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ビッグホリデーの破天荒経営 20歳で創業し年商800億円、取引先への忠誠心で大胆行動
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141128-00010004-bjournal-bus_all
Business Journal 11月28日(金)6時0分配信
旅行代理店大手のビッグホリデー(東京都文京区、岩崎安利社長)が11月19日、創業50周年記念パーティを開いた。都内のホテルで開かれたパーティには1000人以上もの招待客が溢れ、口々に祝意を唱えていた。中でも伊東信一郎ANAホールディングス社長、加賀美俊夫オリエンタルランド会長などの来賓がこぞって讃えたのが、創業社長である岩崎氏の経営力、そして人間的な魅力である。
岩崎氏が現在では年商800億円規模にまで成長した同社を創業したのは1964年、20歳の時だった。夜学の高校を卒業して、昼間働いていた旅行会社の見よう見まねで同社を創業した。高校卒業即創業など滅多にあるケースではなく、当初の社名は北日本ツーリスト・ビューローだった。三畳の広さで始めた街の旅行代理店を、岩崎氏は情熱と戦略で拡大していく。
バス旅行を拡充させようと、ブルーバス社(現千葉中央バス)の代理店になると、ブルーバスとは資本関係もないのに自社の名前を東京ブルー観光社に変更して(69年)、代理店としての覚悟を示した。
この同社の「取引先へのきっぱりとしたコミットメント」はその後も続く。街の代理店としては敷居が高かったANAからの販売代理権を得るときには、「他の航空会社の切符はこれからも一切扱いません」と、旗幟を鮮明にした。この姿勢が評価され、後に都内に中小約600社もあった街の旅行会社に対するANAの専売代理店として認められた。一方でそれら約600社の旅行会社にも、ANAの航空券を扱うようにまとめ上げてしまった。こんな豪腕経営者は滅多にいない、そして人間的魅力がなければ成せない戦略である。
筆者は岩崎氏とビジネス上の関係を71年に初めて持った。当時主催していた学生スキーバスのバスのチャーター先を探して、まだ板橋区にあった東京ブルー観光社を訪れたのである。飛び込みで入って来て、「バスを10台志賀高原に出してくれ」と無茶を言った学生を、営業所長と名乗る岩崎氏が真摯に対応してくれ、太っ腹に受注をしてくれた。岩崎氏は実際はオーナー社長だったのだが、「若いので営業所長なんて言っていたんだ」と、その後20年ぶりくらいに再会した時に笑って言った。まだ弱冠28才だった岩崎氏は、それにしては貫禄があったし、剛毅で愛嬌のある「営業所長」だった。
85年にビッグホリデーに名称変更以後の業容拡大や活躍については、すでに数多く報道されており広く知られているが、経営者のみならずビジネスパーソンが、岩崎氏の類いまれで大胆な行動力から学ぶ点は多い。
山田修/経営コンサルタント、MBA経営代表取締役
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