01. 2014年11月27日 07:53:52
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「世界のモノ作りの“地殻変動”にどう対応すればいいですか?」 ボストン コンサルティング グループのハロルド・サーキン氏に聞く 2014年11月27日(木) 中野目 純一 製造業の生産拠点をコストの低い海外に移す「オフショアリング」。その先陣を切っていた米国のメーカーが、中国などの賃金上昇に伴うコスト増大をきっかけに、生産拠点を自国に戻す。そうした「リショアリング」の動きをいち早くリポートしたのが、米コンサルティング会社、ボストン コンサルティング グループ(BCG)の「メード・イン・アメリカ・アゲイン」という報告書だった。 この報告書を執筆した同社のシニアパートナー、ハロルド・サーキン氏が、主要輸出国25カ国の生産コストを2004年と2014年の2時点で比較する調査を実施。その結果、各国の生産コストは過去10年で大きく変化し、生産拠点は低コスト国への「集中」から「世界各地域への分散」が進むとするリポートをまとめた(詳細はこちら)。 実際にどのような変化が起きているのか。日本のメーカーはそれにどう対応すればいいのか。サーキン氏に見解を聞いた。 (聞き手は中野目純一) 世界の主要輸出国25カ国の生産コストを10年前と比較する調査を実施されました。その結果、調査対象の国を4つのパターンに分類できるとしています。それぞれのパターンの特徴を教えていただけますか。 ハロルド・サーキン氏(写真:陶山 勉、以下同) サーキン:分かりました。第1のパターンは、「アンダープレッシャー(Under Pressure)」と我々が呼んでいるものです。このパターンに当たるのは、かつては生産コストの低かった中国、ポーランド、チェコ、ロシア、ブラジルなどです。これらの国々では、生産コストの急激な上昇が見られます。
例えばブラジルでの生産コストは、10年前に比べて25%以上も上昇しました。かつてはブラジルの生産コストは米国のそれを下回っていましたが、今は逆に上回っています。 第2のパターンは、「ルージング・グラウンド・カントリーズ(Losing Ground Countries)」です。10年前に既に生産コストが高かった国々で、生産性が向上しない一方でエネルギーコストが増大し、コスト競争力がさらに低下しています。オーストラリア、ベルギー、フランス、イタリア、スウェーデン、スイスが該当します。 3番目のパターンは、「ホールディング・ステディー・カントリーズ(Holding Steady Countries)」です。比較的コスト競争力を維持できている少数の国々で、英国、オランダといった先進国とインド、インドネシアなどの新興国が混在しています。 最後のパターンは、「ライジング・スターズ(Rising Stars)」で、メキシコと米国がこれに当たります。人件費の上昇が緩やかで、生産性が持続的に向上し、為替レートも安定。さらにシェールガス革命によって米国のみならず、NAFTA(北米貿易協定)を通じてメキシコのエネルギーコストも低下しています。 生産拠点はどう見直せばいいのか? それらの4つのパターンを考慮して、グローバルに事業を展開するメーカーは生産拠点を見直す必要がありますね。 サーキン:確かにどこに生産拠点を設けるかを考え直す必要がありますが、その際に考慮すべき点は、顧客がどこにいるかです。というのも今後、工場のオートメーション(自動化)が進めば、国ごとの工場での製造コストの差は縮小していくからです。そうなれば、顧客の近くに生産拠点を設けた方がいいようになります。
