02. 2014年12月09日 07:18:04
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「子供たちにツケを残さないために、いまの僕たちにできること」 「金融抑圧税」は現代日本で機能するか英国はかつて、これで政府債務を圧縮した 2014年12月9日(火) 小黒 一正 「『タイタニック』という映画がある。超大型豪華客船の船底は氷山に衝突して傷ついている。徐々に浸水し、沈みゆく。しかし甲板では、船が傾き、沈没する可能性があることをわかっていながら、『損傷は小さく、この客船が沈むはずがない』という甘い認識があるのか、何事もないふりをして楽団が音楽を奏で続けている――。いまの日本財政の状況を見ていると、このシーンを思い出さずにはいられない」 これは、緊急出版した拙著『財政危機の深層 増税・年金・赤字国債を問う』(NHK出版新書、2014年)からの引用であり、政府債務がGDP(国内総生産)の2倍を超える中、筆者が日本財政の現状から受けるイメージである。 一方、現在の厳しい財政事情を楽観し、「第二次世界大戦後、英国の政府債務はGDPの2倍を超えたものの、破綻せずに縮小した。日本も大丈夫だ」と言う識者もいる。これは間違った理解だ。理由は本コラムの後半で説明する。 図表1:英国の政府債務(対GDP、単位%) (出所)Bank of England 安倍晋三首相は2014年11月18日、経済成長の下振れ懸念が強まったと判断し、消費増税の1年半延期を問うため、衆議院の解散を正式表明した。 すでに衆院選がスタートしているので、この流れは誰にも止めることはできない。しかし、前回のコラムで説明したように、財政危機を回避するのに残された時間はそれほど長くない。増税を巡る対立の本質は「実施 vs 延期」ではなく、本当の対立軸は「いまの痛みか vs 近い将来のより大きな痛みか」という選択だ。リーマン・ショックや東日本大震災のような異常事態が起ってもいないのに、増税を延期することは賢明な選択ではなかった。 では、政府債務がGDPの2倍を超えているにもかかわらず、なぜ財政は危機的な状態に陥っていないのか。それは、「『量的緩和』の本質は『国債利払いの抑制』」の回で説明したように、日本銀行が異次元緩和を実施し大量の国債を市場から買い入れているからである。その結果、長期金利は1%を切る水準まで低下し、過剰債務の利払い費の抑制を可能としている。 国債市場は遠からず干上がってしまう しかし、異次元緩和には限界がある。なぜなら、このまま日銀が買い入れ額を増やしていけば、近い将来、市場で取引される国債は底を突くからだ。理由は単純である。日銀が買い増す国債の額が、新規発行額よりも大きいのだ。 日銀は2014年10月31日、追加緩和を発表した。いわゆる「黒田バズーカ2」だ。この追加緩和で、これまでよりもさらに約30兆円多いペースで長期国債の保有残高が増加するよう買い入れを行う予定である。これまで年間約50兆円のペースで増やすとしていたものを年間約80兆円に増やす。 他方、毎年度の財政赤字(新規の国債発行額)を約30兆円としよう。日銀が市場からネットで毎年約80兆円の国債を買い入れると、金融機関が保有する国債のうち50兆円(=80兆円−30兆円)を日銀が吸収することになる。2014年時点の国債発行残高は約800兆円。日銀は既に約200兆円の長期国債を保有しているから、単純な計算で約12年間[(800−200)兆円÷50兆円]で日銀はすべての国債を保有することになる。国債市場は干上がってしまうことになるわけだ。 黒田バズーカの行き着く先は財政ファイナンス 今後の財政赤字の幅や、日銀以外の各保有者の動向によっても、結果は違ってくる。例えば生命保険会社などは、資産運用のために国債が必要だ。だから実際には、12年も待たないうちに国債市場は枯渇する可能性が高い。いずれにせよ、現状のままでは、近い将来、異次元緩和は完全な財政ファイナンスになる。 財政ファイナンスとは、財政赤字を穴埋めするため、日銀が国債を大量に買い取ることを言う。