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モノも人間も、そして住処(すまい)もまた使い捨てになる
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2014年9月27日 Darkness - ダークネス
もう日本は終身雇用も年功序列も過去の話になった。今の中高年にはまだこの変化が心の中で受け止められないかもしれないが、現実は押しとどめられない。
今の若年層は、終身雇用も年功序列も知らないし、そんなものはあり得ないというのが逆に常識となっている。
戦後から1980年代までのサラリーマンにとって、転職をするというのは「だらしない人間のやること」のように思われていた。ところが今や、会社が働かない中高年をリストラして放り出したい時代になっており、転職はむしろ奨励されている。
今の若年層は、もう転職するという人生設計が当たり前であり、ひとつの会社にいつまでも働き続けられるとは誰も考えていない。そう願っても、リストラされてしまうのである。
これは、もはや戦後から一貫して続いて来たサラリーマンという生き方の終焉だ。
その結果、考え直さなければならない重要な変化が生まれて来た。それは、「持ち家」に対するものである。サラリーマンという生き方の終わりと共に、「持ち家信仰」も終わる。
■「住宅のために人生がある」のが日本人だった
かつて建築批評家の布野修司氏は著書『住宅戦争』の中で、このように述べた。
「住宅を手にすること、それは今のところ人生にとって、最大の事業である。住宅は人生で最大の買い物なのだ。住宅を買うために、その人生のほとんどの期間、ローンや家賃を払い続けるのである。人生のために住宅があるのではなく、住宅のために人生がある。全く転倒してしまっている。どこかおかしい」
現在、住宅を買うのに35年ローンすらも当たり前になっているのだが、35年ローンが馬鹿げた選択であるのはもう10年以上も前から指摘されている。
35年もローンが組めるのは、サラリーマンが終身雇用であり、年功序列であり、不動産が上がっているという前提が成り立たなければならない。
今やそのすべての前提が崩壊してしまっている。それでも35年ローンを組むのは、自分の人生が35年間も風波が立たないという方向に賭けているということになる。
現在の社会情勢を見渡すと誰も35年も淡々と生きられると思えない。まして現在のコスト削減を優先して作られた安普請の建物が35年も持つなど誰も考えていない。
「住宅のために人生がある」という本末転倒な生き方は、サラリーマンの終わりと共に消えていく現象であると言える。つまり、住宅は「所有するもの」ではなく、「消費するもの」「使い捨てするもの」になったのである。
買うのではなく、適当に借りて古くなったり都合が悪くなったら捨てて新しいところに移るというのが現実的になり、今後はその方向に向かって時代が動いて行く。
■「消費して使い捨てする時代」がやって来ている
住宅は所有するものではなく、「消費して、使い捨てするものだ」という感覚が当たり前になっていくのは、他にも理由がある。
日本人には2つの大きな経験が忘れられない。
それは、1995年に起きた阪神・淡路大震災と、2011年に起きた東日本大震災である。
どちらの震災でも「永遠の住処」だったはずの住居は、いとも簡単に自然の脅威に押し流され、叩きつぶされ、ガレキの山となって消えていった。
かろうじて残った住居も欠損し、神戸では今もひび割れたマンションがそのまま使われている。福島では津波によって原発が次々とメルトダウンして放射能が拡散し、半径20キロ圏内の不動産はすべて無価値と化した。
それだけではなく、福島全体の不動産が毀損してしまい、福島は永遠に放射能汚染という現実から逃れることができない。
不動産は持って逃げることができない。そして、日本では自然の脅威は今後も続く。まさか、大震災はもう二度と来ないとか、防止できると考えている日本人はひとりもいないはずだ。
2014年8月20日に広島県広島市安佐南区で起きた広島土砂災害を見ても分かる通り、自然の脅威の前に、人々の生活や夢や安全は一瞬にして壊されるのである。今後、激しい大規模災害はしばしば起きる。
地震も、火山噴火も、土砂崩れも、台風も、津波も、日本では何でも起きるのだ。
そんな中で、「永遠の住処」を数十年もローンを抱えながら買うという選択が見直されるのは当然の話だ。そうなれば住宅というのは「消費して、使い捨てにする」という発想をする人が増えたとしても不思議ではない。
実際、自分の人生が波乱に満ちたものになることや、自然災害がどのように襲いかかるのか分からないこともあって、すでに現実的な若年層から「持ち家信仰」が消えている。
広島県広島市安佐南区で起きた広島土砂災害。一瞬で、こうなった。
■買うのではなく「借りて、使い捨てる」ものに
現代に生きる日本人から急速に持ち家信仰が消えているのは、建設会社にも責任がある。
首都圏のあちこちに猛烈な勢いで建てているマンションや一戸建て住宅は、コスト削減や手抜きのために、壁は薄く、安っぽく、狭く、備品もちゃちだ。
家は一戸建てでもマンションでも100年持つというのは業者の作った嘘であり、実際には30年も経つとボロボロになって資産価値は毀損している。
そうなると立て替えが必要になるが、老朽マンションの建て替えなどは、各区分所有者に自己負担が発生することから、現実的には不可能であることが多い。
つまり、ボロボロの老朽マンションは、老朽するに任されるだけなのだ。一戸建ての建て替えにしても、35年もローン地獄をくぐり抜けて、終わったら今度はまた立て替えで1000万円も2000万円も出せる人はそういない。
35年にして、それが分かって来たのだ。そんなものを所有するために人生を棒に振るのを嫌がる人は増える。
おまけに、現在は価値観も変化しており、「持ち家」にこだわる人も減っており、年代に合わせて一番適切な場所や住居に移り住む方が合理的だと思う人も増える。
資産として見ても、今後は少子高齢化で日本の不動産は一等地以外は先行きが不透明となっており、不動産ビジネスは難しい事業に変わりつつある。
住宅に投資するのであれば、証券化されたJ-REIT(Jリート)に投資した方がまだ効率が良いと考える人も増えている。
住宅は、もう所有するものではなく、消費するものに変わっているのである。買うのではなく、借りて、使い捨てる。
モノが「使い捨て」にされるようになり、人間も「使い捨て」されるようになったのと同じく、住処(すまい)もまた「使い捨て」が主流になっていく。
東日本大震災。地震と津波で、見渡す限りのガレキの山となった。
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