01. 2014年9月30日 14:03:56
: jXbiWWJBCA
「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」 「転勤・残業・週休2日もお断り!」オジサンvs.ゆとり世代の仁義なき戦い20代の不自由さが人生を生き抜くパワーを培う 2014年9月30日(火) 河合 薫 「週休2日じゃ自分の好きなことなど何もできない。それで退職しました」 「残業続きで生きるために働くのか、働くために生きるのか分からない」 「会社説明会に行っても金もうけ以外に働く目標が見えない。意味があるのか」 「起業をしたい。週5日、会社に合わせて働く気はない」 なんとも、“強気”な発言だ! というか、なんだかとっても懐かしい。 「仕事だけの人生なんて、生きてる意味がない!」 「会社の歯車になんかなりたくない。私は、ワ・タ・シ!」 なんて具合に、誰もが若いときには、“オジサン社会”を批判し、縛られない働き方に憧れる。私自身、そうだった。 「自由のない人生なんて、人生じゃない!」と。 自由は酸素と同じだったのである。 そこで今回は、「縛られない働き方」について考えてみようと思う。 ええ! 正社員で働くのが負け? 随分と唐突な入り方になってしまったのだが、冒頭の発言は、今月行われた「ゆるい就職」説明会に集まった、若者たちから飛び出したもの。そのときの様子を報じた毎日新聞の記事によれば、 「今どき、若い世代が正社員で働くのって『負け』だと思うんです」 と、正社員で長時間労働に苦しむシステムエンジニアの男性(23)が発言すると、会場に集まった若者から賛意のどよめきが起こったそうだ。 ゆるい就職とは……、 「サクッと稼いで、たっぷり遊ぶ」 「けだるい日常をおもしろくする、ゆとり世代のワークスタイル革命」 をキャッチコピーにした、「週休4日で15万円」の仕事を紹介する人材派遣サービスである。 対象は、新卒から25歳程度の制限付きで、 「正規雇用など安定した就職を希望している方は間違っても応募しないでください」 「ゆるいのは就職の形態であり、仕事そのものはそんなにゆるくありません」 との注意書きがホームページに書かれている。 9月に計3回行われた説明会はすべて満席。主催者によれば、「勤務地や労働時間、職務に制限のない“正社員”という働き方への疑問」を抱く若者が集ったとか。 “安定志向”と呼ばれる若者たちの中で、会社に縛られたくない“自由”を求める若者たちが、 「週5日働かなきゃいけないなんてダレが決めた?」 「会社のいいなりにならなきゃいけないなんて、まっぴらだよ」 とゆるい就職に魅了されたのだ。 「でも、週休4日で15万円って、結構いい待遇じゃない?」 はい、そのとおりです。 平成25年の初任給の平均は大卒で19万8000円。通常、週5日勤務のこの月収を、週3日労働で換算すると、11万8800円。フリーターの平均年収150万程度と比較しても、かなり高給である。 おそらく、ゆるく就職するには、“大前春子”になるしかない。篠原涼子が演じ一世を風靡した「ハケンの品格」の主人公の春子だ。少なくとも私が雇用する側だったら、それくらいのレベルは求めたくなる。 実際、採用に関心を寄せる企業の1つとして紙面に登場していた、IT企業「イノベーション」の富田直人社長も、 「景気が良くなり、中途採用で良い人材が採れない。チャレンジ精神のある優秀な人材が採れるなら、週休4日でも構わない。しかし、欲しい人材は新卒者と同等レベル、つまり一流大卒で高校で生徒会長をやるくらいリーダーシップがあり、コミュニケーション能力が高く、人当たりも良く、企業文化になじめる人」とコメントしている。 ふむ……。厳しい。実にハイレベルだ。いったいどこに、こんなスーパーな新人がいるのだろうか? とはいえ、おそらく集まった若者たちは、言い返すに違いない。 「私には仕事経験こそありませんが、やる気もあるし、チャレンジ精神もある。週3日勤務で15万円払っても、絶対損はさせません! もし、使い物にならないというなら、切ればいい。だって、派遣だもん」と。 いわば、ゆるい就職は、オジサン社会への挑戦状なのだろう。 「ゆるい就職」に賛否両論 しかしながら、挑戦状を突きつけられたオジサンたちは(オバサンも含まれます)、少々困惑気味だった。 「これってただのフリーター。