一方で、それぞれの国に異なるリスクがありますから、生産拠点を1国に集中せず、分散させることも必要です。 生産拠点の立地場所としての日本はどうでしょう。4つのどのパターンに当てはまりますか。 サーキン:円高から円安に振れる前だったら、「ルージング・グラウンド・カントリーズ」に位置づけたでしょう。しかし円安の進行によって、「ホールディング・ステディー・カントリーズ」に近づいています。 日本はモノ作りをあきらめるべきではない 確かに円安が進みましたが、一方で東日本大震災が起きた後、エネルギーコストが高騰し、生産コストの上昇要因になっています。 サーキン:日本は石油に依存しなくてもいいように、もっと持続可能なエネルギー源を獲得する方策を見いだすべきです。 日本での生産コストが下がらなければ、生産拠点の海外移転に歯止めがかからないでしょう。その結果、いずれ日本は製品を生産して輸出することをあきらめなければならないのでしょうか。 サーキン:日本はモノ作りをあきらめるべきではありません。日本に限らず、どの国にとってもそうです。モノ作りで生産される製品は貿易品だからです。(資源の大半を輸入に依存する)日本がモノ作り立国であることをあきらめるのはナンセンスです。 当面はエネルギーコストが下がらないのであれば、生産性の向上などほかの面で努力するしかないでしょう。日本のメーカーは無駄を減らすことに長年努力してきましたが、一段と力を入れなければなりません。 日本では若い世代の人口が少ないことに加え、若者たちには工場での勤務を敬遠する傾向が見られます。こうした問題にどう対処すればいいのでしょうか。 サーキン:解決策の1つは、日本ではうまくいかないのかもしれませんが、移民の受け入れでしょう。工場で働きたがらない若者がいる一方で、(若年層の)サポートが必要な高齢者が増えるのですから、別の方法で生産年齢人口を増やさなければなりません。 もっとも、先述のように5年後のモノ作りは今とは様変わりしているはずです。生産におけるオートメーションの比率がはるかに高まり、工場で人が担う作業は力仕事よりもコンピューター制御などの頭脳作業が中心になる。工場に必要な人員を大きく減るはずです。 オートメーションのコストや投資コストが下がっていますから、オートメーションの導入は加速していくでしょう。 このコラムについて キーパーソンに聞く 日経ビジネスのデスクが、話題の人、旬の人にインタビューします。このコラムを開けば毎日1人、新しいキーパーソンに出会えます。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20141126/274306/?ST=print
「森一夫が見た リーダーシップの源泉」 シャープが考え抜いた「失敗の本質」
なぜ高橋興三社長は次のビジョンを打ち出さないのか 2014年11月27日(木) 森 一夫 液晶事業への大投資が裏目に出て危機的な状態に陥ったシャープは、銀行に支えられて経営再建の途上にある。昨年6月に社長になった高橋興三(60)は、あえて強力なリーダーシップを否定することにより、再生の基盤固めをはかっている。背景にあるのは、自社の失敗への痛切な反省である。 片山の口から出た「邪魔なら言ってね」という一言 高橋興三社長(写真:菅野勝男、以下同じ) 8月末、シャープの栄光と悲劇を背負った人物が同社を去った。2007年に社長に就任し12年に社長を退かざるを得なかった片山幹雄(56)である。9月1日付で日本電産に顧問として入り、10月1日付で副会長に就いた。シャープでは10年に竣工した大阪府堺市の巨大な液晶パネルと太陽電池の工場の建設を指揮した。08年に米国で起きたリーマンショックによる世界的な金融危機や円高の影響もあって、堺工場への約4300億円の投資が結果的に、同社を倒産寸前に引きずり込んだ。
片山が専務から社長に昇格したのは、49歳の時である。当時、役員25人の中で最年少だった。自信家で行動力に富む片山は液晶事業に初期から携わり、同事業の拡大にまい進してきた。前任社長の町田勝彦は01年に液晶テレビをいち早く発売して「液晶のシャープ」確立に指導力を発揮し、後継者に気鋭の片山を引っ張り上げたのである。 歴代トップの強いリーダーシップはシャープを成長させる原動力だったが、半面マイナスも大きかった。詳しくは後述するが、そうした事情が高橋を急きょ社長に押し上げた原因である。巨額の赤字にあえぐ中で常務執行役員から社長に起用された奥田隆司が昨年6月、在任わずか1年3カ月で取締役も外れ「会長」に退いた。 代わって前年に副社長になったばかりの高橋が社長に昇格したのである。