04. 2014年12月19日 06:35:10
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「ニッポン農業生き残りのヒント」 専業vs兼業、最後の戦い「廃業するのはどっちだ」
2014年12月19日(金) 吉田 忠則 北陸地方のある有名なコメ農家が最近、面白いことを教えてくれた。「関東の知人の農家が、建設業をやろうとしている」。米価の急落で経営がかたむくのを防ぐため、土木工事を請け負って収益源を増やすのがねらいという。新しい形で、専業の稲作経営から兼業への移行が始まろうとしている。 深刻な米価下落が促す「建設兼業」 今年の米価の下落は、各地のコメ農家に経営のあり方を再考することをせまるほど深刻だ。農協と卸会社の10月の取引価格は60キロで1万2215円と、2013年産より17%低く、12年産と比べると26%下落した。一部のスーパーは、5キロ1000円という破格の値段で新米を売り出した。 値段が安くなった分、消費者がたくさんコメを食べてくれればいい。だが、日本人のコメ離れはなお進行中で、いくら安くても消費の減少にブレーキがかかる気配はない。規模拡大を進め、先進的と言われている農家のあいだからも「このまま米価が下がり続ければやっていけない」という悲痛な声がもれる。 そこで、冒頭にかかげた関東地方のコメ農家は建設現場で人手不足が深刻になっていることに着目した。建設業界は公共工事の増加で事業が拡大した半面、現場の作業員が足りないことにあたまを痛めている。一方、稲作は田植えと稲刈りの2つの時期に作業が集中する。そこで、それ以外の時期に空いた人手を建設業に回そうと考えたのだ。 「関東地方のコメ農家」と書いたが、耕作面積は50ヘクタールを超え、会社形態にし、従業員も雇っている。そういう意欲的な経営でも、米価の下落に対応するには、新たな収益機会をみつけることが急務になったのだ。ちなみに、このエピソードを教えてくれた北陸のコメ農家も従業員を抱えており、「うちも建設業をやろうかと思っている」。 米価下落でコメ農家が悲鳴を上げている じつは建設業と農業のあいだにはけっこう親和性がある。2009年の農地法改正で、農地を借りる形でなら、一般の企業が農業に参入することが自由になった。その後、今年6月までに1576法人が参入したが、そのうち11%は建設業からの参入が占める。
2012年12月に自民党が政権に復帰するまで公共事業の削減が続いており、人手があまった建設会社が農業を始めたのだ。農機具をおく倉庫や栽培ハウスを建てるときなどに、本業で使っていた建設資材を活用できることが多く、ほかの産業と比べて参入のハードルが低い。体力の要る仕事に従業員が慣れているという事情もある。 そしていま、公共事業が増え、米価の下落で稲作の経営環境が悪化するにおよび、農業から建設業へという逆の流れが生まれようとしているのだ。これをべつの側面からみれば、専業経営から兼業経営への新たな移行ともとれる。 進む高齢化、第1種から第2種へ ここで、どうして日本の農家が兼業ばかりになったのかを簡単にふりかえってみたい。戦後の農地改革で、400万人弱の小規模な自作農が誕生した。当時は食料難で農産物価格が高騰しており、ほかの産業と比べても、農家はそれなりに豊かな暮らしができた。 だが、食料難が一服して農産物価格が下がると、農家は暮らしを支えるために農閑期に出稼ぎをするようになった。農業を中心に、ほかの仕事でも収入をえる第1種兼業農家だ。かれらの多くは、そのまま農業を軸に生計を立てながら、高齢化していった。この世代はすでに多くが農業から引退している。 つぎの世代は、高度成長期に入っており、メーンの収入は会社や工場の給料で、週末を中心にコメをつくったり、親の農作業を手伝ったりするかたちになっていった。こうして日本の農家は第2種兼業農家が急増し、1970年ごろをさかいに農家の過半数を占めるようになった。第2種兼業もすでに高齢化し、会社を退職する年代に入っている。 さらにその下の世代になってくると、もう農作業の経験はほとんどなくなってくる。