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経済財政諮問会議と産業競争力会議、新人事の舞台裏 就任&退任めぐる思惑と政府の狙い(Business Journal)
http://www.asyura2.com/14/hasan90/msg/425.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 9 月 15 日 08:01:05: igsppGRN/E9PQ
 

経済財政諮問会議と産業競争力会議、新人事の舞台裏 就任&退任めぐる思惑と政府の狙い
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140915-00010002-bjournal-bus_all
Business Journal 9月15日(月)6時0分配信


 政府は9月5日、経済財政諮問会議と産業競争力会議の新たな民間議員を発表した。それに伴い、長谷川閑史・武田薬品工業会長(経済同友会代表幹事)と秋山咲恵・サキコーポレーション社長、坂根正弘・コマツ相談役特別顧問が退任となった。坂根氏は一時期、経団連会長の候補になったほど財界での信頼が厚かったが、以前から「コマツの現役役員を退任すると同時に財界など社外活動もやめる」と公言しており、本人の意思とみられている。ちなみに佐藤康博・みずほフィナンシャルグループ社長は暴力団関係者への融資問題ですでに退任している。

 一方、今回留任したのは岡素之・住友商事相談役、竹中平蔵・慶応義塾大学教授、橋本和仁・東京大学大学院工学系研究科教授(応用化学)、三木谷浩史・楽天会長兼社長(新経済連盟代表理事)の4氏。途中から産業競争力会議のメンバーに加わった岡氏は政府の規制改革会議の議長として医療改革などを主導し、留任が決まった。

 ちなみに、安倍晋三首相は経済財政諮問会議の民間議員の学識経験者枠に小泉純一郎政権で構造改革を主導した竹中氏を据える考えだったといわれる。しかし、麻生太郎財務相をはじめ安倍政権には小泉路線と対立した閣僚が多く、竹中氏の就任に麻生財務相が強く反対、甘利明経済再生相も難色を示したともいわれた。結局、竹中氏を産業競争力会議のメンバーに加えるという妥協案で落ち着いた。竹中氏は今回も留任した。

 新たな民間議員としては、経済財政諮問会議議員を退任となった佐々木則夫・東芝副会長、小林喜光・三菱ケミカルホールディングス社長が産業競争力会議の議員に横滑りし、金丸恭文・フューチャーアーキテクト会長兼社長、三村明夫・日本商工会議所会頭、小室淑恵・ワーク・ライフバランス社長が新たに加わった。

 小室氏は内閣府の「男女共同参画会議 仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)に関する専門調査会」委員などを歴任。金丸氏は政府の規制改革会議のメンバーとして農業改革を主導しており、経済同友会の副代表幹事でもある。規制改革会議農業ワーキンググループの座長として全国農業協同組合連合会(JA農協)の株式会社化を主張した。

 新しい顔ぶれからは、安倍政権の成長戦略の柱である農業、医療、雇用の規制緩和をさらに進める狙いがみてとれる。

●次期経済同友会代表幹事選びにも影響

 2013年1月23日に初会合を開いた産業競争力会議が特に重視したのが「市場の創造」だった。そのため、10人の民間議員のうち2人の起業家を起用した。それが三木谷氏と秋山氏である。秋山氏は安倍晋三首相とは浅からぬ関係にある。小泉政権時代の03年10月、秋山氏は首相の諮問機関である政府税制調査会の委員に選ばれた。第1次安倍内閣の06年11月には同調査会の特別委員を歴任している。

 秋山氏は04年に「日経ニューオフィス賞推進賞」、日刊工業新聞の「最優秀経営者賞」、05年に東京商工会議所の「勇気ある経営大賞グランプリ」、06年に日経WOMANの「ウーマン・オブ・ザ・イヤー(リーダー部門)」の2位にランクインするなど、女性起業家として注目を浴びるようになる。だが08年秋、米投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻がもたらしたリーマン・ショックで事態が急変した。サキコーポレーションは海外の取引が次々とキャンセルされ、08年12月期の最終損益は25億2601万円の赤字に転落。09年同期は売り上げが15億7936万円に激減し、2期連続の赤字となった。そのため、安倍首相が秋山氏の起用を決めた当時、疑問視する声も少なくなかった。