何が新しい働き方なのかわからない」 「ゆとり世代が今度は、ゆるい就職? わけわからん」 「こんなの悲惨な30代を生み出すだけだ」 という否定的なものから、 「週休4日大賛成!」 「今の働き方はとにかくおかしい。ゆるい働き方がどんどん広がってほしい」 といった肯定的な意見まで、ゆるい就職のコンセプトが発表された当初から賛否両論入り乱れた。 私自身、「大学を出る→就職する、それができなきゃ脱落」なんて社会はおかしいし、物理的にも精神的にも余裕のない現代社会では、週休2日に拘らずに、週休3日にしたほうが生産性は向上すると考えているので、賛成と言っちゃあ賛成なのだが、その一方で、 「自分の思い通りに働ければ、いきいきと働くことができるのだろうか?」 「会社に縛られない自由な働き方を手に入れれば、人生の満足度が高まるのだろうか?」 という疑問もある。 「ゆるい就職」は、確かに現代のオジサン社会の痛い部分を突いているのだが、いったいいつから、こんなにワーク(=仕事)が、「悪」になってしまったのだろうと。 この取り組みの本質的な意味は、「仕事とプライベートという公私の主従の逆転」にあるそうだが、そもそも仕事とプライベートって、どっちが上とか下とか、そういう問題じゃないのでは? と思ってしまったのだ。 枠の中で我慢する経験が、人を成長させる 私が新入社員だったときには、「5時から男」とか「24時間戦えますか?」のキャッチコピーが流行り、仕事もプライベートも両方“できるヤツ”がカッコよかった。どんなにかっこいいプライベートを満喫していても、仕事してなきゃダメ。“プー太郎”じゃダメだったのだ。 「最近は、リゲインも“24時間”じゃなくて、“3〜4時間”になってるし、時代が違うんじゃない?」 ふむ。確かにそうかもしれない。 でも、私たちの人生を縛るのは、ワークだけじゃない。 “ライフ”で不条理な事態に遭遇することはあるし、自分の思い通りにならないことはやまほどある。むしろ、ライフの方がしんどいのでは? と思ったりもする。だって仕事は「お金のためだから仕方がない」と割り切れても、ライフではそれができない。会社は辞められても、家族は辞められない。自分都合の言い訳ができない関係性ほど、しんどいものはない。 そんなとき、仕事で経験した窮屈さが役に立つ。特に若いときに経験したしんどさが、その後の人生で大きな傘になったりもする。 特に、決められたルールの中で文句を言いながらも、ひたすらやり続けた経験は、時間が経てばたつほど、大きな財産になる。なんだか説教くさくて申し訳ないのだけど、決められた枠の中で、ちょっとだけ我慢するって経験が、人を成長させるんじゃないか、と。 かくいう私もそうだったから、余計にそう思うのだろう。 何度も書いていることだが、就職するときは、「3年間、世界を股にかけて働いて、さっさと辞めて結婚する。サラリーマンとかキャリアウーマンなんてまっぴらご免!」なんて思いで就職した私が、今のような人生を送るきっかけとなったのが、決められたルールに「とりあえず従った」からに他ならない。 あこがれてなったCA(キャビンアテンダント)の仕事に、「何でこんな仕事しなきゃいけないんだ」とがっかりしたとき、とりあえずその不自由さを受け入れた。「石の上にも三年」っていうくらいだから、3年間はとりあえず何も考えずに働いてみよう」と。とはいえ、実際は、「せっかく憧れてなったスチュワーデスだし、1、2年働いたくらいで、“元スッチーです!”なんて恥ずかしくて言えない」という、実に不純な動機だった。 で、3年間働いているうちに、制服が窮屈になった(別に太ったからではありません)。会社のルールに沿った働き方をするのではなく、自由に働きたくなった。「辞めて結婚!」ではなく、「辞めて、他の仕事をしよう!」と決断したのだ。 ワークからライフではなく、ワークからワークへ。なぜか、仕事に拘ったのである。 しかも、当時の私にとって、「CAを辞める」という決断はかなり大きな決断。「制服が苦しい」と思いながらも、「制服を脱ごう!」と覚悟を決めるには、1年かかった。 でも、アノ時の大きな決断が、今の“私をつくる”土台になったのは紛れもない事実である。大学院に進もうという決断も、下手くそな文章でも、諦めずにとにかく書き続けようという決断も、平坦じゃない道をなんとか今だに歩けているのも、「石の上にも3年(実際には4年)」を経験した後に決断したからこそ。 決められたルールにとりあえず従っているうちに、「へえ、これっておもしろい!」