http://www.asyura2.com/14/hasan90/msg/812.html
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http://www.nikkei.com/article/DGXLASGG0700M_X01C14A0MM8000/
ノーベル物理学賞に赤崎・天野・中村氏 青色LED発明
【パリ=竹内康雄】スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2014年のノーベル物理学賞を赤崎勇・名城大学教授(85)、天野浩・名古屋大学教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大学教授(60)に授与すると発表した。少ない電力で明るく青色に光る発光ダイオード(LED)の発明と実用化に貢献した業績が認められた。照明やディスプレーなどに広く使われている。世界の人々の生活を変え、新しい産業創出につながったことが高く評価された。
日本のノーベル賞受賞は12年の生理学・医学賞の山中伸弥・京都大教授から2年ぶり。計22人となる。物理学賞は素粒子研究の08年の南部陽一郎(米国籍)、小林誠、益川敏英の3氏以来で計10人となった。日本の物理学の高い実力を示した。
授賞理由は「明るくエネルギー消費の少ない白色光源を可能にした高効率な青色LEDの発明」で、「20世紀は白熱灯が照らし、21世紀はLEDが照らす」と説明した。
LEDは1960年代に赤色が開発された。緑色も実現したが、青色は開発が遅れた。あらゆる色の光を作り出せる「光の3原色」がそろわず、「20世紀中の実現は不可能」とまでいわれていた。
その壁を破ったのが赤崎氏と天野氏だ。品質のよい青色LEDの材料を作るのが難しく、国内外の企業が取り組んでもうまくいかなかった。両氏は「窒化ガリウム」という材料を使い、明るい青色を放つのに成功した。
赤崎、天野、中村の各氏の物理学賞受賞を伝えるノーベル財団のホームページ
中村氏はこれらの成果を発展させ、安定して長期間光を出す青色LEDの材料開発に乗り出し、素子を作製した。量産化に道を開き、当時在籍していた日亜化学工業(徳島県阿南市)が93年に青色LEDを製品化した。
赤崎氏は7日の記者会見で「半分サプライズで、こんな名誉なことはない」と語った。中村氏は同日、大学構内で記者団に対し「ノーベル賞は基礎理論での受賞が多い。実用化で受賞できてうれしい」と語った。天野氏については「海外出張中で、帰国後記者会見する」と名大側は説明した。
日本の強みである材料技術がLEDの光の3原色をそろえることに貢献し、LEDによるフルカラー表示が可能になった。電気を直接光に変えるLEDはエネルギー損失が少ない。素子そのものが光るので電子機器の小型・軽量化に役立つ。薄くて省エネのディスプレーなどデジタル時代の幕開けにつながった。
3原色を混ぜ、自然光に近い白色光も再現できるようになった。省エネ照明として家庭にも浸透し始めている。現在、産業社会で消費するエネルギーの20〜30%は白熱灯や蛍光灯などの照明が占めるといわれ、これらがLED照明に置き換われば、地球温暖化を防ぐ切り札のひとつになる。
青色の光は波長が短く、デジタルデータの書き込みに使えば大容量化できる。中村氏は青色LEDの後に青色レーザーの基盤技術を開発した。ブルーレイ・ディスクのデータの書き込みに青色レーザーが使われているように、大容量の光ディスク実現につながった。
授賞式は12月10日にストックホルムで開く。賞金800万クローナ(約1億2000万円)は3氏で分ける。
関連キーワード
赤崎勇、LED、中村修二、天野浩、ゼネラル・エレクトリック、山中伸弥、カリフォルニア大学、ノーベル物理学賞、パナソニック、日亜化学工業
http://www.asyura2.com/kiseki/k200103/msg/18.html
中村修二青色発光ダイオードの開発に成功
(ノーベル賞候補 日時 2001 年 9 月 07 日 16:39:01:
根拠のない自信 −−中村修二
ほとんど全ての人は、もうこれ以上アイデアを考えるのは、不可能だというところまでいきつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに・・・〈エジソン)
アイデアの秘訣は執念である。(湯川秀樹〉
<できそうか>と言われて、<できない><できそうもない>というのは、自分の敗北を認めたことになる。
私にはそれが耐えがたいことなのだ。
だから、何の目処もたってなくても、<できる>と答える。それぐらいの強気がなければ、成功はおぼつかないと思う。
実際私は大学院を修了して就職する時、企業の面接で、<あなたは何をやりたいのか>と聞かれて<いや、何でもやれます>と答えた。