「マネタイゼーション」とも呼ばれる。11月26日、日銀政策委員会の白井さゆり審議委員は、財政ファイナンス(=マネタイゼーション)に対する懸念について、広島市で行なった講演で以下の発言をしている。 「中央銀行の金融政策にとって、物価の動きと予想物価上昇率の動きは大変重要です。しかも見通しも下がっている時に、放置できるということがあり得るのだろうか、私は金融政策運営者としてそれはできないというのが最大の理由です。それはマネタイゼーションへの懸念を越えて重要な問題だと思います」(出所はこちら)。 つまり、デフレ脱却に向けた2%インフレ目標を達成することの方が、財政ファイナンスに対する懸念よりも重要と説明しているのだ。白井委員は優秀な専門家で、本来ならばここまで踏み込んだ発言をしないはず。10月31日に放った追加緩和に関する整合的な説明がいかに難しいかを象徴する発言だ。 なお、財政ファイナンスには2種類ある。一つは、「中央銀行(日本では日本銀行)による国債の直接引き受け」だ。政府が発行した国債を、市場を介さずに日銀に買ってもらうことを指す。これによって、国債を償還するのに要する当面の財源を確保するわけだ。つまり、「国債と引き替えに、中央銀行が紙幣を刷って政府に渡す」ということである。 こんなことが許されれば、市中に紙幣があふれ、その国の紙幣に対する信頼は失われてしまう。紙幣の価値が急速に下がっていき、結果的に高インフレーションを引き起こす可能性が高まる。このような状況は国民の経済生活が劇的に脅かされる事態であるから、中央銀行による国債の直接引き受けは、財政法第5条で原則禁じられている。 もう一つは、「節度を失った量的緩和」による財政ファイナンスである。日銀は公式には、デフレ脱却を目的に異次元緩和を行っている。例えば、2014年11月12日の衆院財務金融委員会において、日銀の黒田東彦総裁は「大量の国債購入はあくまでも金融政策運営上、2%の物価安定の目標を実現するために必要な手段として行っているものであり、財政ファイナンスを目的にしてない」と答弁している。しかし、現状には、実質的な財政ファイナンスに陥っている蓋然性が高い。 金融抑圧は債務を圧縮する秘密技 では、財政ファイナンスを続けたその先に何か起こるのか。これは政府・日銀の政策判断もあるため、筆者も現時点では断言できない。しかし、対応するための政策の1つとして考えられるのは、第二次世界大戦後の英国が行った「金融抑圧」かもしれない。金融自由化が完成し、海外との間で資本が自由に行き来する現代日本で、政策的に実施可能か否か、現時点で完全に見極められることはできないが。 過剰債務を抱えた政府はさまざまな政策手段を駆使して、債務を圧縮または帳消しにしようとする。その典型が「債務再編(例:国債のデフォルト)」や「突然の高インフレ」である。しかし、これらの債務圧縮はハードランディングで強烈な痛みを伴う。それよりもソフトな路線として、「金融抑圧」という手段がある。 金融抑圧とは、政府・中央銀行が市場実勢と比較して非常に低い水準に金利を規制あるいは誘導しつつ、金融機関や個人にきわめて低い利回りで国債を引き受けさせることを指す。筆者は、広義にはこれも実質的な破綻と見なしていいと考えている。 金融抑圧によって、政府債務(対GDP)が圧縮できる理由は単純だ。政府債務(対GDP)の分母は「GDP」、分子は「政府債務」である。分母は「名目成長率」、分子は「名目金利(国債の利回り)」に応じて大きくなる。 数年前に掲載した「経済成長に頼る財政再建はギャンブル」で説明したように、名目成長率と名目金利は通常、似た動きをする。好景気ならば成長率が高まり、資金需要が増加して金利も上昇するからだ。一方、不景気ならば成長率は低くとどまり、資金需要も低迷し金利が低下する。 つまり、長い目で見れば「名目成長率≒名目金利」と言える。従って、基礎的財政収支を黒字化しない限り、政府債務(対GDP)を圧縮するのは容易ではない。 