01. 2014年10月15日 08:05:06
: jXbiWWJBCA
人気指揮者も匙を投げたオペラ座の労使対立 欧州の労組はストに訴える不毛なワンパターンをやめたらどうか 2014年10月15日(Wed) 川口マーン 惠美 ローマのオペラ座(ローマ歌劇場)が、大変なことになっている。10月3日、オーケストラとコーラスのメンバー184人が、全員解雇されてしまったのだ。オペラ座からオーケストラとコーラスを取ったら、はっきり言って何も残らない。 予兆はもちろんあった。上演中止が頻繁に起こっていたし、客席の上から抗議のビラが撒かれたこともあったという。何に対する抗議か? 緊縮財政のため、オペラ座への公的補助が大幅に削減されていたことに対する抗議だ。 労組が妥協案を拒否、存続の危機に陥るローマ歌劇場 ローマ歌劇場(ウィキペディアより) イタリアでストライキが多いのは、今に始まったことではない。今月だけを見ても、航空ストが5日ぐらいは計画されている。遅延で有名なイタリア鉄道は、ストの多いことでも有名だ。
その伝統にもれず、オペラ座でも、団員の労組や、他の従業員の労組が、予算切り詰めに反対し、あるいは、待遇改善を求めて、ストを繰り返した。 ローマのオペラ座は、すでに3000万ユーロの借金があるそうだ。ヨーロッパのオペラの上演は、どこも昔は王侯貴族がパトロンとなって、お金を湯水のように注ぎ込んで成立させてきた。 その伝統を受け継ぎ、オペラを常設として持つ現代ヨーロッパの自治体も、補助金なしで経営を黒字にすることは、もちろんできない。オペラは上演すればするほど、赤字になるものだ。 恒常的な借金を抱えているという点では、ドイツも事情は同じだ。2011年、ケルンのオペラ座が100万ユーロの赤字を出して危ないと言われた。しかし、ローマの3000万ユーロというのは凄い。日本円に直せば、40億円以上。オペラなどなくても、別に市民の生活に支障のないことを思えば、緊縮はやむを得ないだろう。 報道を読むと、多くの団員はオペラ座救済のための妥協案に合意しようとしたが、各労組がそれを悉く拒否し続け、事態はどんどん紛糾したらしい。その挙句、上演が妨げられ、ドタキャンが頻発した。 今年5月の日本公演では正規団員が欠け、代替要員を多く投入したという。いずれにしても、内部の雰囲気はささくれ立ち、あちこちで不平不満が渦巻いていた。 そうこうするうちに、9月23日には、同オペラ座の終身名誉指揮者であるリッカルド・ムーティがしびれを切らして辞任した。世界的名声を誇る指揮者だから損失は大きい。辞任の理由は、落ち着いて音楽をする前提が失われてしまったというもの。 今秋、彼の指揮で予定されていたヴェルディの『アイーダ』とモーツァルトの『フィガロの結婚』も中止となった。そして、それに続いたのが、この度のオーケストラとコーラスの団員の解雇だ。 劇場側の青写真では、解雇された団員たちが何らかの組織を形成し、以後、劇場はその組織に音楽家を発注する形で上演を続けたいそうだ。 つまり、団員は民間のエージェントに登録される形になるわけで、そうなれば、少なくとも、劇場が直接に労組と対峙したり、ストで悩まされたりすることは無くなる。ただ、上手くいかなければ、ローマのオペラ座自体が無くなってしまうということもあり得る。 無闇にストに訴えるのは庶民を困らせるだけ ヨーロッパはストが多い。ドイツでは今年も、ルフトハンザのパイロットのストが、世界中の利用者にたびたび迷惑をかけたし、先週は鉄道のストがあった。公共の交通機関のストは、オペラ座のそれとは質が違い、一般の国民の精神とお財布に多大な負担をかける。 ストは、労働者の権利である。イギリスの産業革命が開花するにつれ、資本家は巨万の富を得たが、労働者の生活はどんどん困窮した。成人男子だけではなく、女性や子供も、劣悪な労働条件で1日12時間から16時間も働かなければならなかったのだ。 しかし、それだけ働いても人間らしく生きられる賃金は得られず、もちろん労災保険も、医療保険も、有給休暇も年金もなかった。