会長だった片山は「フェロー」に、町田相談役は前任社長の辻晴雄と同じ無報酬の特別顧問にそれぞれなった。辻は13年末に特別顧問を退任した。要は大物OBたちが経営に関与できない体制にしたわけである。片山は一応、技術顧問のような役割を与えられ、大阪市の西田辺にある本社を離れて天理工場(奈良県天理市)に移った。 しかし閑職のまま、くすぶらせておいてよいのか。片山の先行を高橋は心配した。「彼は3歳下なんです。社員の気持ちもいろいろですので、シャープへの復帰は難しい。どうしたものかと悩んで、ある人を介して、(新しい仕事の口を)相談していたのです」。 日本電産に移籍する人事が明らかになる1カ月ほど前、高橋は声をかけて片山と食事をした。「邪魔なら言ってね」という微妙な言葉が片山から出た。「そんなことはないよ」と高橋は返したが、片山を“戦犯”と見る社員もいる。間もなく逆に会食の誘いを受けて、そこで日本電産の話を聞かされた。「素晴しい会社だし、本人もやる気になっているので、『いいじゃないか』と賛成しました」と高橋は振り返る。よほどほっとしたのだろう。普段は二次会に付き合わない高橋が、片山に連れられてワインバーにはしごした。 フェローの人事は取締役会の決議は不要だが、取締役会後の役員懇談会で社外取締役3人を含むメンバーに報告した。「実はフェローの片山が9月1日付で、社名は発表まで申し上げられませんが、違う会社に行きます。その会社とは事業上の競合関係はありません」。 日本電産に移籍したシャープ元社長の片山幹雄氏 ほどなく日本電産の社長永守重信が挨拶にやってきた。その日の日本経済新聞朝刊がこの人事を特報した。「まあ、ああいう話は漏れるものですから」と、永守は上機嫌だったそうだ。片山はまだ50代である。再出発は本人にとってはもちろん、パワフルな元社長が社内からいなくなってシャープにとっても好ましい。互いにいわばウィン-ウィンの決着といえる。
片山はフェローに退いてから約9カ月の間に、自らの失敗の本質を高橋に語ったのだろうか。「聞いていない」と高橋は言っている。「片山とは月に一回も顔を合わせませんでした。彼自身が本社から身を遠ざけていました。新聞や雑誌などが、事実かどうかは別にして、前の社長たちが経営にいろいろ関与したと書いていますからね。片山は私に接触するとまた同じことをしていると思われるので、避けていたのでしょう」。 出した答えが「シャープのおかしな文化を変える」 町田や片山は苦境を乗り切ろうと精力的に動いた。12年3月に発表した台湾の鴻海精密工業との資本業務提携を主導したのは当時会長だった町田である。その8月、鴻海と出資条件を巡る交渉に当たったのは、相談役に退いた町田と代表権のない会長になっていた片山である。さらに資本増強のために片山は外資からの資本導入を求めて飛び回った。社長の奥田は影が薄かった。意思決定権者は誰なのか、こうした混乱が、同社の危機的なイメージを増幅した。 結局、奥田は短命に終わる。高橋への社長交代の真相は薮の中だが、二枚看板、三枚看板の異常事態を正すことが大きな力となって働いた。企業統治が不安定では、資金繰り上、唯一の頼りとなった金融機関の信用をつなぎ止められない。昨年5月の社長交代が内定した時の記者会見で、社長の奥田は「今回、役員人事を大幅に見直して、これまでのシャープと決別する」と発言し、さばさばとした表情を見せた。 さらに「何をやるにしても、今度はすべての権限と責任が高橋に集中するわけなので、この形を私も片山も崩さないようにやって行きたい。これによって新生シャープは再生できると思う」と述べている。高橋はかつての大物たちを反面教師に、違う経営スタイルをとっている。 「テレビをすべて液晶に変える」と言った町田や、「21世紀型コンビナート」とうたって巨大な堺工場の成功を夢見た片山などとは一線を画して、大戦略を語らない。社長内定以来、一貫して発信しているメッセージは「シャープのおかしな文化を変える」である。企業文化の改革も大事だが、事業を今後どうするのか。しかし液晶や太陽電池に代わる成長事業をこうして創出するといったビジョンを打ち出そうとはしない。 