「日本車叩き」へ発展する危険を察知した自動車メーカーは、自主的リコール(無償回収・修理)に踏み出した。国土交通省が不具合の原因を究明するために行う「調査リコール」を指示したのも、強い危機感の表れだ。
タカタ製エアバッグの国内でのリコール対象台数は319万台(12月12日現在)に上り、トヨタ自動車に続き、本田技研工業(ホンダ)、日産自動車、三菱自動車も予防措置としてリコールを国土交通省に届け出た。ホンダは全米で行う調査リコール対象台数が540万台となると発表しており、12日にはマツダも追随した。ホンダの全世界でのリコール対象台数は1340万台以上に膨らむ見通し。米クライスラーはリコール対策地域を拡大し、対象車を約62万台とした。日米欧全メーカーの対象台数は3000万台を超える可能性が指摘されており、空前の規模となる。
一方、タカタの動きは鈍い。「タカタの対応には深く失望した」。3日に行われた米下院公聴会で、米運輸省・高速道路交通安全局(NHTSA)のデビッド・フリードマン局長代理はこう述べた。NHTSAはエアバッグの地域限定リコールを全米に広げるようにタカタへ要請していたが、この日に至るまでタカタは要請に応えなかったからだ。前日にタカタから届いた書簡には「リコールは自動車メーカーがすべきだ」と書かれていた。
3日の公聴会で、タカタの品質保証本部シニアバイスプレジデントの清水博氏が証言したが、「データに基づけば、(地域限定リコールを実施している)多湿地域での部品の交換を優先することが最善だと考える」と、リコールの全米拡大に消極的な姿勢を示した。タカタは「部品メーカーである当社は、リコールの是非を判断する立場にない」と弁護士のアドバイス通り原則論を貫いたが、この発言はNHTSAの要請を事実上拒否したことになり、事態はさらに悪化した。
公聴会にタカタの代表として出席した清水氏は取締役ですらなく、問題発覚以降、経営トップである高田重久・会長兼最高経営責任者(CEO)とステファン・ストッカー社長兼最高執行責任者(COO)が表舞台に一切姿を見せないことに批判が集まっている。経営トップが自らの言葉で説明することを拒否していると受け取られ、内向きの経営体質がリコール問題を拡大させ、米国上下院で糾弾される種をまいたとされる。タカタのエアバッグを採用した日本車に対する不買運動が起こる懸念も出ている。
●典型的な同族会社
タカタは1933年、高田武三氏が滋賀県彦根市で織物製造の高田工場を創業したのが始まり。56年に法人化され、60年にシートベルトの製造を開始した。エアバッグの製造に乗り出したのは、74年に2代目社長へ就任した高田重一郎氏だった。
ホンダの新しいエアバッグシステム事業を主導した本田技術研究所の開発担当者だった小林三郎氏から重一郎氏は、「丈夫な織物を使用したエアバッグをつくれないか」と打診された。当初は「そんな危ない橋は渡れない」と断ったが、最終的に重一郎氏は「危ない橋」を渡ることを決意し、87年12月にエアバッグの製造を始めた。
タカタのエアバッグは多くの自動車に標準装備されており、05年6月、自動車安全への貢献を認められ、米NHTSAの特別功労賞を部品メーカーとして初めて受賞した。14年3月期の連結売上高5569億円のうち39%がエアバッグ、32%がシートベルトの売り上げだ。小さな織物工場は、世界第2位の自動車安全部品メーカーに急成長した。
タカタは06年11月に東京証券取引所へ上場したが、典型的な同族会社だ。上場に備えて04年、旧タカタを会社分割して分社化した。エアバッグ、シートベルト、チャイルドシートを製造する事業は、旧タカタの100%子会社であるタカタ事業企画が吸収合併して、社名をタカタに変更。旧タカタには不動産事業部門が残り、社名をTKJに変更した。TKJが事業会社・新タカタの親会社となった。上場したのは新タカタである。
現在、TKJが52.1%を保有するタカタの筆頭株主で、タカタ会長の重久氏と母親の暁子氏(重一郎氏の妻)の保有分を加えると合計57.1%に達する。TKJには重久氏と弟の弘久氏、暁子氏が役員に名を連ねている。なお、ホンダはタカタ株式の1.2%を保有する第10位の株主だ。
