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放置されたままの将来世代へのツケ回し 政府・日銀の一体化で失われた財政規律――日本総合研究所上席主任研究員 河村小百合
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141203-00063012-diamond-bus_all
ダイヤモンド・オンライン 12月3日(水)8時0分配信
11月21日、衆議院が解散された。安倍晋三内閣総理大臣は、2015年10月に予定されていた消費税率の10%への再引き上げを17年4月まで1年半延期し、こうした判断を総選挙で国民に問う、としている。
今回の安倍政権のこのような判断や、これまでの2年間の政策運営は、わが国の今後の経済・財政運営にどのような影響を及ぼす可能性があるのだろうか。それを踏まえたうえで、今後、わが国が政策運営上の優先的な目標として掲げるべき課題は何か、そのために求められる政策運営とはどのようなものかを考えたい。さらに、わたしたち国民は、わが国の経済や財政の先行きについて、今の段階で何を理解し、認識しておくべきかについて、述べることとしたい。
結論から言えば、安倍政権2年間の財政運営を評価すると、日銀による巨額の国債買い入れを背景に財政規律は緩み、歳出改革は行われず、政府債務残高は増え続けている。消費増税の先送りと日銀頼みの財政運営が続くとすれば、将来世代への悲惨なツケ回しの規模は大きくなるばかりだろう。
● デフレからの脱却 “目先”の景気浮揚が最優先
安倍政権は2012年12月の発足後、「デフレからの脱却」を最優先課題に掲げて、政策運営を行ってきた。白川前総裁の後任の日銀総裁には黒田東彦氏を任命した。その「黒田日銀」は「2%のインフレ目標の達成」のために、「異次元」の「量的・質的金融緩和」へと、金融政策の舵を大きく切り、年間70兆円というペースの国債買い入れを開始した。
安倍政権は事実上、このような日銀の政策運営を頼みに、大型の補正予算を組んで景気の刺激を図る、拡張的な財政運営を行ってきた。民主党政権時代に三党合意によって決定した消費税率の5%→8%への引き上げは14年4月に実施したものの、歳出削減はほとんど手つかずの状態だ。平成26(2014)年度一般会計予算の社会保障費はついに30兆円の大台に乗せた。税収が50兆円しか見込めないのに、一般会計の歳出規模は96兆円という状態が続いている。このように、「デフレ脱却」を掲げ、目先の景気浮揚を最優先とする政策運営を行う一方、抜本的な歳出・歳入改革の具体策を伴う真の意味での『中期財政計画』は結局策定できず、今に至っている。
こうした政策運営の結果は、財政指標に顕著に表れる(図参照)。先進国で最悪の一般政府債務残高の規模の増加傾向は止まらず、名目GDP比で250%に近づこうとしている。それにいつ歯止めをかけることができるのかの見通しも全く立っていない。財政赤字の幅は消費税率の8%の引き上げによって若干改善したものの、依然、対GDP比7%台という高水準のままだ。これは、債務残高の増加に歯止めをかけるどころか、今もなお、借金の積み増しを行い続けていることを意味する。
● 進む政府・日銀の一体化 失われたシグナリング機能
そして今回、安倍政権は、消費税率の10%への再引き上げを予定通りには行わず、先送りする方針を表明した。自民党の公約には「基礎的財政収支を20年度までに黒字化する」「黒字化目標達成に向け具体的な計画を来夏までに策定する」点が盛り込まれたが、その『計画』の中身は白紙の模様で、どの程度のものが盛り込まれるのか定かではない。
このように安倍政権が、消費税率の再引き上げを「安心して」先送りできるのも、日銀が14年10月に追加緩和まで行って、国債を「買い支え」、市場実態としては「買い占め」ているからであろう。国債市場では流動性が欠如している状態が顕著であり、短期国債にはマイナス金利がつけられるまでの異常な玉不足の状態に陥っている。通常であれば、市場が金利形成によって発するはずの「シグナリング機能」は、この国にはもはやない。
本来、安定的な財政運営は持続不可能と市場が判断すれば、国債は売られて市場金利は上昇する。予算編成上、国債の利払費が大きくかさむことになるため、政府は、金利上昇に歯止めがかかるまで財政再建・緊縮を余儀なくされる。これが市場の「シグナリング機能」で、市場経済のもとにある国に対して、市場という一つの客観的な眼によって自律的な財政調整を迫るものであるからこそ、重要なのだ。