しかし、何らかの政策で、名目金利を名目成長率よりも低い水準まで抑制することができれば話は違ってくる。「名目成長率>名目金利」ならば、分母の増加が分子の増加よりも大きくなるので、時間が経てば政府債務(対GDP)は縮小していく。 なお、金融抑圧は金利を市場実勢よりも低い水準に誘導するため、実は預金などに対して見えない形で課税しているのと同じ効果をもつ。このため、「金融抑圧税」とも呼ばれる。 英国の金融抑圧税はGDPの1.26倍に及んだ 冒頭に紹介した第二次世界大戦後の英国は、この金融抑圧を利用して過剰な政府債務を圧縮した事例なのである。事の始まりは1945年。この年、労働党政権のドルトン蔵相は、国債価格を維持するため、1932年から続いてきた低金利政策をさらに強化し猛烈な低金利政策を実行した。この超低金利政策が廃棄されたのは1951年だ。この間、図表2のとおり、金利(10年物国債)は成長率よりも低い水準に抑制された(図表の「金利・成長率の差」を参照)。そして、この傾向は、金利の自由化が進む1980年頃まで続いた(注:有名な金融ビッグバンは1986年)。 なお、カーメン・M・ラインハートらの研究によると、1945〜1980年の35年間において、金融抑圧税は対GDP比で年間平均3.6%にも達した可能性が高い旨の報告がある。これだけの増税を35年間も行えば、単純計算でも、政府債務(対GDP)は126%ポイント(=3.6%×35年間)減少する。 対GDP比で3.6%の金融抑圧税を日本に当てはめてみよう。現在の日本のGDPは約500兆円であるから、国民の資産である預金などに対し年間平均15兆〜20兆円にも及ぶ増税を(見えない形で)35年間も継続して行なうことを意味する。 金融抑圧の詳細については、一ノ瀬篤の著書『国債管理とスタグフレーション 一つの戦後イギリス経済論』(新評社)やウイリアム A. アレン氏が書いた “Monetary Policy and Financial Repression in Britain, 1951 - 59.”を読むことをお薦めする。 図表2:英国の政府債務や長期金利などの推移 (出所)Bank of England もっとも、英国が行ったような「金融抑圧税」を現代日本で機能させるためには、解決しなければならない問題がいくつかある。これが、冒頭で「これは間違った理解だ」と指摘した理由である。 まず、基礎的財政収支の均衡を図る必要がある。当時の英国では終戦で戦費調達は不要となり、政府債務の急増は緩やかになった。しかし、現在の日本では、高齢化で急増する社会保障費の問題は今後も継続するので、政府債務の増加を抑制するためには、歳出削減や増税で収支の穴を閉じなければならない。 その上で、名目成長率を高くする必要がある。名目成長率が重要となるのは、既に述べたように、政府債務(対GDP)の分母は「GDP」で、これは「名目成長率」に応じて大きくなるからだ。名目成長率は「実質成長率」と「インフレ率」に分解できる。実質成長率を長期的に上昇させ、インフレ率を高めるのは至難の技である。 まず、少子高齢化や人口減少が急速に進む日本経済において、実質成長率を上昇させるのは容易でない。そもそも、1980年代の実質成長率は平均で4.7%であったが、90年代には平均で1.1%まで低下し、その後は0.7%程度と低迷している。加えて、50年後の日本経済を展望する、政府の「選択する未来」委員会の最終報告書(2014年年11月公表)は、人口減を放置し、生産性も低迷した場合、2040年以降、年平均でマイナス0.1%程度の低成長に陥るとの試算を明らかにしている。 では、インフレ率はどうか。これは概ね2つの方向性がある。一つは、貸し出し需要が強く増加し始める中で、金利が正常化する場合である。その場合、「アベノミクスの出口戦略を考える」の回で説明したように、貨幣数量説が復活し始める。その過程で、高いインフレ圧力が徐々に顕在化していく可能性があり、金融抑圧は実行可能となる。 