「証券アナリストからは『シャープの高橋は何も考えていないし、何も方向性を示さない』と、厳しい言葉をもらっています」。周囲から自分に批判や不満が向けられていることは重々承知のうえなのである。それになぜ応えようとしないのか。 同社は昔、関西家電3社の中で、パナソニックと同社に吸収された旧三洋電機に次ぐ三番手に留まっていた。それが液晶テレビで大躍進した。連結売上高はピークで3兆4177億円、同じく営業利益は1865億円を稼いだ。ところが一転して、13年3月期までの2期合計で9214億円の純損失を出した。どうしてここまで悲惨な状態に追い込まれたのか、それへの答が「おかしな文化を変える」なのである。 常務執行役員米州本部長で米国に駐在していた高橋に、「副社長で戻って来い」と片山から電話が入ったのは、12年の3月下旬だった。「米国に来てまだ2年なのに帰れでしょう。それもいきなり副社長と言われて驚きました」。本当にびっくりするのはまだ早かった。4月1日付で、片山から奥田への社長交代とともに、副社長執行役員営業担当兼海外事業本部長になる。6月には代表取締役副社長執行役員と異例のスピード昇進である。 それまで奥の院である取締役会で、「どのような議論によって意思決定がなされてきたのか知らなかった」と言う高橋は、大赤字の実相に初めて向き合ったという。「えらいこっちゃ、つぶれると思いましたよ」。ショックは大きかった。「米国にいた時に、創業130年あまりのイーストマン・コダックが米連邦破産法11条の適用を申請して倒産したのです。私が帰ってきた年は、シャープが創業100周年だったので、まるで同じものを見ているような既視感にとらわれました」。 修羅場に放り込まれた3人が出した結論 12年4月1日付で一緒に常務執行役員から副社長執行役員になった技術担当の水嶋繁光は1980年の同期入社である。12年3月期連結決算は過去最大の2900億円の純損失を予想していた。事態は深刻だったが、これで業績は底を打ち「後は上がるだけやな」と水嶋と話していた。だがそれは甘かった。ヨーロッパからから戻って同じ4月1日付で常務執行役員経理本部長になった大西徹夫は席を温める間もなく、赤字予想を3800億円に拡大する下方修正の発表を余儀なくされた。 いやでも、どうして目も当てられないような状態になったのか考えざるを得ない。高橋は静岡大学大学院工学研究科の修士課程を修了して、入社後16年間、複写機の技術開発に従事した。水嶋も理系で大阪大学大学院基礎工学研究科の物質創成専攻博士後期課程を修了し、液晶の技術開発が長い。12年6月から代表取締役副社長執行役員だ。 大西は大阪大学経済学部卒で2人より1年先に入社しているが、年齢はほぼ同じである。12年7月に代表取締役専務執行役員で経営管理担当兼経理本部長になり、財務を担当した。今年4月から代表取締役副社長執行役員である。同世代の3人は修羅場にいきなり放り込まれた者同士だ。シャープがなぜ危機に陥ったのか、意見をよくぶつけ合った。 高橋は、企業文化に本質的な問題があると結論付けた。「たった1人の意思で会社がつぶれかねない状態にまで引っ張っていけるだろうか。そこに至る前に止められなかったのは、1人片山のせいなのか、あるいは町田、それとも2人のせいか、無理でしょう。周りも従っていたのです。正しい方針だと思った人もいるし、ややこしいことには関わりたくないと黙っていた人もいたと思います」。 水嶋はこう語る。「副社長になって本社に足を踏み入れて、『えっ?』と驚きました。決してスーパーマンではないのに、会長、社長になると神様になる。その人たちをきちんと補佐するには、下から意見を言えるようになっていなければならないのです」。つまずいた堺工場の建設を例に引く。「あれは一つの判断としては正しい。しかし一方で違う考え方もあったはずです。やるという判断は間違いでなくても、やり切る力があったのか、十分に議論を尽くすべきだったと思います」。 大西は「コミュニケーションの問題がひとつあった」と考える。「企業規模が大きくなれば、組織が拡大して、組織の論理が出てきて、いわゆる官僚化します」と言う。