その極限状態から労働争議が起こり、ストに発展したが、当初、それは、資本家側と結託した政府によって徹底的に弾圧された。ストは、いわば命懸けだった。 それ以後、時間はかかったが、世界はとてもよくなった。特に西側の世界は、人権や民主主義という言葉を念頭に努力した結果、ずいぶん平等な社会をつくり上げた。今のドイツや日本は、社会主義を標榜している国よりも、さらに立派な社会福祉を実現したように思う。 ところが最近、貧富の格差が再びじわじわと広がり始めている。富は国境を超えて、どこか私たちの見えないところに集中しており、庶民は、ドイツでも日本でも、いくら働いても、たいして暮らしが楽にならない。特に、若い人たちが貧しい。 そんな中、ルフトハンザのパイロットという、資本家か労働者かといえば、絶対に資本家に近いステータスの人たちが、自分たちの利益のためにストをする。パイロットのせめて10分の1の収入が欲しいという人も多い中、パイロットのモラルのズレには感心する。 一方、鉄道のストも、犠牲者は庶民だ。ドイツのエリートたちは電車には乗らないから、鉄道がストをしても一向に困らない。つまり、一方の労働者の賃上げのために、他の大勢の労働者を犠牲にしているのが昨今のストだ。私には、多くのストはとても不毛に思える。 今のドイツや日本では、19世紀のような搾取は起こりえない。だから、組合のある企業の場合、労働争議はストではなく、他の手段でやった方が、双方に利益がある。 組合側が無理な要求を出して雇用者を圧迫すれば、経営悪化を防ぐためにリストラが始まるだろうし、最悪の場合は倒産となる。まさにその危機に、ローマのオペラ座が瀕している。組織化されている人々は、ストライキ以外にも交渉能力は十分にあるはずなのに。 ただ、問題は労組のない職場で、特にブラック企業と呼ばれる企業などでの雇用者との交渉は、労働者にとって非常に難しい。 残業代も出さずに残業をさせたり、実働に見合った賃金を払わない企業に対しては、社会の力と善意を結集して、労働者が不当な実情を訴えやすい環境をきちんと整備していかなければならないだろう。若い人たちが安心して働けない社会に未来はない。 優雅なオペラ座は、もはや“絶滅危惧種”なのか ローマのオペラ座に話を戻すと、30年も前、ここでマスネーの『マノン』を聴いたことがある。マノンは妖艶な女で、近寄る男たちを次々に破滅させ、結局、一番愛してくれた男を巻き添えに、自分も破滅していく話だ。カルメンよりも数段すごい。 思い返せば、当時のオペラ座は、まだ経営難の匂いを漂わせておらず、お客も優雅で華やかだった。もっとも考えてみれば、あのころも赤字は当然で、どんどん公的資金を注入していたにすぎなかったのだろう。 しかし、今は、その余裕がない。ドイツでも、多くの都市のオペラ座では、舞台装置は簡素、衣装は質素、コーラスは小編成といったような惨めな演出しかできないのを見ていると、古き良き時代が懐かしくもなる。 一方、各地で催される民間べースの興行オペラは、絢爛豪華な演出で、元々オペラ座のお客ではなかったような人たちを大々的に引き込んで、あっちもこっちもたいそう盛況だ。 あれを見ると、オペラは進化しており、自治体が、社会の上層階級の客を対象にして伝統的に保ってきたオペラ座などは、もう時代遅れで、生き残れないのだろうかとも思う。 まだ、若き音大生だったころ、シュトゥットガルトで夢中になってオペラ座に通った。真冬、オペラが終わって、暖かいざわめきの中から外へ出ると、火照った顔が冷気で射られた。上を見ると、ある時は、暗い夜空に満天の星、また、ある時は、ふわふわと雪が舞い降りてきて、夢と現実のちょうどあいだにいるような幸せな気分だった。 ときどき、あのころのことが無性に懐かしくなる。オペラ座の赤字、労組のスト、音楽家の解雇という流れは、オペラ好きの私にとっては、とても悲しいことだ。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41923 |