 ちなみに、今回発表された経済財政諮問会議の人事は、12月にも決まる経済同友会の次期代表幹事人事にも少なからぬ影響を与える。新たに民間議員になる新浪剛史氏・サントリーホールディングス(HD)次期社長と金丸氏が次期代表幹事として有力視されているが、元代表の長谷川氏は金丸氏を指名するのではないかといわれている。新浪氏は10月にサントリーHDの社長に就任予定だが、同社の経営と諮問会議、同友会の3つを同時並行でこなすことは難しいとの見方が強いからだ。

編集部


 

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コメント
 
01. 2014年9月16日 01:14:37 : rsQIxTWH5Y
竹中か。この売国奴を検察が見逃したのが日本の汚点。

02. 2014年9月16日 10:15:05 : nJF6kGWndY

官主導で成功するのは、途上国のみ

http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/090800063/090900001/?ST=system
100年ぶりの通信自由化がもたらしたもの(上)
「自由化」「モバイル」「インターネット」の大波に翻弄された通信市場
2014/09/16
西村 吉雄=技術ジャーナリスト (筆者執筆記事一覧)
出典:「電子立国は、なぜ凋落したか」 日経BP社 2014年7月14日発行pp.53-63
(記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)
連載目次へ >>

日経テクノロジーオンライン発行の書籍「電子立国は、なぜ凋落したか」〜アップルも鴻海も生み出せなかった日本。かつて世界を席巻した日本の電子産業が、凋落した本当の原因は何か。多面的な視点で解き明かす。詳細・ご購入はこちらへ。
 1980年代半ばには、通信分野にも大きな変化があった。米国では1984年に米AT&T(American Telephone & Telegraph)が分割された。日本では1985年に日本電信電話公社(電電公社)が民営化され、関連グループに改組される。いずれも、通信サービス市場への自由競争導入が狙いである。
 すでに述べたように、ゴルバチョフ氏がソ連の最高指導者となったのは1985年だった。それは東西冷戦の「終わりの始まり」を象徴する。1世紀近くをかけた実験の末、全体主義計画経済は、自由主義市場経済に敗れ去ろうとしていた。おりから米国はレーガン大統領、英国はマーガレット・サッチャー首相、日本は中曽根康弘首相が政権を担う。いずれも新自由主義的な経済政策を採る。通信自由化は、その一環である。日本では国鉄民営化が、中曽根内閣のもとで実施された。
電信も電話も放送も、日本では国営で始まった
 電気通信は19世紀の米国で、民営事業として始まった。1845年に米国のモールス (Samuel F. B. Morse)は、マグネティック・テレグラフという「電信」会社を設立する。「電話」も米国では民営で始まる。ベル(Alexander Graham Bell)が1877年にベル電話会社を設立する。「放送」も米国では民間企業が始めた。ウェスティングハウス・エレクトリック運営の放送局が1920年に「定時放送」を開始し、マスメディアとしてのラジオの可能性を開く[水越、1993、67〜69ページ]。
 米国では民間人が技術を開発し、民間人が会社を起こして電信電話事業や放送事業を始めた。ところが日本では、電信も電話も放送も、国営で始まる。技術は海外から導入した。事業は「お上」が運営する。
注:引用・参考文献は本文中では第1著者の姓と発行年を記す。引用箇所のページあるいはページ範囲を入れる場合もある。著者を特定できない場合は、媒体名または書名を著者名の代わりに用いる。
明治政府は1869年(明治2年)に電信事業を国営...
 明治政府は1869年(明治2年)に電信事業を国営で開始する。電話については国営にするか民営にするかで論争が起こる。しかし結局は国営で決着し、1890年に公衆電話事業が始まる[松田、2001、95〜115ページ]。
 ラジオ放送は社団法人 東京放送局によって1925年に始まった。翌1926年に社団法人 日本放送協会が発足する[高橋、2011、38ページ]。NHKの誕生である。社団法人という形態ではあったが、国営に近い。
 第2次世界大戦後(戦後)、電信電話業務については、1952年に特殊法人 日本電信電話公社(電電公社、NTT)が設立される。また翌1953年には特殊会社 国際電信電話株式会社(KDD)が設立され、国際電信電話業務はNTTからKDDに移管される。こうして電信電話事業は、国の直接業務ではなくなった。とはいえ民営にはほど遠く、国の関与は大きかった。
 放送事業では、戦後には民間放送が始まる。けれども放送規格の決定などは今も政府主導である。電信電話と放送は、古くは逓信省の所管だった。その後、郵政省を経て、現在は総務省の所管となっている。
国または公共事業体が民間企業の顧客
 この事業構造のもとでは、民間企業の顧客は、ほとんど常に国または公共事業体、すなわち日本電信電話公社や日本放送協会などである。各企業の主たる役割は長いこと、通信機器や放送機器をこれらの公共事業体に納入することだった。その機器の仕様も納入数量も公共事業体が決める。日本のICTは明治時代以来、いわば社会主義体制で運営されてきたのである。
 国に依存した事業構造は、日本の電子情報通信分野の企業体質に大きな影響を与えて現在に至る。この分野の事業や研究開発に、国が関与したがる傾向も、長く続いた事実上の国営に由来するのだろう。
 米国の電信電話事業は第1次世界大戦をきっかけに...
米国の電信電話事業は第1次世界大戦をきっかけに事実上の独占へ
 米国では前記のように電信も電話も民営で始まる。けれども第1次世界大戦(1914〜1918年)の際に、連邦政府は電信電話事業を国家管理とした。これがきっかけとなり、第1次世界大戦後に、電話会社の統合が進む。議会も電話事業については、独占禁止法を緩和する方向に動く。
 こうして米国でも、AT&Tによる事実上の独占が、1984年の通信自由化まで続くことになる。AT&Tはベル電話会社の後身である。
1985年の電電公社民営化で通信事業が自由化される
 日本では電話は、なかなか普及しなかった。高度成長の始まる1955年時点でさえ、家庭への電話普及率は1%にすぎない(図1)。電話サービスへの加入を申し込んでも、電話事業者は、すぐには電話機を設置してくれない。申込者の増加に電話網の拡充が追いつかず、申込者は長く待たされる。この状態を「積滞」という。