身の安全をはかるなら、波風を立てずに権限を持つ上の判断に従うことだ。キジも鳴かずば打たれまい、というやつである。 シャープは創業者の早川徳次がシャープペンシルを作り、家電に転じてからも国産第一号の白黒テレビを送り出し、電卓や液晶画面を見ながら撮影できるビデオカメラなどのヒット商品をタイミングよく開発してきた。ところが液晶テレビと液晶パネルの事業に注力してから、話題になるようなヒットがほとんど出ていない。10年に売り出したタブレット型端末は、「ガラパゴス」と名前は奇抜だが、機能的に特徴を欠き鳴かず飛ばずだった。 技術担当の水嶋は危機感を抱いている。「10年前からヒット商品がなぜ出ないのか。これが今日の不振を招いていると我々も思っています」。水嶋は人材の質が低下したとはみていない。むしろ昔よりも平均的に知的能力の優れた人材が多く入社しているはずである。ユニークで面白い製品が生まれなくなったのは、やはり企業風土が変質したからだとの見立てだ。「上から言われたことをコツコツやっているだけでは駄目なんです。天の声の影響が末端まで広がっているというのが我々の認識です」。 「アホとちゃいますか。真剣に考えたら死にますよ」 高橋は言う。「仮に私がものすごいビジネスの方向を思いついたとします。『次はこれだ』と号令をかけて、それが巨大な事業になっても、10年か20年の寿命でしょう。シャープがその時代、時代に応じて新しい事業を生み出せる会社に変わらなければ、危機を脱しても、また同じことの繰り返しで行き詰ります。だから、おかしな企業文化を変えようと言っているのです」。 高橋と水嶋、大西の3人は議論を重ねるうちに、シャープの失敗の本質について認識が一致した。それを体した高橋が、先輩たちに翻ろうされた奥田に代わって社長になり、社員がチャレンジ精神を発揮できるように企業文化刷新の先頭に立つことになったわけである。 もっとも本人は「オレがやらなければなんて思いませんでした。逃げられないなという気持ちですよ。他に道が無かった」と言う。「僕が社長になれと言われた時は、資金繰り上必要だった1500億円の銀行融資はまだ確約が得られていなかった。5月14日に内定して記者発表した時には融資が何とか決まったけれど、もし駄目だったら私は1カ月でつぶれてます。そんな社長を誰がやりたいと思いますか」。 冗談も交えて、あけすけにものを言い、時に開き直る。運命のいたずらで社長になったが、性格は結構タフなようだ。どん底をはう会社のかじ取り役には向いているのかもしれない。「アホとちゃいますか。鈍感なんです。真剣に考えたら死にますよ。今でもね」と煙に巻きつつ、過去との決別をしたたかに進めている。 (文中敬称略、次回に続きます) このコラムについて 森一夫が見た リーダーシップの源泉 名経営者と言われる人物のリーダーシップの源泉はどこにあるのか。人間的魅力や高い能力はさることながら、リーダーをリーダーたらしめる条件がそこにある。長年、数多くの経営者を取材してきた筆者だからこそ描くことができるリーダー論。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141121/274147/?ST=print 「Dr.ノムランのビッグデータ活用のサイエンス」 ビッグデータが支える、25年ぶりの人工知能ブーム ロボット、自動通訳、IBMの「次の柱」もビッグデータの賜物 2014年11月27日(木) 野村 直之 ここ数回、米グーグル、米フェイスブック、米ツイッターなど大手ネット企業が、大規模なユーザー作成コンテンツを構造化して利便性を高めたビッグデータ活用を奨励し、特にAPI(アプリケーション・プログラミング・インタフェース)の形で公開することにより、企業や団体の広義のマーケティング活動を変革してきた事例を紹介してまいりました。 大量の構造化データは、一種の「知識」として様々な入力情報に多彩な加工(いわゆる有用情報の抽出、発見、集約などを含む)を施して出力させるのに役立ちます。この情報加工・生産を行う「知識」の役割モデルについては、以前の記事『ビッグデータが変えた「知識よりもデータが偉い」?』に簡潔に図解させていただきましたのでご参照ください。 