03. 2014年12月02日 06:47:22
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「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」 風呂敷残業世代が生んだ過労死「睡眠3時間、家でも仕事せなあかん?」 持ち帰り残業は個人の問題ではなく“職場の問題” 2014年12月2日(火) 河合 薫 かわいい手書きのカラフルなイラストとともに書かれた、英単語。 「こんな風に楽しく教えてもらえたら、子どもたちも喜ぶし、教えるほうも楽しいだろうなぁ〜」 素直にそう思った。 わずか2カ月間で、英語の先生が“子供たちのため”に書いたイラストカードは、2385枚。1枚書くのに、10分ほどかかる。制作期間は、約2カ月だ。 1時間で6枚しかできないカードを2カ月で作り終えるには、毎日、7時間の作業が必要になる。 朝11時に出社し、夜の11時に帰宅。そのあと、毎日、毎日、7時間も、“子どもたちのため”にカードを作っていただなんて……、しんどすぎる。 「自分の仕事のできてなさ痛感の一日。あぁぁ自己嫌悪自己嫌悪……でも頑張って生きないとね……」 「最近綱渡りの日々なのです。毎日3時間睡眠ぐらいで戦っている(泣)。しかし準備が思い通り進まんくて悪循環から抜け出せない」 「行きたくないよ。毎日こんなんだ。なんか最近ほんま仕事が終わらんくて、出された課題もこなせんくて、皆さまからどう思われてるんやろって考えると鬱になる日々」 「昨日帰ってからなんか病んでもて仕事手につかんかった。家帰っても全力で仕事せないかんの辛い……でもそうせな終わらへんよな?」 この最後のメールの2日後、彼女は亡くなった。飛び降り自殺だった。 先月、金沢労働基準監督署は、2011年に英会話学校講師の女性(当時22)が自殺したのは、自宅で長時間労働する「持ち帰り残業」が原因だったとして、労災認定を下した。 前述のメールは、彼女が命を絶つ直前に、友人に送ったもの。業務命令で英単語を説明するイラストを描いた「単語カード」を2千枚以上自宅で作るという過酷な作業だけでなく、会社でも彼女を責めたてる“土砂降りのストレス豪雨”が容赦なく、降り注いでいた。 なんでこんなに自分は、仕事ができないのか? と追い詰められ、 みんなに迷惑をかけてしまう……、と落ち込み、 やらなきゃ、でもできなかった、と追い詰められる。 限界をとっくに超えているのに、本当は苦しいのに、それを苦しみだと認知できない心の複雑な動き。 誰だって、自分に100%自信を持つことなどできないから。認められたいし、認められることでホッとしたいし、どうにかして自分の存在意義を示したい。そんなズタズタになった自尊心と、やらなきゃいけない仕事と、時間的切迫度。そのどれもが、彼女を苦しめたのだ。 持ち帰り残業――。サービス残業同様、いや、それ以上に、極めてグレーな“働かせ方”であることは言うまでもない。 そこで今回は、「持ち帰り残業」について、あれこれ考えてみます。 かつての風呂敷残業は、働く人の意志で行われていた そもそも持ち帰り残業とは、かつての“風呂敷残業”の呼び名が、時代と共に変わったもの。風呂敷に仕事に必要な書類を包んで、家に持って帰る。残業もすれば、休日出勤もする。会社と働く人との距離感が極めて近かった時代の遺物でもある。 だが、当時の風呂敷残業は、労働者の意志で行われていた側面が強い。会社は働く人たちを大切にし、働く人たちは会社のためにとがんばった。この時代の日本社会、いや、日本株式会社(あえて国をこう呼びます)に存在した“共通の夢”が、それを可能にしたのだ。 悲惨な戦争経験から立ち上がって生きていくための、共通の夢。良い暮らしをしたい、美味しいものを食べたい、金持ちになりたい。日本株式会社の誰もが、「今よりもいい暮らし。豊かな暮らし」を求め、ひたすら走り続けた。 がんばる働く人たちを、会社は「がんばれ! いいぞ」と励まし、がんばった分だけ認めてくれる。そんな共同体としての関係が成立していたからこそ、風呂敷残業を自らの意志でしてまで、一緒に夢を追いかけたのだ。 ところが、バブルが崩壊し、この関係性は崩壊する。企業は、宝物だった働く人たちにリストラの刃を向け、生産性向上に躍起になり、働く人たちに風呂敷残業を“無言で”強いるようになった。 