重久氏は88年に慶應義塾大学理工学部卒業、旧タカタに入社。04年、新タカタの専務となり、07年6月、父親の重一郎氏の後を継いで3代目の社長に就いた。11年に重一郎氏が亡くなり、重久氏が名実ともにトップになった。だが09年に起きたエアバッグの一連の事故で2人が死亡。リコールの結果、タカタは13年3月期に特別損失を計上して211億円の最終赤字に転落した。13年6月の株主総会で創業以来の同族経営を転換し、ステファン・ストッカー氏を社長兼最高執行責任者に迎えた。この時も会長兼CEOに就いた重久氏がリコール問題の解決に専念するものと思われたが、一切表に出ず、かえって傷口を広げる結果となった。トヨタの米国リコール問題をまったく教訓にしていなかったことになる。
●リコール問題対応で信頼を勝ち取った、豊田トヨタ社長
10年2月24日、トヨタの大規模リコール問題で、米議会下院の政府改革委員会が開いた公聴会に豊田章男社長が出席を求められた。豊田氏は社長就任直後から空前の規模のリコール騒動に巻き込まれた。09年8月に米国でトヨタ車を運転中に発生した急加速事故から、米下院の公聴会に豊田社長が招致されるまでの半年間で、トヨタグループの年間生産台数に匹敵する1000万台がリコールの対象車となった。
公聴会を前にして、米メディアによるトヨタ・バッシングが相次いだが、公聴会翌日からそのバッシングは一斉に沈静化した。創業家の御曹司である豊田氏はそれまで、トヨタを引っ張っていくには若く、まだ経験不足と評価される向きが強かったが、公聴会出席を含めた一連のリコール対応で一気に評価を高めた。
そんなトヨタと対照的な今回のタカタの対応だが、重久氏が表舞台に出てこない背景について、母・暁子氏の存在があるとの見方もある。暁子氏は重一郎氏と結婚後にタカタの前身である高田工場に入社。91年に取締役に就任し、07年からは特別顧問を務めている。現在は役員ではないが大株主で、公益財団法人タカタ財団理事長を務めている。タカタ関係者は「社内では誰も逆らえない女帝。重一郎氏が亡くなってからは、院政の状態になっている」と証言する。そのため、「暁子氏が重久氏に『表に出るな』と言っているのではないか。暁子氏が問題解決のカギを握っている」(別の同社関係者)との指摘も聞かれる。これまでも重久氏は、エアバッグに関する通常の取材も「安全設計に関わるので情報を出せない」との理由で受けないのが基本だ。
●さらに膨らむリコール対応費用
リコール対応費用を積み増したためタカタは、15年3月期連結純損益が250億円の赤字(前期は111億円の黒字)に陥る。さらに米国では同社に対する集団訴訟も起きており、各自動車メーカーからは今後リコールにかかった費用の損害賠償を求められる可能性も高い。そうなれば数千億円規模の支出が発生するとの見方もある。タカタの14年9月末時点の純資産は1441億円。リコール費用が急増すれば、この程度の純資産はすぐに吹き飛んでしまう。
にもかかわらずタカタの危機意識が薄い理由として、ホンダの存在が指摘されている。ホンダは最大の取引先であると同時に大株主であり、ホンダの伊東孝紳社長は、「誰も助けないのなら、ホンダが経営支援する」と語っている。「タカタがもはや自力で存続することはあり得ないだろう」と言い切る自動車業界関係者もいる。
タカタは1995年に米国でシートベルトのリコール問題が起こった際に、自動車メーカーではなくタカタの名前が先行して報じられた苦い経験をしている。今回もNHTSAの指摘から火がついたことから、裏で政治的な意図が働いているとの見方もある。
米国では今年3月から米GM車の欠陥問題がくすぶり続けている。そのため、GMから矛先をタカタに向けようという意図があったという説だ。このほかにも、米国はタカタを叩き日本の自動車メーカーを牽制することで、TPP交渉を有利に運ぼうとしているという見方だ。TPP交渉では自動車問題が大きな難関になっている。米国はTPP交渉で、米国の安全基準をそのまま日本でも採用するよう日本側に要求してくることが懸念されている。
いずれにせよ、今回のリコール問題はタカタが1社だけで解決できるような規模ではなくなった。米国で高い授業料を払ったトヨタが12月2日、独立した第三者委員会を設立し、合同で原因調査を行うことを提案したのは、こうした大きな流れを察知したからだといわれている。第三者委員会にはホンダや日産自動車も加わり、オールジャパン体制で問題に取り組むことになる。
編集部
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