その際、「1990年に崩壊した日本の不動産・株式バブル期(1985〜89年)のインフレ率は、コアCPI(生鮮食品を除く消費者物価指数)の対前年平均で1.2%に過ぎなかった」という指摘が考えられる。だが、オイルショックが原因で1974年にコアCPIが対前年22.5%に急上昇した。70年代のインフレ率は、平均9.2%であったという事実認識も重要である。何が原因でインフレ率が急増するかは、誰にも予測することが不能だ。 また、膨大な政府債務を抱える中、金利が2%上昇するだけで、債務の利払い費は7〜8年程度で約20兆円増加する。国債の利払い負担の軽減を目的とするならば、金融政策による金利引き上げは禁じ手となってしまい、民間金融機関に負担を強いる法定準備率の引き上げにも限界があるとすると、日銀は物価の制御が困難となるリスクを抱えることになる。そのようなケースでは、英国が行ったような直接貸し出し規制などを実施し、高いインフレ圧力を許容範囲に留める必要が出てくるかもしれない。 なお、1971 年にイングランド銀行は「競争と信用統制」(Competition and Credit Control)を発表するまで、インフレ抑制のため「緩やかな直接貸し出し規制」を行った。景気が過熱してくると中央銀行が金融政策(例:金利や法定準備率の引き上げ)のみでインフレを抑制するのは難しい場合が存在するからだ。例えば、ブラジル中央銀行がインフレ目標を設定し、金融引き締め政策を実施しているが、高いインフレ率の封じ込めに成功していない。つまり、いま日本でデフレを脱却するために日銀が異次元緩和を行ってもなかなか脱却できないのと同様、インフレの抑制も容易とは限らないのだ。 もう一つは、通貨安が進むのみで、貸し出し需要が強く増加しない場合だ。これは今の日本の場合に当てはまる。例えば、日本経済研究センターは「人口減や地域経済の成長力を踏まえると、2025年度には対象となった101行の地域銀行の7割で貸し出しが減る可能性がある」(日経新聞2014年12月6日電子版)との見通しを示している。また、急激な通貨安で円安倒産の増加懸念も広がりつつあるが、異次元緩和による円安で原油価格を中心に輸入物価が上昇しても、現状のインフレ率は1%程度にとどまる。総務省が2014年11月下旬に発表した10月のコアCPIは、4月の消費増税の影響(約2%)を除くと、前年同月比で約0.9%でしかなかった。このようなケースでは、望ましい政策ではないが、何らかの形で強引にインフレを起こさない限り、金融抑圧を実施することは難しい。 以上のとおり、実質成長率の低迷が続く日本経済において、異次元緩和にも限界がある中、強引にインフレを起こさない限り、政府債務を大幅に圧縮する「金融抑圧税」を機能させるのは容易でない可能性が高い。むしろ、異次元緩和は財政規律を歪め、財政破綻のマグマを溜めるだけになる可能性がある。そのような状況の中、逆に突発的なインフレが起こった場合には、日銀は物価を制御できなくなり、それが急激な金利上昇を通じて財政を直撃するリスクがあるのだ。仮に日銀が異次元緩和で国債金利を抑制しても、(潜在的な)市場金利がインフレで上昇する中、国債の入札でどの程度の国債が消化できるかが、問題となってくるはずだ。 このコラムについて 子供たちにツケを残さないために、いまの僕たちにできること この連載コラムは、拙書『2020年、日本が破綻する日』(日経プレミアムシリーズ)をふまえて、 財政・社会保障の再生や今後の成長戦略のあり方について考察していきます。国債の増発によって社会保障費を賄う現状は、ツケを私たちの子供たちに 回しているだけです。子供や孫たちに過剰な負担をかけないためにはどうするべきか? 財政の持続可能性のみでなく、財政負担の世代間公平も視点に入れて分析します。 また、子供や孫たちに成長の糧を残すためにはどうすべきか、も議論します。 楽しみにしてください。もちろん、皆様のご意見・ご感想も大歓迎です。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20141205/274708/?ST=print |