そう。無言の圧力。「家に持って帰ってでもちゃんとやんなよ。できない? だったら他にいってもらうしかないね。キミの代わりはいくらでもいるからね」――。決してそうは明言はしなかったけど、会社では終わらない仕事を自らの意志とは関係なく、家でやらなくてはならなくなった。 それに拍車をかけたのが、パソコンの普及と成果主義だ。 2000年代に入ると、風呂敷残業という言葉に変わって、「メール残業」「添付ファイル残業」が使われるようになった。メールに添付すれば、どんな膨大な書類も家に持ち帰れる。企業にとって「メール残業」は好都合。所詮、家でやる仕事なので、会社の管理外。「知らなかった。個人の勝手」という言い逃れができる。 成果主義が「メール残業」に拍車をかける おまけに、時代は成果主義だ。 個人目標を設定し、目標に対する達成度を個別に評価し、その評価に基づいて個別に賃金を決定する。ノルマを達成すれば、翌年にはいっそう高いノルマが課せられることになる。加えて、それまで5人でやっていた作業を3人でやるのが当たり前になったりすることで、1人の労働者がやらなくてはならない業務量は増えるばかり。 ノルマを達成しなければ、評価が下がる――。 ますますグレーな労働時間は増加し、「やらなければ終わらない仕事」を家に持ち帰り、家に帰っても全力で仕事せないかん」仕事を、抱え込まざるを得なくなったのである。 にも関わらず、今回の事件が明るみになるまで、持ち帰り残業になかなかスポットが当たらなかったのは、今の経営層の多くが、自らの意志で風呂敷残業をやっていた世代であることが大きい。 取引先との飲み会 会社から指示を受けた資格取得の試験勉強 テストの問題作りや採点 研修などのレポート これらも当然、持ち帰り残業になるわけだが、 「え? これも会社の仕事とみなされてしまうのか?」 と、腑に落ちない。 「最近の人たちは、この資格を持っていたほうがいい、と上司がアドバイスをしても、“それって業務命令ですか?”と聞いてくる。業務命令じゃなくても、自分の仕事に役立つから言っているのに。そういうモチベーションはないのかね。自分たちのときは、必死で勉強したけどね」 以前、証券関係の企業に勤める方が、こう嘆いていたことがあったが、もし、その資格が「業務を遂行する上で必要」と会社が公式に認識しているのであれば“業務命令”にすべきだ。でもって、残業手当も付けるべき。 だが、おそらく公式に認めやしない。どこまでも働く人の個人裁量に任せ、企業の理屈が優先される。しかも、そういう会社のトップほど、 「うちは残業をさせません。ワークライフバランスを徹底していますから!」 などと飄々というから、呆れてしまう。ちゃんと残業を認め、残業手当を付けるほうが、よほどワークライフバランスなのに、それがわからない。会社にいなけりゃ、ワークじゃない。とっくに会社と労働者の蜜月は終焉を迎えているのに、それが理解できないから、「持ち帰り残業? 何が悪い?」と、なってしまうのだろう。 日本より、ドイツ、イギリスの方が持ち帰り残業が多い? っと、少々突っ走り気味に批判してしまったが、 「家帰っても全力で仕事せないかんの辛い……でもそうせな終わらへんよな?」 という言葉が重たすぎて。かわいい手書きの教材のギャップが大きすぎて。つい、感情的になってしまった。しばし反省。 そこで、他の視点から「持ち帰り残業」を捉えてみようと思う。取り上げるのは、「労働時間、持ち帰り残業、労働のインテンシティについての日独英比較」と題する論文である。 内閣府経済社会研究所と経済産業省が、日本、ドイツ、イギリスで働くホワイトカラーの労働者を対象に調査を行った結果、日本に比べ、ドイツ、イギリスの方が持ち帰り残業をしている割合が多いことが分かった。日本独特の悪しき風習と思われがちな「持ち帰り残業」が、海外にも存在し、しかも“日本以上”だったのである。 週当たりの持ち帰り残業の平均時間は、日本では0.515時間。ところが、ドイツはその6倍に迫る2.850時間もあり、イギリスに至っては、3.319時間もあった。 ただし、……。た・だ・し、職場での労働時間は日本が一番高いので、終業時間と始業時間の差で定義した労働時間と、持ち帰り残業の時間を合計すると、1日当たりの労働時間はほぼ同じになる。 