今、こんな答え方をすれば、就職試験はたちまちアウトだろう。けれども、当時私にとっては、正直な気持ちであった。大学院を修了した時、自信があったからそう答えたのである。
別に大した根拠があるわけでもなんでもない。けれども自信だけは、すごくあった。営業の仕事だろうが何だろうが、とにかく大丈夫、自分にはやれるという感じがしていたのである。
もちろん、最初からやれるとは考えていない。最初は最下位からの出発でも、とにかくやってるうちにのし上がっていけると思っていた。それは、一つには子供の頃から負けず嫌いな性格であったこと、そしてもう一つは、一つのことを深くやっていくのが好きだったからだ。
何であれ、一つのことに没頭してやりとげていくことには自信を持っていたのである。
ーー考える力やりぬく力私の方法 三笠書房
中村修二
工学博士 カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授
20世紀中には無理と言われていた高輝度青色発光ダイオードの開発に成功
現在ノーベル賞に最も近い人と評価されている
http://ja.wikipedia.org/wiki/404%E7%89%B9%E8%A8%B1
404特許(404とっきょ)は、かつて化学メーカーの日亜化学工業が保有していた窒化物半導体結晶膜の成長方法に関する日本の特許である。特許番号が第2628404号であったことから、その下3桁を取って404特許と呼ばれる。同社に勤務していた中村修二が職務発明したもので、裁判において、特許を受ける権利の帰属と、帰属が認められない場合の相当対価の支払いが争われた。
中村修二 国籍:アメリカ合衆国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E4%BF%AE%E4%BA%8C
日亜化学工業社員時代に青色発光ダイオードの開発を社長に直訴し、会社から約3億円の開発費用の使用を許される。アメリカ合衆国のフロリダ大学に1年間留学後、日亜化学工業に戻り、2億円ほどするMOCVD装置の改造に取り掛かるが、社長の交代等もあり研究の取り止めを求められた(著書より)。その後、青色発光素子であるGaN(窒化ガリウム)の結晶を作製するツーフローMOCVDを発明した。ツーフローMOCVDは通称404特許と呼ばれ日亜化学工業と特許権譲渡および特許の対価の増額を争った。
なお、日亜化学工業は同訴訟中にツーフローMOCVDは無価値だと述べており、訴訟終了後に特許権を中村に譲渡することなく放棄している。この高裁控訴審において高裁から示された和解勧告に対し、中村は弁護士とは異なる記者会見を設け「日本の司法は腐っている」と述べた[6]。
http://www.asyura2.com/0403/hasan35/msg/439.html
訴状の抜粋を貼り付けます。
--始め--
訴状に見る中村氏の叫び(訴状より抜粋)
中村教授は自ら行った新製品の開発から,下記の3つの苦い教訓を学んだ。
―中略―
第2に,製品開発に技術的に成功しても,市場の中でその商品の売り上げが十分上がらなければ,社内ではその開発は失敗例とみなされ,開発技術者(本件では中村教授)は社内で「穀潰し」とみなされ,冷遇される。
中村教授は日亜社内で冷遇され,日亜内での将来の出世も望めなくなった。こうした状況に追いつめられて,中村教授は「どうせ辞めさせられるのなら自発的に辞表を書くのではなく,日亜が自分を解雇するまで,開発すべき新製品を自分で選択し,それを自ら単独で開発研究してみよう」と考えるに至った。
そして,中村教授は1988年2月ごろ,首を覚悟のうえ,日亜の上司などの了解もないまま,窒化物系青色発光半導体を開発することを,自ら一人で決定し,実行した。
社長は「窒化物系青色発光半導体素子の開発」に強く反対した。同社長はある日突然,外部から競合メーカーのM社の半導体研究所のお偉いさんであるA氏を中村教授の働いている研究室まで連れてきた。同研究室見学後,A氏が日亜社内で講演して「窒化物系青色発光半導体素子は近い将来では開発困難であろう」旨発言した。
講演後,同社長は中村教授に向かって「窒化物系青色発光半導体素子の開発をすぐに中止するよう」強く命じた。同社長はその後も何度も中村教授に対し,「窒化物系青色発光半導体素子の開発を中止し,GaAs/GaAlAs系HEMT(高電子移動度トランジスタ)の開発を命ず」との業務命令を直接文書で発した。
中村教授はその時すでに「日亜から首を切られてもいい」という覚悟が出来ていたので,これらの文書によるたび重なる社長からの業務命令を無視した。
概して言えば,多くの例では会社は第1に発明のための資金提供者であり,第2に発明の母体となる技術の所有者であり,第3に発明のきっかけを与えた企画者でもある。
