http://www.asyura2.com/14/hasan91/msg/363.html
Tweet |
大塚製薬執行役員が40代の「惑い」から抜け出した術〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141029-00000000-sasahi-soci
AERA 2014年11月3日号より抜粋
40代は仕事に惑う時期でもある。かつて40歳を迎えた人たちは、40代の日々をどう過ごしてきたのだろうか。大塚製薬の常務執行役員・鳥取桂(60)は、自身の40代をこう振り返った。
* * *
私は40代から惑い始めました。44歳で管理職になり、48歳で研究職から全く畑違いの人事部に異動したからです。
そのときに惑ってしまった理由のひとつは、40代になるまでの働き方にあります。私は、若いときからインディペンデントな生き方を目指していました。家庭でも、夫にただ従うのではなく、自分の意見をきちんと言う。そのためには、経済的自立が必要だと考えましたが、企業の採用担当が「女性は3年働いたら辞めてほしい」と言うことも。まだまだ女性が対等に働ける時代ではありませんでした。
ある地元企業を退職して結婚した私に、「うちに、来てみたら?」と声をかけてくれた大塚製薬に入社しました。薬学部出身だったので、地元・徳島にある薬品の研究所に配属されました。
40代になるまでは、会社にモチベートしてもらい、「うれしい」「楽しい」で過ぎていきました。例えば、第1子を妊娠したとき。仕事は辞めたくなかったので、おそるおそる上司に報告したら、「まさか、辞めるつもりじゃないだろうね?」って。また第2子妊娠中のとき、自ら研究を進める「研究員」に昇格できました。仕事も楽しいし、会社も私を必要としてくれるから、高いモチベーションを維持することができたのです。
でも40代は、「仕事に主体性をもつ私」への転換期でした。人事部への異動は正直面食らいましたが、上司の「研究所をもっといいものにしたい」という一言で腹をくくり、管轄となる研究所のメンバーと毎年面談することにしました。
メンバーは500人以上。自分なりに「組織をよくする方法」を考え、3年かかってやっとわかった。「答えは現場にある」んですね。私は彼らの思いを引き出して、実現する役割なのだと分かり、先が見えた気がしました。
惑いがなくなったのは51歳のとき。会社の研修で「10年後に成し遂げたいこと」を考えたのがきっかけです。それまで私は、自ら成し遂げたいことを考えたことがなかったのです。悩み抜いて、自分のビジョンを言葉にしたら、なんだか惑いがなくなりました。何を書いたかは内緒です(笑)。
40代の方には、ぜひ10年後の自分の姿を考えてみてほしい。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。