半導体事業に代わるIBMの柱は「ツイッター分析」! 今月見聞したビジネス関係の記事で最も感慨深かったのが、日経コンピュータ・浅川直輝記者によるこの記事です。『60年続けてきた半導体製造を手放すIBM、「Watson」に社運を賭ける』 単に米IBMが米ツイッター社と提携した、というニュースリリースととらえた向きもあったようですが、その実態は、IBMの主力事業の1つの転換でした。 人工知能的なビッグデータ解析、特に膨大な非構造情報の代表格であるツイッターのテキスト情報を解析して、経営指針を左右する発見や仮説の検証を行い、生データ分析に基づくコンサルティングサービスを行う。これは、弊社・メタデータ株式会社がやっていることとあまり変わりません! メタデータ社のような零細ハイテクベンチャーはもちろん、つい最近上場承認されたデータセクションさん(橋本大也さん、澤博史さん、おめでとうございます!)、一足早く上場されたホットリンクさんのように、売り上げが数億〜10億円規模の会社であっても、一般ビジネスマンの方々の感想は「なるほど新産業の芽生えなのかもしれませんね。しばらくはニッチの新規ビジネスでしょうが」というものにとどまりそうです。 しかし、かつて「産業のコメ」とまで言われた半導体事業に取って代わり、次世代の高収益事業であるビジネス・コンサルティングに軸足をシフトしたIBMが中核事業に位置付けた、というニュースは、ビジネスマンの方々にとっても驚嘆に値するのではないでしょうか。上記リンク先記事1ページ目の下記引用と、3領域の重なりを示すベン図をご覧ください: “さらに注目すべきは、ツイッターとの提携が、IBMが注力領域とする「データ」「クラウド」「エンゲージメント(モバイル+ソーシャル)」といった3領域すべてに関わる案件という点” 本記事2ページ目の『無償版も提供、分析サービス利用者のすそ野を広げる』などは、零細ベンチャーとして脅威に感じる面もなくはないですが、それ以上にあのIBMが本腰を据えて主力事業と位置付けたくらい、まさに広大な潜在市場であることが世界に広く周知されたことはありがたいです。この連載が一貫して唱えている、「生データ(事実)に基づく俊敏な経営を目指して、より高度な分析、判断に注力すべし」と同じことを巨大な広報力で発信してくれて、多くの企業経営者のマインドが一斉に切り替わってくれることが期待されるからです。 IBM自身の行く末が本当にこの舵切りにかかっている、とIT proの中村編集長も語っています。『IBMを変えるのは、Watsonかイェッター氏か』 半導体事業売却の概要と、PCサーバー事業をLenovo社に売却など1月の発表についてはこちらの記事『IBM、赤字の半導体事業を15億ドル支払ってGLOBALFOUNDRIESに譲渡』にあります。やはり不退転の決意であることが伝わってきます。 クリックなしのネットショッピングをロボットが実現 いくらIBMといえども、B2Bすなわち企業向けのビジネスですから、一般消費者として、ビッグデータの分析、活用が浸透してくるのかは水面下、背後の動きであり、いまひとつピンとこないかもしれません。 一方これが、以前『ソーシャル・マシンの主役=アバター、対話ロボット』にてご紹介した、ウェブページ上の対話ロボット(上の図)だったり、ソフトバンクさんの感情ロボットPepperとなると、俄然幅広く、個人の興味をかきたててくれます。
Pepperは少なくとも当面は店頭設置からお目見えするようですが、米アマゾンのEchoちゃんは、199ドル(お急ぎ便プライム会員なら99ドル)でいきなり家庭の中に入ってきます。実体は小さな黒い茶筒。時間や天気のことを聞いたら答えてくれるし、エベレストの標高を答えてくれたり、「(この音楽)ちょっとストップ!」などと言いながら対話的に好きなBGMを選んでリビングルームに流すのに付き合ってもくれます。もちろんアマゾンですからお買い物を指示することもできます。ギフトラッピングの指定等も受け付けてくれて、後は商品の到着を待つばかり。具体的な利用イメージ、機能の概要については、このリンク先記事の埋め込み動画をご覧ください。 