ところが本件では多くの例とは異なり,日亜の本件発明への貢献は,上記第1の「資金提供者」であることは正しいにしても,上記第2の「発明の母体技術の所有者」でも,上記第3の「発明の企画者」でもない。中村教授こそが上記第2の「発明の母体技術の所有者」であり,上記第3の「発明の企画者」であった。
上記第1の「資金提供者」としての日亜の貢献度はすべて,日亜の当該通常実施権の取得により吸収され尽くしている。
―中略―
特許法35条3項,4項に基づく「相当の対価」の算定に当たっては,日亜の貢献度は0%である。本件発明の貢献度の比率は公平にみて,資金提供者(日亜)0%,発明者(中村教授)100%である。
--終わり--
日亜での待遇については、本人の仰ることと私が伝え聞いたのとは隔たりがありました。デマ含み投稿になり申し訳ない。中村氏の書いた本を立ち読みして日亜の社長の変なところも多少は知ってもいたのですが、同業者の人が「自由に研究を」と話していたので、私も自由にさせてもらってたのかと思ってました。同じ業界でもあまり中村氏の主張は理解されてないことを暴露したみたいになっちゃいました。
しかし、中村氏も言うこと聞かずに研究するのも問題だろう(特許裁判とは関係ないかも知れません)。完成間近にGaNの研究していたのは日亜だけじゃないんだから移ればよかったのに。移るにしても社長は機密扱いにしたんだろうかなあ。
この裁判については下のような図書紹介も見つけたので参考までにどうぞ。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/shigas/HOMPG713.HTM
発明報酬
岸宣仁:「発明報酬−技術者が会社を訴える時−」、中公新書ラクレ、'04を読む。青色LEDの発明者・中村修二カリフォルニア大教授と元の雇用者・日亜との争いを中心に話が進む。日亜は会社機密流出の理由により中村先生をアメリカの裁判所に訴えた。中村先生のアメリカ関係先がおこした対日亜訴訟に対するしっぺ返しという。発明報酬の逆々訴訟は中村先生側の直接のカウンター・パンチである。日亜は中村特許から何千億円かの利益を上げるだろうが、中村先生は2万円の報酬をもらっただけであった。中村先生は仲間からスレイブ・ナカムラという有り難くないあだ名でからかわれるようになったとある。ご本人の海外流出はもちろんだが、日本の研究者の企業における「軽い」立場が広く外国に知れ渡ってしまって、取り返しのつかないまずい事件になったと、いつかこのHP内で述べたように記憶する。
20年勤めた日亜を辞めた理由がいろいろ書いてある。人事上の配慮の無さが上げてある。途中入社の有名大学大学院出身者を先に昇進させた。彼は手取り足取りして教えた部下だが特別の実績はなかった。所長辞令をもらったが、部下のいない新設のいわば窓際研究所だった。企業秘密保持の理由で研究発表や学会出張さえ拒否されていた。中村特許は彼の強行出願だったという。アメリカでは発明者と雇用者とは取得特許による上がりを折半するのが普通だと、彼は留学の時に知ったのであろう。そこへ3億円のヘッドハンティングが来た。中村先生を怒らせた理由の一つは、LED関連テーマに携わってはならないと言う退職金支払い条件であった。日亜の提示した6千万円の退職金は、20年の勤続に対するものとしては大変な高額である。しかし3億円に対しては影が薄かったであろうし、研究者の生命とも言うべき研究テーマに対する制限を前提にしているから、とうてい受けられるものではなかったのであろう。
中村先生は言う、「日本がここまで経済大国になれたのは、やはり製造業が強かったからです。その製造業を誰が支えてきたかと言えば、優秀な技術者や研究者です。彼らが独創性の高い特許を成立させながら、今日の経済力をつくり上げたのです。(相応の評価をしない今のままでは)日本の製造業は衰退するばかりです。」と。5/10の読売に宋文州氏の言葉が載っていた。「日本の工場は・・・世界一効率がよい。販売や管理部門は(それに)あぐらをかいていた・・」。異口同音である。宋氏は中国人で、「やっぱり変だよ日本の営業」というロングセラーの本を書いたソフトブレーン社の会長である。5/11 NHKクローズアップ現代は「元気な会社は”会議”が違う」と言う題であった。タイミングを外さずに短時間で結論を出すという、当たり前の会議運営がクローズアップされねばならぬほど、我が国はことに営業部門で遅れているという指摘であったのだろう。やはりNHKが立ち直ったマツダを紹介していた。フォード系列会社へのエンジン供給で息を吹き返している。優秀なエンジン技術をフォードが認めたからと言う。