図1●電話加入者数推移
[画像のクリックで拡大表示]
 「積滞解消」と「全国自動即時化」が電電公社の目標となる。自動即時化とは、いわゆるダイヤル自動通話である。積滞解消は1978年、全国自動即時化の実現は1979年だ。また家庭電話が業務電話を加入者数で上回ったのは1972年である(図1)。このころの家庭への普及率は31%ほどにすぎない。「誰の家にも電話がある」という状態が実現するのは1980年ごろである。それは、ほとんど100年をかけた大事業だった。
「誰の家にも電話がある」状態が実現したとき、電気...

「誰の家にも電話がある」状態が実現したとき、電気通信業界は一変する。1985年4月1日に、日本電信電話公社が日本電信電話株式会社(略称はNTTのまま)に衣替えする。このNTT本体は持ち株会社で、国内電話サービスはNTT東日本とNTT西日本が受け持つ。他に、無線携帯電話を受け持つNTTドコモ、データ通信主体のNTTデータなど、グループ企業が整備された。
 電電公社の民営化は、100年近く続いた通信事業の独占体制が終わったことを意味する。特に移動通信分野には、新規参入が相次いだ。
異質の大波が次々に押し寄せ、ISDNを不要にする
 同じ時期、交換のデジタル化と伝送のデジタル化が達成された。これによって、通信と情報処理の融合は一つの完成系となる。すべての情報をデジタル化し、同じ通信網で統合的に処理する方式、これがサービス統合デジタルネットワーク、すなわちISDN(Integrated Services Digital Network)である。先進諸国では、これが1980年代に達成される。日本では1984年に実用化試験が行われ、1988年に商用サービスが始まった。
 デジタル化してしまえば、音声も文字もデータも、さらには動画も、同じ「1と0」の連なりになる。あらゆるメッセージをデジタル化し、デジタル交換機で統合的に処理することが可能になった。この当時、「ニューメディア」が流行語となる。ISDNは従来の通信や放送などの制約にとらわれない、新しいメディアを可能にする―─はずだった。
 しかし現実に起こったことは、まるで違う。1980年代の半ばごろから、新しい時代が確かに始まった。上記の電話技術の進展方向とは異質の大波が押し寄せてきたのである。その大波とは、携帯電話とインターネットだ。そして従来構造の電話交換網を不要にしていく。ようやく出来上がり「さあこれから」と思ったら、「もう要らない」と言われてしまった。
「通信は有線、放送は無線」の秩序を携帯電話が壊す...