クイズ番組「ジョパディ」でクイズ王を破った初代ワトソンコンピュータは、インターネットにつながっていませんでした(リンク先記事)。しかしアマゾンのEchoは、動画中の子供が「全知全能みたい!」と驚愕しているように、インターネットにつながって、百科事典的な知識(構造化されたビッグデータの一種です!)を駆使して回答します。クラウド化された “頭脳” の大きな利点の1つに「常時最新の情報、知識にアップデートしつつリアルタイムで状況を教えてくれる」というのがあります。DVDカーナビがクラウドカーナビに到底かなわない(リンク先記事)のも、このメリットのためです。 リアルタイムの「自動通訳電話」がついに実現へ 私が社会人になった1980年代に、NECの中興の祖、小林宏治会長が C&C (Computer & Communication) の象徴として必ず実現する、と宣言したプロダクトが自動通訳電話でした。私自身も音声認識、機械翻訳、音声合成の3つの要素技術を集約したC&C情報研究所メディアテクノロジ研究部の研究員として機械翻訳部分を担当していました。 バブル経済の破綻や、ニューラルネット計算量爆発の破綻(後者はまだ未解決ですのでディープ・ラーニングには要注意!)などにより、いわゆるAIブームが終焉を迎える少し前から統計的手法、すなわち大量の生データに基づく音声処理、自然言語処理の研究が発展し始めました。 人間の頭で考えて編集された膨大な文法、訳し分けノウハウを集積したルールベース機械翻訳などに取って代わり、あるいは補完する形で「なぜか分からないけどこう表現される」というレベルの膨大な言語知識が(半)自動学習された“事例ベース機械翻訳”として次々と実用化されていきました。まさに、ビッグデータ活用の音声処理、言語処理です。 私の古い知人、米国の友人で、IBMやマイクロソフトに勤めた技術者の中には元言語学者もいます。言語学者の大半はノーム・チョムスキーの提唱した普遍文法の流れを汲んで、極めて抽象度の高い研究、すなわち英語、日本語のみならず数千のすべての言語に共通する少数の基本原理と、その差異を生み出すパラメータを探求する理論科学に従事しており、上記1980年代の人工知能研究時代のルールベース、知識処理以上に紙と鉛筆、頭脳だけで勝負しているところがありました。 しかし、その元言語学者がIBMやマイクロソフトにて大量の実例、すなわちビッグデータ活用の自然言語処理に転向したおかげで、翻訳精度は目に見えて向上し始めました。その到達点の1つとして、米マイクロソフトのスカイプがリアルタイム自動通訳機能を提供開始、というニュースが最近流れました。『MicrosoftがSkypeで自動通訳のテスト開始へ―Live Translator、登録受付中』 YouTubeのリアルタイム音声認識、自動翻訳字幕に馴染んでこられた方も、もし自動通訳電話が使えるようになったら世界の見知らぬ人と会話してみたいと思い、新しい世界が開けるかもしれません。私自身、英語・日本語間では使おうとは思いませんが、スワヒリ語やタガログ語しか話せない人からその場で何か情報を引き出しなさい、と言われたら、リアルタイム自動通訳に頼るしかないでしょう。このような機能が必要不可欠になる時代の到来をこの目で見られるよう、また、それに貢献できるよう、引き続き、楽しく精進してまいりたいと思います。 このコラムについて Dr.ノムランのビッグデータ活用のサイエンス 商品やサービスの企画開発、経営者の意思決定支援など様々な分野への応用に期待が高まるビッグデータ。しかし「ビッグデータを経営に生かす」ためには大きな盲点も存在します。人工知能とビッグデータ解析のエキスパート、Dr.ノムランこと野村直之メタデータ社長がその豊富な知見の中から“目からウロコ”のビッグデータ活用のツボを提供します。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141125/274222/?ST=print
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