07. 2014年12月04日 07:06:08
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「引きこもり」するオトナたち 【第224回】 2014年12月4日 池上正樹 [ジャーナリスト] 全国から300人以上が表参道に集結! 「ひきこもりUX会議」の現場で感じた熱気と課題 東京都内・表参道で11月30日、元当事者8人が次々にプレゼンしていく「Tedカンファレンス」の方式で、「引きこもり支援」のあり方を提案しようという「ひきこもりUX会議」が行われた。 UXとは、ユーザー・エクスペリエンス(利用者体験)の略。会場の東京ウィメンズプラザのホールは、満席となる300人以上が全国から詰めかけ、支援者目線で支援されるのでなく、当事者が生の声で発信していこうという変革のうねりを感じさせた。 「不登校なら、学校に戻す。引きこもりなら、就労に向けて当事者を訓練するという支援の流れに少々違和感を抱いてきた。自分たちのことは、自分たちの言葉で伝えたい」 まず主催者の「新ひきこもりについて考える会」世話人の林恭子さんから、こうした「支援」と「多様性」をテーマにした会の趣旨が説明された。 「病院の壁に“支援のポスター”を」 引きこもりを救う希望の入り口に 長らく自助グループなどに関わった後、現在はNPO団体職員で「地域若者サポートステーション」相談員の岡本圭太さんは、 「『引きこもり』と言ってもらったことで、自分は安心できた」という自らの経験を紹介。 「医療にできることには限りがある。自立というのは、多くの依存先を持っていることだと思う。とくに、家族にしかできないことが必ずある」 と、家族が下支えしてあげるなどの環境整備の大切さを訴えた。 「不登校新聞」で「ひきこもるキモチ」を連載している石崎森人さんは、精神科通院歴13年。現在は、ベンチャー企業に勤める。 「親は、病院以外にも解決方法があるという発想自体、ありませんでした。当事者になると、調べるといった前向きな行動はできなくなる。だから、良いか悪いかは別にして、“こころの問題は病院に行け”という常識を利用しないのは、もったいない。つまり、他の引きこもり当事者とつながるには、病院が最大の接点になるのではないかと思います。しかし、率先して支援情報を紹介してくれた医師はいませんでした」 そこで、石崎さんは「病院に支援のポスターを貼る」ことを提案する。 「絶望的な気持ちで病院の待合室で待たされ、ふと壁を見たとき、引きこもりを支援してくれる人たちがいると知ることができる。まだ他の生き方があるよ、と言ってくれる人たちが、この社会にいることのわかるポスターがあったら、希望への入り口になるのではないか」 引きこもりドキュメント映画・主人公が語る 「元当事者が入らないと支援はうまくいかない」 中でも印象的だったのは、2001年、弟が制作した引きこもりドキュメント映画「home」に出演した小林博和さんだ。 「home」は、弟が兄の引きこもる実家にカメラを持って乗り込んで撮影したものを映画にした作品だが、その出演をきっかけに、小林さんは社会に出るようになった。その後、どうしているのかと思っていたら、塾・予備校の経営兼講師を務めながら、いまも全国で引きこもり支援活動を続けていた。 その強烈な作品の冒頭シーンを少しだけ上映した後、小林さんは満席の会場に向かって、こう思いをぶつける。 「当事者ではない方の支援がありますけど、引きこもりを経験していない人の支援は、感覚のところで本当の気持ちがわからないと思う。元当事者が中に入らない形での支援は、一旦成果が出たけどずっとは上手くいかないとか、話が続かないとか、機能してこないと思います。長野で私がやっている塾、予備校でも、不登校や引きこもりの人が多い。でも、出会いがあって、ここに来て良かったと言ってくれる。彼らには父の持っているマンションにも移住して来てもらって、私が面倒を見ています。いま引きこもっている人も、また引きこもりたくなった人も、人生を切り開きたいと思ったら、今日を機会に来てください。楽しい人生が待っているので」 他にも、高校中退してから二十数年引きこもり続けている『安心ひきこもりライフ』(太田出版)著者の勝山実さんから、和歌山県の“限界集落”に建てようとしているマイホームを紹介。出会いをきっかけに、用意された土地で小屋を建てる“ひきこもり村”構想についての漫談のような報告もあった。 この後、参加者同士、前後の人と会話する「ミニセッション」が行われ、プレゼンの時間が押した影響もあってか、会場からの「全体共有」は、駆け足で行われた。 ミニセッションは拷問だった、の声も 人数の多さなどによる今後の課題もあり さて、数多く参加していたであろう当事者たちは、どのように受け止めたのだろうか。 フェイスブックに600人以上が参加する「ひきこもり状態に関係ある人がシェアしたり報告したり繋がったり会ったり募集したり声かけあったりetcするグループ (仮称)」の管理人で、引きこもり界隈に大きなコミュニティをつくっている「おがたけさん」(ハンドルネーム)は、こんなことを感じたという。 「(近くに座った人同士で話し合う)ミニセッションは、拷問すぎるのではないか。先に告知してもらって、『話したくない人は目印を』とかできたはずだと思います。また、ふだん至近距離で話せる人もいたのに、なんだか(席から)遠くて寂しい感じがしました。 あれだけの人数がいたんだから、『ひきこもりで集まるやりかた』を提案・シェアすれば良かったのではないか。県の精神障害者当事者会・患者会連合体の方から『3人いれば当事者会が始められる。会に名前を付けて、定期的に行えば、それだけで当事者会になる』と聞いた。そういうことを提案したら、あの中から会をやろう、作ろうという発想を持つ人が出てきて、全国に広まったかもしれない。 小林さんだけが、そんな感じの呼びかけをしていた。ただ、具体的な方法の提示、シェアが必要だったと思う。 なるべく早めに、あのときの参加者も参加できる形で、振り返りと意見交換の場を作ってはもらえないかと思う」 おがたけさんの言う通り、参加者にとっては「告知」の情報がすべて。また、具体的な呼びかけがあったほうが、より広がりが生まれたかもしれない。 一方、「home」の映像の中には、(引きこもっていた当時の兄の)暴力シーンも出てきた。おがたけさんは、こう続ける。 「あれは事前予告もなく見せられるのは、かなりきついのではないかと思う。暴力表現は見る人を選ぶ。裁判員制度で遺体の写真を見せられてPTSDになった人があると思うが、同様のことがあり得るのではないか」 実際、筆者と一緒に参加した当事者女性は、体調が悪くなって途中で退席した。いざというときの逃げ場のない感じが、少し気になった。 とはいえ、当事者たちの思いを「Tedカンファレンス」方式で社会に伝えようという初めての試みでもあり、これから各地で継続していくためにも、振り返りはとても重要だろう。 別の30代当事者男性にも参加した感想を聞いてみると、こんなメッセージが返ってきた。 「ユーザーエクスペリエンスと銘打ってあるだけに、うなずけることの連続でした。なおかつ、支援者として活動している方も多いせいか、体験談に終わらない具体的な対応策に溢れていました。やはり当事者以外の人にも来て欲しい。当事者としてできることは、UX会議は我々の気持ちを代弁する素晴らしい会だと広く伝えることかなあと考えています。 ただ一方で、当事者としては人数の多さやフラッシュバックなどで体調を崩す要因になることも多く、私の友人も途中で退場せざるをえなくなってしまいました。ですので、私のような参加できる当事者や、興味を持ってくださる支援者の方々で協力して、是非とも続けていただきたいと思っています」 http://diamond.jp/articles/-/63153
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