都会に移り住んでいる人も多く、農業とは縁が切れている。こうして戦後にかたちづくられた兼業を中心とする日本の農業の仕組みは、3代目か4代目あたりで、とぎれることになる。 ところが、ここで兼業モデルは最後の灯をともすように、べつのかたちに移行する。退職したあと、年金を受け取りながら、農作業を楽しむ専業農家になるのだ。農水省の統計によると、兼業農家と比べて専業農家の減少率が低いが、原因は高齢のもと兼業農家たちが専業農家になっていることにある。 「元兼業」の採算無視が兼業の脅威に かれらは、農業だけでずっとやってきた専業農家にとってとんでもない脅威になる。そもそも米価がこれだけ下がったのは、兼業農家が採算無視でコメをつくり続けたことに一因がある。給与所得があるから、収支とんとんでもつくる。赤字でも確定申告すれば、給与所得で源泉徴収された税金の一部が返ってくるから、とくした気分になれる。 かれらの多くは、会社勤めの片手間で農業をやってきたから、いくら採算が悪化しても、つくり慣れたコメ以外には手を出そうとしない。「週末に田んぼに出るのは、体にいい」というノリで農業を続けてきた人もいるだろう。これでは、専業で利益を出そうとしてきた農家にはたまったものではない。 兼業農家たちがふつうの経済原則にのっとって稲作から撤退していれば、コメ余りはこんなに深刻にならなかった。だが、かれらにもついに引退のときがせまってきた。その最後に、こんどは専業となってコメをつくり続ける。 専業経営が傾けば、稲作は危機に陥る この最後の期間がどれだけ続くかわからない。かれらは家族や親戚や知人が食べる「縁故米」をつくり、しかも余った分は引き続き農協に出荷するだろう。米価の下落にあらがい、効率化にいどむ専業のコメ農家と、趣味でコメをつくり続ける高齢のもと兼業農家のどちらがタフなのか、即断はできない。
最後の戦いで未来を拓け こうして、まったく異質な専業同士の生き残り競争にかたちを変えて、専業農家と兼業農家の「最後の戦い」が幕をあけた。いや、米価下落をおぎなう収益チャンスをつくるため、建設業を始める専業経営に限ってみると、この「戦い」にはもっとべつの表現もできる。高齢のもと兼業農家と、兼業化した意欲的な専業経営のあいだのバトルだ。 もちろん、建設業などの副業をもつかどうかはべつとして、勝負は専業で経営革新に挑んできた農家が生きのこってもらわないと困る。かれらは農業できちんと利益を出すことを追求し、従業員を雇い、後継者づくりにも取り組んできた。その先に、日本の稲作の未来があるはずだと思ってやってきた。 これに対し、もと兼業の高齢農家は引き続き安い値段でコメを出荷してくれるかもしれないが、最後の灯をともしたあと、早晩本当に引退する。そして、かれらには跡継ぎはほとんどいない。 最後に、農政について一言。農産物の価格変動リスクをカバーするため、農林水産省は数年後に収入保険という制度をつくることを検討している。民主党政権が導入した戸別所得補償制度をはじめとして、農政はこれまで兼業か専業かに関係なく、経営の将来性も考慮せず、保護することが多かった。 だが、いまコメ農家が直面している危機を考えれば、新たな制度は対象に何らかの線引きが必要になる。そうしないと、コメ余りで生産調整(減反)をしていた日本のコメ事情から一転、コメが不足する事態におちいりかねない。 このコラムについて ニッポン農業生き残りのヒント TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加が決まり、日本の農業の将来をめぐる論議がにわかに騒がしくなってきた。高齢化と放棄地の増大でバケツの底が抜けるような崩壊の危機に直面する一方、次代を担う新しい経営者が登場し、企業も参入の機会をうかがっている。農業はこのまま衰退してしまうのか。それとも再生できるのか。リスクとチャンスをともに抱える現場を取材し、生き残りのヒントをさぐる。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20141216/275259/?ST=print |