放漫経営の企業にストップをかけられるのはメインバンクしかない。それこそが本来の「バンカー」の役割だろう。同様に、政府の放漫な財政運営にストップをかけられるのは本来、中央銀行しかないはずだ。
● 「安易な救済」か「自律を促す対応か」 実は対照的な日銀とECBの姿勢
「やれることは何でもやる」――これは欧州債務危機のさなかの2012年7月に、ECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁がロンドンでの講演で語ったフレーズである。そしてまた、日銀の黒田総裁が2013年春の就任時に述べた言葉でもある。しかしながら両中央銀行の実際の政策運営上の対応は大きく異なった。財政再建と国債買い入れの順番が逆なのだ。
ECBはソブリン債務危機が深刻化した2012年9月に、市場の攻撃に苦しむ重債務国の救済を念頭に、短・中期国債の無制限買い入れプログラム(正式名称は「アウトライト金融取引」、OMT)のスキームを導入した。その際ECBは、「救済申請国が身を切る抜本的な財政再建策を固めて着手するのが先、ECBによる短・中期国債の無制限買い入れオペはその後」という原則を貫いた。このスキーム導入のアナウンスは、大荒れの欧州の金融市場を鎮めるうえで大きな威力を発揮したが、実際のその後のOMTプログラム利用の結果をみれば、申請国はゼロで、重債務国救済のために無制限の短・中期国債買い入れが発動されることはなかった。
ECBは、重債務国の市場金利が危機で高騰するのを、あえて放置したともいえる。これは一見、「血も涙もない」政策運営であるように思える。しかしながら実際にはそうとも言えないだろう。ECBの立場からすれば、そうでもしなければ、いつまでたっても各国で財政再建が進まないと判断したからだ。各国は確かに短期的には、身を切る財政緊縮で大変な思いをした。しかしECBは市場の金利形成メカニズムも殺さなかったのである。
そしてそれから2年の月日が経過した今日、ユーロ圏経済は平常に復している。確かに危機の後遺症としての低インフレ化、デフレ化という新たな問題を抱えてはいるが、資本移動の自由、単一通貨ユーロといった、自由な経済活動を支える大きな枠組みはそのまま維持することができている。市場メカニズムが断絶することもなかった。企業、国民は自由な資本移動、自由貿易の恩恵を、引き続き受けることができている。
これがあのとき、ECBが重債務国に財政運営の条件を付けずOMT実施に踏み切っていたら、今頃どうなっていたことだろうか。債務残高200%超の国が、日本以外にもEUでも多発していたかもしれない。ユーロを維持できていたかも疑わしい。「安易な救済」か「血も涙もないが自律を促す対応」か、どちらが本当の意味で債務者自身のためになったのだろうか。
他方、日銀は、先進国中最悪、歴史的にも最悪の財政状況にあるわが国の政府が財政再建に取り組むのよりも先に、市場機能をマヒさせるほどの多額の国債を買い入れている。現時点で欧州のような危機に陥っているわけでもないにもかかわらず、である。ECBとは明らかに順番が逆だ。そうやって無理やり金利水準を抑え込み、時間を稼いでいる間に、政府が財政問題に正面から取り組み、国民に正直に事態を説明し、痛みを伴う改革に着手していくのであれば、そのような金融政策運営にも一定の意味はある、といえるかもしれない。
しかしながら、実際は違った。政府は「デフレ脱却」を旗印に、日銀買い入れを頼みにして、大型の補正予算を組むなどして、拡張的な財政運営をさらに続けている。主要国において近年、中央銀行の独立性を重んじる風潮が大勢であることからみれば極めて異例ともいえる、「政府と中央銀行が一体化した政策運営」が、わが国においては現実に行われているように見受けられる。自民党や民主党をはじめ、今回の総選挙の公約には、金融政策をとりあげているものがある。中央銀行が高い独立性を得ている主要諸外国の例をみれば、総選挙で主要政党が金融政策運営の方向性を掲げている例はまずみられないにもかかわらず、である。
安倍政権が財政再建に向けて打った有意な策は唯一、民主党政権時代に三党合意で決まっていた消費税率の5→8%への引き上げのみといってもよいだろう。一般会計の歳出規模は平成26(2014)年度当初予算でも約96兆円と、2008年のリーマンショック以降に膨張した100兆円近い規模がそのままで放置されている。26年度の社会保障支出はついに30兆円台に乗った。
