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グローバル化により無意味化進む国家と企業 資本再生産を妨げる、効率の悪い“乗り物”に
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141019-00010002-bjournal-bus_all
Business Journal 10月19日(日)6時0分配信
前回連載では、
(1)Beyond boundary(これまでの境界や常識は通用しない)
(2)Acceleration(変化は加速度的に速くなる)
(3)Leverage(小さな力で大きなものを生み出せる)
という3つのキーワードが、情報通信技術の発展を核とする技術革新と結合・融合し、加速化する現在のグローバル化(ハイパーグローバリゼーション)がもたらすパラダイム転換を示唆することを解説した。
そもそも、グローバル化とは、技術と資本による世界のネットワーク化によるTransaction cost(取引費用)の大幅な抑制であるということができるが、現在進行しつつあるデジタル化を核とするハイパーグローバリゼーションは、取引費用の飛躍的な低減を可能とし、それが上記の3つの大きな変化をもたらしたとえいる。
冷戦の終結後、資本や生産財【註1】の国境を越えた自由な移動が可能となり、Singularity(技術的特異点)に向かって指数関数的に高度化する技術と結合・融合し、取引費用を劇的に抑制することを可能とした現在のハイパーグローバリゼーションの下では、国家が、自国民を定義・特定し、自国民に有利な決定を実行することは極めて難しくなってきている。
●資本再生産の観点からの、国家と企業と個人の意味合いの変化
例えば、ある国で外国資本による企業の買収を規制すれば、その国の企業の力は落ち、その国に海外からの投資が行われなくなるので、結果的には、短期的に自国企業としての存在を守ったとしても、その国の労働者を守ることには必ずしもならないということである。もはや、国家がその専権性を振りかざして国民を守ることは難しくなりつつあると考えるべきであろう。
言い換えれば、資本のグローバル化、すなわち、資本や生産財が自由に世界を移動できる状況の中で、資本の再生産には、もはや国家は重要ではなくなりつつあるといえるのではないか。
ハイパーグローバリゼーションの中で、資本の再生産の効果的・効率的乗り物は、国家から企業、企業から個人に移行しつつある。資本にとって、生産の手段を支配できなくなった国家は、もはや効果的かつ効率的な資本の再生産の乗り物ではなく、それどころか、むしろ巨大化した権益装置である社会福祉国家は、足を引っ張るコスト要因になりつつある。ちなみに社会主義の崩壊は、国家により生産の手段を独占しようとする試みの最終的な失敗を意味する。
金融バブルを繰り返すことがわかっていても、つまり、経験的に、経済を成長させるマネーストック(日本銀行を含む金融機関全体から、経済全体に供給されている通貨の総量。通貨残高ともいう)の増加につながらないことを承知で、マネタリーベース(日銀が供給する通貨)を増やす金融緩和(量的緩和はその最終手段である)を繰り返えし、バブルを招くこと以外に策を持たない国家は、もはや資本の主人ではない。かつてのようにマネタリーベースを増やすことがGDPの成長とは相関しないのが現実である。
また、巨大な財政赤字を抱える国の国債の信用が、多国籍企業の信用に劣るケースも普通に散見されるのが現実である。国際的銀行規制は、銀行の国債保有比率を引き下げるという国家の権威の一層の低下容認に向かっている。また、ビットコインの出現は、国家の最後の専権事項である貨幣発行さえも脅かされる可能性を示唆している。このように資本に見放されつつある国家に、どれほどの力が残るのかは疑問である。
●意味をなさなくなる企業の規模……重荷となる大規模組織
そして、冷戦の終了によって資本と生産財の自由な移動がグローバルに一気に可能となり、国家に代わる効果的・効率的な資本再生産の乗り物としての重要性を急速に増してきたのが、国に代わって生産の手段を支配してきた企業である。しかし、2000年代のハイパーグローバリゼーションが、所有と利用を分離し、生産活動を行う上でオープンかつ低コストで活用できるプラットフォームを急速に充実かつ進歩させつつある中で、これまで意味を持っていた企業の規模(生産手段の規模が大きいことが効率のよい資本の再生産を意味した)が意味をなさなくなりつつある。逆に、ただの大きな組織を持つ官僚化した企業は、資本の再生産効率の悪いものとなりつつある。
●さらに、資本からみて無意味化しつつある企業
冒頭のBeyond boundary、Acceleration、Leverageの3つのパラダイムシフトをもたらす、急速にデジタル技術革新と結合・融合する現在のグローバル化の下にあっては、競争力を向上させるという観点において、効率と同時に効果が重要な要素となっていることは明らかであろう。価値の源泉は個人の知識(アイデア)にあり、価値の具現化に組織規模が意味をなさないどころか障害になりつつあることを考えると、資本から見れば、さらに進んで、企業は効果性の高い資本の再生産の乗り物でもなくなりつつあるかもしれない。
ドナルド・サル教授が指摘するように、大きな企業組織は、「積極的惰性(Active inertia)」【註2】が強く、環境変化に適応しようとしないので、変化の頻度、程度、速度のすべてが高まる不確実性の高い経営環境の中で、効果的・効率的な資本再生産の乗り物ではなくなりつつある可能性がある。それを理解している企業は、生き残るためにグローバル化を志向し、創出価値の強化(資本再生産の効果性の強化)と組織効率の向上を一層強く志向することとなる。その中では、日本の企業であることをやめる企業も出てくる可能性もある。企業は、企業間の競争という短視眼的な視野ではなく、これまでの企業組織という存在そのものが、資本からみて無意味化しつつあるという大きな流れを認識する必要がある。
グローバル化をした企業も、現時点ではどこかに本社を置く必要はあるであろうが、それは、より有利な税制などの選択の結果としての一時的かつ便宜的なことであり、グローバル化適応した企業は、世界で何が起こっているかを見て行動するのであって、本社を置いている国家のことを考えて行動することはない。
この観点で、日産自動車と異なり日本という国を意識した発言を繰り返すトヨタ自動車が、オペレーションではなく、組織体として真にグローバル化に適応できるかは興味のわくところである。そして、現在のハイパーグローバリゼーションがもたらすBeyond boundary、Acceleration、Leverageは、企業のライフサイクルを短くすることにもなる。
【註1】英語ではIndustrial goodsといい、材料・部品などの「流動資本財」、道具や機械などの「固定資本財」、保守・修繕に用いる「備品・サービス」の3つに分けることができる。
【註2】Donald N. Sull, Revival of the Fittest:Why Good Companies Go Bad and How Great Managers Remake Them, Harvard Business School Press (2003)
小笠原泰/明治大学国際日本学部教授
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