02. 2014年11月04日 07:33:56
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献体が増加する哀しい理由「葬儀代を浮かすため」はNG 2014年11月4日(火) 鵜飼 秀徳 「オレの身体を、今すぐ解剖に使ってくれ」──。タクシーで都内の医科大学に乗り付けた男性は、「自分は献体を希望しているのだ」と主張して取り付く島がない。献体とは大学医学部の解剖実習のため、死後、自らの身体を捧げることである。 対応した医師が「でもあなた、まだ生きているでしょ」と諭すと、「ならばここで自殺する」と譲らない。困り果てた医師が時間を掛けて説得すると、男性はようやく諦めて帰っていった。 「献体」を収容できない 近年、献体の数が増えている。30年前、1984年に実施した全国の大学での解剖数は3293件。このうち篤志による献体は1528件で半数にも満たなかった。当時、解剖実習に使われる遺体の多くは警察から提供を受けた身元不明の死体だった。 しかしここ数年、故人の遺志で献体を申し出るケースが飛躍的に増えてきた。2012年度は解剖数3728件に対し献体数は3639件(献体比率97.6%)。献体でほぼすべての解剖実習を賄えるようになっている。大学によっては、遺体を保存する場所がなく「定員オーバー」で献体を断っているところもあるという。 冒頭の事例は、実は昨今の”献体ラッシュ”を象徴するような出来事と言える。 大学側から積極的に献体を呼びかけるような広報・宣伝活動はほとんど実施していない。基礎医学を支える献体の世界に何が起きているというのか。 まずは解剖学の歴史を少し辿ってみたい。 日本における医学目的の解剖は1754年、京都の医学者・山脇東洋が実施した「腑分け」(幕府の許可を得て刑死体を解剖すること)が最初と言われる。その後、江戸の医師であった杉田玄白や前野良沢らも腑分けに立ち会い、その後、西洋医学の翻訳書『解体新書』を著した。 篤志による献体は、明治期になってから。梅毒にかかった遊女・井上美幾女が医師の求めに応じて死後、身体を提供したのが始まりと言われている。その後、1984年に献体法が施行。文化人らが献体するケースや献体を題材にした小説も生まれ、広く世間に周知されるようになった。社会貢献の1つのカタチとして献体が位置づけられていく。 こうした意識の変化が、じわじわと献体数を伸ばしている理由の1つに挙げられる。 「自分の死に関心を抱く」人の増加という背景も だが、その実、社会構造の変化が増加要因になっている面もある。つまり、核家族化によって、独居老人が増え、孤独感、死後の不安感ゆえに献体を申し出るケースである。 献体すれば、死後、防腐処理が施された上、大学で一定期間保管され、解剖実習後は遺骨となって遺族の元に還される。引き受ける遺族がいなければ遺骨は大学内の供養塔などに収められる。 大学では、定期的に慰霊祭を実施している。つまり、献体することによって、「死後が見える安心感」が得られるというのだろう。 また東日本大震災以降、「自分の死に関心を抱くようになった」という人が増え、献体を選択する人も一部で現われ始めた。こうした人々の多くも、「人はいつ何時、死ぬか分からない存在。葬送を自分で決められる献体を選ぶことで、前向きに生きられる」との理由を挙げている。 翻れば、今の世が生きにくくなっているということだろうか。献体の行為そのものは尊いものだ。だが、背景に現代社会が抱える歪みが存在し、結果的に献体数が増えているとすれば、それは哀しいことである。 一方で、献体希望者には、「伴侶が献体を希望しているので自分も」というケースも多いという。 過疎化が影を落とす こうした様々な背景によって献体数が増えているが、献体の増加は、若き医師に対する教育が充実し、結果的に医療の向上に寄与することを意味する。だが、課題はある。 「過疎化にある地方の新設医科大学や歯科大学では献体が集まりにくい実情がある」。こう指摘するのは、杏林大学の松村讓兒教授(肉眼解剖学)だ。 献体を希望する人は知名度の高い都市部の大学や、自身が通院していた付属病院の大学を指名する傾向があるという。遺体の運搬の制限もあり、献体する場合は、自宅から近い場所の大学に限られる。 以上の理由で献体が都市部の大学へ集中する傾向にある。献体の世界にも、都市と地方の格差が影を落としている。 受け入れる大学側の問題も切実だ。解剖医の不足や、献体者本人や遺族に対して手厚くフォローをする大学スタッフの数が足りていない。また、遺体を保存するスペースも限られる。 献体登録者が死亡し、実際の解剖実習まで2〜3年かかるケースもある。結果的に遺族の元に遺骨が返される時期が延び、「(配偶者の遺骨が戻るよりも)自分の方が先に逝ってしまうので、早く解剖してほしい」という希望も相次いでいるという。 献体希望者が増えているのに、運用面がかみ合っていない実情がある。 トラブルも起きている。 冒頭の「献体の押し売り」のケースは笑って過ごせるレベルかもしれないが、最近、献体希望者で増えている理由が、「献体をすれば、大学側が葬儀や埋葬をやってくれる。葬儀代を浮かせられる」というものだ。先述のように、身寄りのない人の場合、遺骨は大学に収められ、慰霊祭が実施される。 しかし、杏林大の松村教授は次のように危機感を露わにする。「本末転倒な考え方で、そういう申し出は基本的にはお断りしている。純粋に医学への貢献を思って献体に登録されている方に不愉快な思いをさせることにもなりかねない。そもそも献体は無条件、無報酬の考え方に基づいており、葬儀代の節約のための献体となってしまうと、制度そのものが崩壊する」。 生活保護を受ける高齢者の中には、やむにやまれず献体を希望したくなる心境も分からぬではない。しかし、松村教授の言うように、献体は「医療への貢献」という、極めて純粋な動機によって成立するものだ。 そもそも、独居老人問題や高齢者の経済的な問題は、国や自治体が取り組まねばならぬ問題だろう。 海外では“代理人”が介在するケースも 数を集めればよいという問題ではない。数を求めれば金銭がからみ、ブローカーの介入にもつながる。海外では献体の世界にエージェント(代理人)が入り、自動車の衝突実験や臓器売買などに転用されるケースも出ているという。 献体は、社会の実情を映す鏡なのかもしれない。日本人は死者を敬う美意識を持っているだけに、志を大切にした献体制度であってほしいと願う。 献体は、一般的にはなじみの薄いものかもしれない。しかし、「死後を考える」ことを大切にしたい。死後を大切にすることは、「今」を大切に生きるということと同義なのだから。 このコラムについて 記者の眼 日経ビジネスに在籍する30人以上の記者が、日々の取材で得た情報を基に、独自の視点で執筆するコラムです。原則平日毎日の公開になります。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20141030/273188/?ST=print
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