と興味が湧いたり、自分の思わぬ能力を発見したり。自分のふがいなさや能力のなさを目の当たりにして落ち込んだり。それで謙虚になれたり、自分を少しだけ客観視できるようになった。だからこそ、CAを辞める決断が、その後の人生の土台になったんだと確信している。 厳しい状況でも自分と向き合える20〜30代 そもそもワークとライフを、別個のものと考えるからややこしくなる。ワークもライフも人生の一部だ。キャリア=仕事ではなく、人生そのもの。生涯を通しての自分の表現でもある。 例えば、20〜30代の青年から大人になる若年期は、「初期キャリア」と呼ばれている。 この時期は、親元から離れ、1人の成人として独り立ちする時期。それまでの、「子供」「学生」という役割から、「大人」「労働者」としての役割への移行期である。この年代の特徴は、非常に自信に満ち溢れている一方で、自分の居場所や、社会での役割を模索する不安定さも持ち合わせている。 親の援助を受けず、自分で稼ぐ 新しい友情を築き、異性と親密な関係を築く 社会のしきたりを学ぶ 助言者・支援者を見つけ、学ぶべき事柄を吸収する 職務の限界内で、効果的に職務を遂行し、物事がどのように行われるかを学ぶ 初めての仕事での成功や失敗に対処する といったいくつもの課題を乗り越えることが求められる。 初期キャリアでは、さまざまな困難な課題に直面するのだが、若いからこそ成し遂げられる。活力、柔軟性、理想主義、情熱に満ち溢れた、“若さ”が最大の武器となるのである。 この初期キャリアの困難な経験は、「社会での自分」を客観視するまなざしを鍛える。その先に映し出されるのが、社会の中の理想の自分、である。それが、30代前後から始まるキャリア中期。自分の理想ややりたいことを再検討する時期に、突入するのだ。 中年期は20代の理想期とは異なり、仕事、結婚、育児、金銭など、1人の大人としての責任を全うすべく、連続した選択と決断を迫られるサイクルに入る。決断の連続期といっても過言ではない。 組織で働くか、フリーランスで働くか? 安定を取るか、やりがいを追及するか? 東京に居続けるか、地方に行ってみるか? 管理職を目指すか、専門職を選ぶか? ライフ中心の生き方か、自分の可能性をとことん仕事で試すか? そんないくつもの、重大な決断を下さなければならない事態に遭遇する。逃げたくなることもあるし、考えれば考えるほどドツボにはまりそうで、思考を一時的に停止させてしまう場合もある。 若いときの困難な経験が、ミドルの決断につながる いくつも厳しい決断する勇気をもたらすのが、20代の困難な経験だ。若いときに「なんでこんなことやらなきゃならないんだよ!」なんて思いを抱きながらも手をぬかずやってきたことや、逃げたくなるような困難な状況にも必死で向き合ってきた経験が、決断を下す勇気をもたらす。 そして、その決断を成功につながるか否かを左右するのが、自分を客観的評価するまなざしと、強い自尊心だ。 「客観的にはムリと思われるかもしれないけど、自分はやってみたいし、デキると信じている!」――。 困難な経験が確固たる自尊心をもたらし、決断の後に待ち受ける荒波を乗り越えるパワーになるのである。 人間にとって自分を信じる気持ちほど、強いものはない。根拠なき自信だろうと、周りからは「アホ」呼ばわりされようと関係ない。自分をとことん信じることが、何よりも大切なのだ。 「勤務地や労働時間、職務に制限のない“正社員”という働き方への疑問」を抱く若者たちは、誰からも縛られず、誰からもあれこれ指図を受けない働き方で、「自由」が手に入ると思っている。でも、彼らが自由を求めれば求めるほど、不自由な労働市場に追い込まれることに気が付いていないのではないだろうか。 「自分のやりたいことだけやって何が悪い?」 「自分の言いたいこと言って、何か問題でも?」 そうやって自由を絶対価値にしていると、ホントの自由を失っていることに気付かなくなる。 自由な生き方(=働き方)は、客観的に自分を見つめる自分との対話の中で生まれるもの。不自由があるからこそ、自由で、誰のルールにもとらわれない生き方が存在するのだ。 このコラムについて 河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学 上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20140926/271752/?ST=print |