筆者は今年も、行政事業レビューに参加する機会を得たが、例えば地方経済支援のためのプログラムでも、その場しのぎのバラマキのような政策が今なお出てくる。過去のレビューで「これでは抜本的な問題の解決につながらない」と指摘を受けていても、それでもまた、同じような政策が形を変えて出てくる。そして、その政策プログラムのなかには、この国の人口減という大きな社会情勢の変化のトレンドを見据えた、地方経済支援の抜本的な対策はほとんど出てこない。マクロ的な意味での財政運営然り、ミクロ的な個々の政策プログラムの組み方も然り、である。
● 国内債務のデフォルト 待ち受ける事態はいかなるものか
昨今、「中長期的な意味で国民の生活が安定的に営まれることを確保する」という本来の政治の目的と、逆行する方向にものごとが進んでいるのではないか、との思いを禁じ得ない。これは、経済や財政運営の問題に限らないだろう。目先の利益、とりわけ経済的な利益を最大化するために、中期的な国民の利益、後の世代、子どもたちの利益があまりにも軽視されてしまってはいないか。
そうした政策運営の行き着く先に待ち受ける事態は、経済・財政の面では、国の財政運営の行き詰まりだろう。わが国のように、国債の大半を国内で消化している国の財政運営が行き詰まったときに起こる国内債務デフォルトは、実はわが国自身が第二次大戦直後、今から68年前に身をもって経験しており、それは、2012年のギリシャのような対外デフォルトよりも、もっと厳しい痛みを国民にもたらすものだ(2013年8月19日付け拙稿「そして預金は切り捨てられた 戦後日本の債務調整の悲惨な現実」参照)。
● 議会制民主主義の機能不全 放置されたままのツケ回し
では私たち国民は、今回の総選挙で、どう行動すべきなのか。
本稿執筆時点での主要政党の公表情報や幹部らの発言を耳にする限り、わが国においては、残念ながら、財政事情の厳しい現実を正面から見据え、それを正直に国民に語りかけて解決策をともに考えようとする政党は、今回の総選挙においては皆無であるようだ。
本来はそれこそがこの国の最優先の課題であるはずだ。わが国の財政事情があまりにもひどすぎる状態になってしまっているため、とても正面から向き合うことはできない、ということなのだろうか。しかしながら、そうやってその場しのぎの政策運営を続け、総選挙の争点をあいまいにし、国民の眼をそらしていく間にも、わが国の財政状況はさらに悪化の一途をたどっている。国民が、とりわけ後の世代がいずれこうむらざるを得ない、悲惨なツケ回しの規模がますます大きくなることが放置されている。改善に向けた動きは極めて乏しいといわざるを得ない。
今あらためて思うことであるが、議会制民主主義とは、本来、多様な意見を取り入れて政策を議論し、お互いに歩み寄って必要な修正を加え、よりよい政策を練り上げていくためのものであるはずだが、それが機能しない状況に陥っているようだ。これは、経済や財政運営に限らず、金融政策運営や政府の他の重要な政策運営にも共通しているように思われる。
他の主要国では、あたりまえのこととして、それができている。アメリカの政府、議会然り、EU然り。Fed然り、ECB然りだ。特定の主義主張で押し通すのではなく、政策決定の場で多様な意見をぶつけ合い、反対意見にも謙虚に耳を傾ける。副作用や先行きのリスクを考慮して必要であれば修正を加え、着手する順番や時期を調整しながら、政策プログラムの最終形を練り上げていく。これこそが民主主義の本来の姿であろう。
足許の経済情勢に鑑みて消費税率の引き上げを先送りするのは、確かに一つの選択肢かもしれない。であれば、なぜ、その先送り期間を最初から1年半と決めてしまうのか。先送りを埋めるのに足る財源はどこから捻出するのか、中期的な財政再建に、具体的にどのように道筋をつけていくのか。今回の総選挙において、本来、各党が真剣に自らのプランを提示して国民とともに議論していくべきは、まさにこの点であろう。
財政再建は、「教科書に書いてあるからやる」ものでもなく、「他国との約束を守るためにやる」ものでもないはずだ。何よりもまず、この国のわたしたち国民が、後の世代が、子ども達が、引き続き安定した生活を、人生を送って行けるようにするために行うのだ。そのことを、今こそ、わたしたち国民一人ひとりが認識すべきだろう。
河村小百合
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