「通信は有線、放送は無線」の秩序を携帯電話が壊す
携帯電話以前、電話機は線につながっていた。通信(電話)は有線、放送(ラジオやテレビ)は無線、こういう秩序が確立していた。
 こうなるまでには紆余曲折があった。例外も少なくない。たとえば無線電信、これは特に船舶との通信手段として重要である。衛星を介しての通信も、無線通信と言えるかもしれない。逆に有線放送も、いろいろなところで、それなりの役割を果たしてきた。
 しかし大勢は「有線通信と無線放送」、これが秩序だった。この秩序が確立したのは1920年代である[西村、2014、14ページ]。
 携帯電話は、この秩序を壊す。その普及は速かった。あっという間に人々は、無線で話すことに慣れる。若い人たちは有線電話(固定電話)を要らないと言いだす。「誰の家にも電話がある」状態を実現するために、あれほど努力してきたのに、それが実現したとたん、「ケータイがあるから家に電話は要らない」と言われてしまった。
 「通信が無線になるのなら、放送が有線になったっていいだろう」。その通りである。これを実現するのはインターネットだ。
インターネットはあらゆる活動のインフラストラクチャに
 インターネットはコンピュータ・ネットワークである。大小様々なコンピュータを通信回線でつないだネットワーク、これが現在のインターネットの実態だ。まさにICTである。インターネットによって、ISDNとは別の形で、情報処理と通信は一体化した。
 インターネットは、いまやグローバルな社会基盤(インフラストラクチャ)である。電話やメールのやりとりに使えば、インターネットは通信基盤の役割を果たす。動画配信を見るときは、インターネットはテレビ放送だ。
 ブログやツイッターの発表の場としてのインターネットは、雑誌や新聞に代わるメディアである。ウェブサイトを渡り歩いて調べものをするときは、インターネットは巨大な図書館の役割を果たしてくれる[西村、2014、133ページ]。
こういう万能のインフラストラクチャにインターネッ...

こういう万能のインフラストラクチャにインターネットが成長することを、通信自由化は想定していなかった。自由化後の通信業界は、「想定外」の激震に襲われることになる。
通信機器の生産は21世紀に入って急落
 気を取り直してとりあえず、生産動向と貿易動向を確認しておこう。図2に見る通信機器の動向は、第2章で見た民生機器の動向とは違う。1985年以前も以後も、輸出は少ない。これが第1の違いだ。生産動向にも、1985年を境とする変化は見られない。この点もテレビなどと違う。

図2●通信機器の生産、輸出、輸入
[画像のクリックで拡大表示]
 通信自由化という100年ぶりの大変化があったのに、その1985年には、生産動向などに大きな変化は見られない。
 上に述べたように、1980年代半ばは、ISDNへの投資が盛んだった時期である。これが通信機器の順調な生産の伸びを支えていたと考えられる。
 2000年を過ぎると、生産は急速に減少している。2000年に4兆円を超えていた生産金額は、2013年には1兆3300億円ほどである。21世紀に入ってからの日本電子産業の生産衰退に、通信機器の落ち込みの影響は大きい。また2005年を過ぎたあたりから輸入が急増している。通信機器の貿易収支は、2013年には2兆円を超える赤字だ。
■引用・参考文献(本文登場順)
[水越、1993]水越伸、『メディアの生成―アメリカ・ラジオの動態史』、同文館出版、1993年.
[高橋、2011]高橋雄造、『ラジオの歴史』、法政大学出版局、2011年
[松田、2001]松田裕之、『明治電信電話ものがたり─情報通信社会の《原風景》─』、日本経済評論社、2001年.
[西村、2014]西村吉雄、『電子情報通信と産業』、コロナ社、2014年.
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