しかも、日本では年齢が低いほど、1日あたりの労働時間、労働時間と持ち帰り残業時間の合計の両方が長くなる傾向があるが、ドイツとイギリスではそのような関係はない。 また、職種については、ドイツ、イギリスでは管理職の持ち帰り残業時間が長いのに対して、日本では、営業や販売の持ち帰り残業時間が長かった。 つまり、アレだ。少々、乱暴なまとめ方ではあるが、日本では若い人ほど多く働かされ、偉くなると働かなくなる傾向が確かめられたのである。 で、この論文では、どういう状況で、持ち帰り残業をしているかが分析されているのだが、これらを見ると「持ち帰り残業が多いワケ」が納得できる。 日本では年齢や家族形態がほとんど影響ないにもかかわらず、ドイツやイギリスではそれらが、強く関係していた。 日本では、配偶者がいると労働時間が長くなり、配偶者が就業していると更にその傾向が強くなる。 仕事量が多いと日本、イギリスでは持ち帰り残業時間が長くなるが、ドイツではそのような関係が見られない。 イギリスでは、「良い仕事をするためには、働く時間を惜しむべきではない」とする人ほど、持ち帰り残業が長くなった。 持ち帰り残業は、職場の問題 以上の結果から、イギリスとドイツでは、自分のライフスタイルや、個人の仕事に対する意識によって、仕事を職場でするか家に持ち帰れるかを、個人レベルで柔軟に選択していると解釈できる。 家族と過ごす時間と自分の仕事時間を融合させ、上手く組み合わせることで、「家族がいる家に帰りたいのに、仕事があるから帰れない」という状況を、上手く回避させている。 かつての日本株式会社のビジネスマンたちにとって、持ち帰り残業が「会社のためであり、自分のためであったように、イギリスやドイツのビジネスマンたちは、「家族のため、自分のため」に仕事を家に持ち帰った。 どちらも、働く人の意志次第。同じ残業でも、「やりたいからやる」のと、「やらされる」のとでは、全く違う。問題は、持ち帰り残業という行為そのものではなく、そこに意志が存在するか否か、なのだ。 先週、NHKの夜のニュースで、「持ち帰り残業をなくす取り組み」をした結果、残業時間が半分に減り、売り上げが14%伸びたという企業を紹介していた。 「昨日は5件担当の予定だったけど、できたのは1件だったんですね」と、朝会議で新人社員に問いかける上司。 「はい。1件目の顧客の電話対応に追われてしまい、他の4件の処理ができませんでした」と、5件の資料作成の予定が1件しか終わらなかった理由を、メンバー全員に報告する新入社員。 こんな朝のワンシーンが映し出された。 この会社では、社員が毎朝業務の開始直後に1日の予定を上司と同僚にメールする。 夕方、業務終了直前に達成度を再びメールして帰宅する。翌朝、上司は2つのメールを比較して社員がやり残した業務を部署全体で把握することで、社員が1人で仕事を抱え込まないようにしているのだという。 「自分ができなかったことは“できない”と周りにわかってもらうことで、アドバイスをもらってフォローもしてもらっている」 こう語る前述の若手社員を番組では、「よかったじゃない。やっぱ、できないことはできないって言ったほうがいいよね」というニュアンスで伝えていたが、私は複雑な気持ちになった。 みんなの前で「できなかった」と報告するのは、ホントに必要なのか、と。 どんなに、「できないものはできない、と言うのが大事」でも、「なんで、僕はこんなにできないのだろう。周りに迷惑をかけてしまう」と自己嫌悪に陥ってしまう日だってあるに違いない。残業時間が減って生産性が向上したのも、仕事の早い人がより多くの仕事をやらされるようになったからじゃないのだろうか? だって、残業が発生している、という時点で、既に業務量は適正じゃないのだ。個人の問題ではなく、会社の問題。 「家帰っても全力で仕事せないかんの辛い……でもそうせな終わらへんよな?」――。 意志なき持ち帰り残業があるかどうか。上司の方はどうか、今一度部下たちを見渡してください。 このコラムについて 河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学 上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20141128/274425/?ST=print |