私がこの裁判で本当に知りたいのは、中村先生の日亜利益への貢献度に対する合理的説明である。日本の特許法はドイツ法の流れである。そのドイツには職務発明に対する適切な額の補償の算定基準(ガイドライン)が労働大臣から公表されており、産業界はおおむねこの線に沿って補償額を算定しているという。非常に細かいところまで決めた基準だそうだ。東京地裁は青色LED関連利益の50%と判断したが、全くの丸数で、判断理由は定性的に項目を並べ立ててあるだけでお粗末にすぎる。おおよそ司法試験に通っただけの裁判官に、高度な技術問題の貢献度の判断など出来るはずがないと思わせる内容である。ガイドラインが作れないのなら、技術問題の裁判官には、理系の博士号を持つことを義務づけるぐらいの改革が必要である。
著者は中村先生とはインタビューを重ねている。私も中村先生の講演を聴いたことがある。なかなかプレゼンテーションに優れたお人だ。「スレイブ・ナカムラ」なんて言うキャッチフレーズにマスコミが飛びついた感じもある。この本にも先生の言い分は順当に採録されている。日亜は会見拒否とかでだいぶ損をしている。本として出す以上もう少し何とかならなかったのか。
青色発光ダイオードの発明者が、中村先生ではなく、赤崎勇名城大学教授であると言う記事(京大学生新聞'02/09/05号)を見たことがある。赤崎先生の藤原賞授賞式で審査委員長が、「発明者は赤崎先生です」と云ったら、会場の人々がみな驚いたそうだとある。赤崎先生の成功は'89年で、その年に中村先生が研究に着手しているという。本書でも先行基本技術の存在を肯定している。中村先生の発明は実用に耐えるダイオードの製造法特許として出されている。
日亜側の、今や中村特許は時代遅れで恩恵を受けていないかのような発言は、内容が企業秘密とあるので何とも言い難いが、基本物質特許でない限りあり得る問題だ。迂回技術である場合もある。しかし、訴訟対象の中村特許は、会社在任中の取得特許80何件かの1つにすぎないから、彼の別特許に含まれる可能性だってある。いずれにせよ日亜の現在の技術が明らかにされていないから、いわく言い難しだ。なぜそこを裁判官は突っ込まなかったのか。著者は書かなかったのか。経歴を見ると明らかに著者も文系だから、そこまでの力量を期待するのは難しいのかもしれないが。
私は研究者の給与の大半は、その専門とする学術技術分野で、自身従って所属機構を一流に保つために、日夜行う努力にたいして支払われるのだと思う。専門が分化多様化し、それぞれが猛烈な勢いで奥へ奥へと進化し分野をどんどん拡大して行く、その速度がどんどん加速されて行く。特に儲かりそうな新規分野でその傾向が激しい。こんな時代では、例えば発表論文について行くだけでも大変な重荷である。研究に真剣になればなるほどマネージャーつまり重役になるコースから外れる。終身雇用で応分の処遇をすると言っても、せいぜい社業には発言権のない窓際重役である。そういう視点はこの本にはない。本書では労働市場の流動化による終身雇用制の退化、報酬の平等主義から能力主義への変質が背景にあると無難に論じている。
中村先生の、「理系を志す子供に夢を」は、民族の将来を心配する声としてなかなかのアピール性がある。公判冒頭に陳述したと言うから立派である。確かに、イチローやゴジラを目指して野球選手になりたいと目を輝かす子は大勢いるが、だれかを目指して研究屋になりたいという子供にはまだお目にかからない。字句解釈に明け暮れる無味乾燥の裁判ではなく、大義名分をはっきりさせた簡明な一般に分かり易い裁判は我々の望むところだ。中村先生はアメリカの裁判経験を活用している。
中村修二:「怒りのブレイクスルー」、集英社文庫、'04の広告を見た。テーミス編集部:「青色発光ダイオード―日亜化学と若い技術者たちが創った」、テーミス、'04は日亜側の言い分を集めたものだそうだ。そのほかにも類書はいろいろあるらしい。この本は今までの断片的知見を要領よく纏めてくれた。
('04/05/20)
【日亜側にも立った本】青色発光ダイオード―日亜化学と若い技術者たちが創った
http://www.asyura2.com/0403/hasan35/msg/440.html
青色発光ダイオード―日亜化学と若い技術者たちが創った
テーミス編集部 (編集)ISBN: 4901331086 ; (2004/03)
アマゾンのカスタマーレビューから1つ転載します。裁判の結果については私の考えはこれに近いです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4901331086/customer-reviews/ref=cm_cr_dp_2_1/249-6084881-9471551
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青色LED東京地裁判決、200億円という巨額な金額に誰もがびっくりした判決ですが、青色LED「発明者」中村氏が発明の「相当の対価」(特許法35条)の支払いを求めてかつての勤務先・日亜化学に起こした訴訟でした。
中村氏または中村氏サイドの本は数多く出ていますが、かつての勤務先であった日亜化学サイドからの初めての「反論」本です。
「中村氏のブレイクスルー」はブレイクスルーでも何でもない、という主張がなされています。この「ブレイクスルー部分」こそ、上の訴訟で争われている特許発明2628404なのですが、これは、やはりどうみてもブレイクスルーでしょう。まあ、物理屋や電子・電気系のエンジニアで、この本のこの記述にうなずく人は皆無だと断言できます。
一方で「青色LEDが青色LEDを産んだ」という訳で、改良にあたった(かつて中村氏につけられたであろう部下達の)技術者群像が描かれています。日亜の青色LEDですが、日本での特許取得件数は200件以上、その数々の発明の中で、中村氏一人による発明者の特許は、ごく初期の、「海のものとも山のものとも分からない」段階の5,6件だけです(上の「ブレイクスルー特許」は、この中の一つです)。これら200件以上の特許の中には、6人もの研究者による共同発明というものも数多くあります。ですので、本書のこの部分に限っては、青色LED発明の一側面をきちんとあぶりだしています。
判決に触れた箇所は…。
判決文(最高裁サイトで入手できます)を読めば分かりますが、日亜側は、「中村氏の発明貢献度はゼロだ」などという「何考えてんだ」みたいなことを主張しています。このような主張をしていては、当然に裁判官の心証を悪くするばかりで、大負けするのも当然、この本で書かれていることも、判決文をごく少々の民事訴訟の知識を持って読むと、説得力ゼロです。難しい言葉を使ってしまいますが、自由心証主義を採用する民事訴訟では、いったん裁判官に悪く思われたら、極端な話、100人中99人の人を説得できる論理を法廷で展開しても、負けちゃうんです(殺人とかの刑事事件を扱う刑事訴訟は、全く違いますよ)。
なお、この東京地裁判決は、発明の発明者への「相当な対価」の金額の算定にあたり、被告日亜側の金額算定手法を採用せず、かといって原告中村氏側が主張する金額算定手法も何故か採用せず、「どこからでてきたんだ?」というような全く独自の仮定をファーストステップに置いて、更に仮定に仮定を重ねた上で、600億円という金額を最終的にはじき出しています。判決を2,3度読んだのですが、この金額算定の部分は、どうにも理解に苦しみます。この判決の金額算定方法は、日亜側がきちんとスタンスを改めれば、今後、東京高裁で金額がはるかに小さくなる方向に、大きく修正されることでしょう。
この事件にまつわる色々な情報(ニュース、本等)、そして問題となった特許そのものや判決文を俯瞰すると、中村氏も、日亜も、そして、東京地裁も、もう、なんだかなあ…、という感じです(中村氏のそもそもの主張は、「この発明の特許権はオレのものだ」というものです。当然にこの部分は認められませんでした。中村氏は、だから、勝ってはいないんです)。
最近、私の住む地域で、青色LEDの信号機が急増しました。従来のものよりも飛躍的に見やすく(特に「矢印の青」)、クルマの運転をしていて青色LEDの恩恵にあずかっているなあ、と思わされます。しかし、この信号機で使われている青色LEDは日亜化学の200以上もの特許発明が有機的に結合して僕の眼前を灯しているわけで(実際は50くらいか?)、たった1つの特許発明がもたらしたものでもなく…。
そして今、「200億」という数字の魔術というのか、マスコミが中村氏を時代の寵児みたいに持ち上げてみたり(ブレークスルーの功績自体は素晴らしいと思いますけど)、経済団体がケシカランと発言してみたり…、訳分からない事態になっちゃってるわけでしょう?
そう考えると、青色LED関連の本(中村氏サイドの方も含めて)は、どれを読んでも複雑な気分になってしまい、この50年に1度というくらいの素晴らしい大発明(群)の価値を自分たちの手でいたずらに貶めているようで残念でなりません。
この本の星2つは、日亜の技術者達の群像を書き出したところを評価したもので、この部分は東京地裁裁判官も含めて世の誰も認めていない部分です(ここを裁判官が完全に見落としたために(日亜も主張しなかったが)、600億円なんていうとんでもない金額の算定をしてしまった)。ですので、この部分だけはは読む価値があり、また、この「大事件」を知るためのバランス感覚を培う上でも、一読なさることをお勧めします。
(引用ここまで)
そして、今回のノーベル賞受賞である。
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