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画像は「リニア中央新幹線ホームページ」より
JRでタブーになった「リニア新幹線」慎重論…「新幹線の父」の意見も封印
http://lite-ra.com/2014/09/post-458.html
2014.09.13. リテラ
JR東海が2027年に東京〜名古屋間での先行開業をめざすリニア中央新幹線は、この秋にも着工される予定だ。来たる10月1日には東海道新幹線の開業からちょうど50年を迎える。JR東海としては着工をその時期に設定することで、高速鉄道の歴史におけるリニアの正統性をアピールするという思惑もあるのだろう。
だが、ほかならぬ東海道新幹線の計画を推進し「新幹線の父」とも呼ばれる人物が、リニア開発に懐疑的であったという事実はどのぐらい知られているだろうか。
その人物の名は島秀雄という。1955年に当時の国鉄総裁・十河信二の申し入れで、副総裁格の国鉄技師長となった島は、十河とともに東海道新幹線の実現に尽力した。おそらく彼らがいなければ新幹線は完成しなかっただろうし、大都市間の旅客輸送の主役は鉄道から飛行機や自動車へと完全に移行していたはずだ。それだけに、島が新幹線の進化形ともいうべきリニアに疑念を抱いていたというのは、意外な気すらする。
リニアに対する島の立場は一貫している。それは、技術的にはおおいに研究すべきだが、実用化には慎重にならねばならないというものだった。以下、彼の亡くなった2年後、2000年に出版された『島秀雄遺稿集―20世紀鉄道史の証言―』(日本鉄道技術協会)から、過去の雑誌や新聞記事におけるリニアへの言及箇所を、時代を追って確認してみたい。
旧国鉄におけるリニアモーターカーの研究は東海道新幹線の開業前夜、1960年代前半より始まり、1970年の大阪万博では、実際に磁力で浮上走行する模型が展示された。この時点で島は、リニアモーターは原理としては簡単なので、模型をつくるぐらいなら何でもないとしつつ、次のように指摘していた。
《それを大電力でもって、電車のようなものに実用化するというところに問題があるんですよ。(中略)それを本ものにしてわれわれエコノミック・アニマルが社会生活に使うものとして役立つようなものができるか、どうかということが実現上の問題として残るのです》(『週刊朝日ゼミナール』1970年12月9日号)
島は、リニアを高速で運転するには大量の電力を必要とすることを見抜いていた。この問題は現在にいたっても解決したとはいえず、リニアの電力消費は現行の新幹線の3〜5倍(時速500キロで走行した場合)であることが指摘され、反対論の一つの根拠となっている。
さらに、東海道新幹線が開業から10年を迎えた1974年の雑誌記事には、次のような島の言葉が見られる。
《わたしは技術屋が、何か技術的可能性を確立したい、あるいは形に現したいと考えるのは無理ないことだと思うのです。そういうことで一所懸命研究することは、とくに若いエンジニアの士気高揚のためには非常に必要です。だから、いま未来交通の花形のようにいわれてるリニアモーターの研究など、わたしがまだ国鉄にいたころからやってもらっています。(中略)しかし一方、そういう技術的可能性が仮に実現した場合、社会生活の面でどういうことが起こるか、交通経済的、社会的な研究をやる人がもっといなければいけないと思います》(『季刊中央公論』1974年冬季特別号)
この記事のタイトルは「不肖の息子・新幹線を語る」というものだった。時期的にはちょうど東海道新幹線の騒音公害が社会問題化していた頃にあたる。騒音のことなど、新幹線の開発中にはさほど深く考えられていなかった。それだけに島は自らの反省も踏まえて、リニアのような新技術の実用化に際しては、社会とのかかわりを最大限に考える必要があると主張したものと思われる。
島はリニアに対し時代が下るごとに否定的な発言を鮮明にしていく。1994年の新聞記事での発言にいたっては、さらに具体的だ。
《スピードをもっと上げるとどうなるか。止まるのも大変になるのね。前の列車と次の列車の間をうんと空けなければ、走れない。路線に入る列車の本数がとれない。止まらなければ、中間駅のない列車だ。これで何をどう運ぶというのか。物理実験の意味は大きいから研究は大いにやったらいい。でもね、列車のスピード競争はね、もういいかげんにして、わきを固めたらどうか。日本は狭いし、空路もあるんだから》(『朝日新聞』1994年7月21日付)
もっとも、この発言には島がやや誤解しているふしがある。リニアは従来の鉄輪式の鉄道よりも、速度を上げるのも落とすのも短い時間で済むことが特徴だからだ。ともあれ、この発言の主眼が、いたずらにスピードアップに邁進する現状への疑念にあることは間違いない。ちょうどこの発言の少し前の1992年には、JR東海が飛行機に対抗するべく東海道新幹線に新型車両300系を投入、「のぞみ」の運行が始まっていた。また、リニア中央新幹線の実現に向けて、山梨実験線もこのころ着工されている(1997年に完成、走行実験を開始)。
■JR東海がPR誌から削った「新幹線の父」の発言
1994年は東海道新幹線開業から30年の節目でもあった。このときJR東海のPR誌にも島秀雄のインタビューが掲載された。その収録の際に進行役を務め、記事の構成も手がけたノンフィクション作家の前間孝則は、雑誌掲載時に島の発言が数カ所、削られてしまったことを著書で明かしている。
削られたなかには、《いま世界の鉄道会社やJR各社がスピード競争のようにして盛んに進めているが、「四百キロとか五百キロとかいった高速を狙うことは振動とか安全面からみて問題だから慎むべきだ」と否定的な見方で警鐘を鳴らしている》、リニア批判ともとれる発言もあった。それは、すでに90歳をすぎていた島にとって「私の遺言」という意味合いも込められた、きわめて重要な発言だった(前間孝則『技術者たちの敗戦』)。
前間によれば、インタビューの原稿をまとめたのち、JR東海からゲラが送られてくるものと思って待っていたが、一切ないまま、1カ月以上経ったのちできあがった本が送られてきたという。
《リニアの実用化に向けた実験を進めているJR東海とすれば、耳の痛い発言だったからであろう。だから、意図的に削除し、そのことを指摘されてもめるとまずいので、あえてゲラを私に送らなかったものと推察した。この姑息なやり方に私は抗議し、原稿料の受け取りを拒否した。私の文章の箇所ならばともかく、遺言として口にした言葉だけに、島に対してあまりにも失礼な行為であると判断したからだ》(前間、前掲書)
JR東海にとって東海道新幹線は、同社の営業収入の大半を稼ぐドル箱路線だ。それを実現した功労者に対し、同社の対応はたしかに失礼だったといえる。それ以上に、大先輩の意見に耳を傾けようとしないことに、リニアの実現になりふりかまわず突き進む企業の姿を見るようで危惧すら覚える。
■元総裁も!国鉄出身者からあいついだリニア慎重論
それにしても、世界に先駆けて高速鉄道の営業を実現したにもかかわらず、後年になって島がスピード競争を批判したのはなぜか。東海道新幹線の本来の目的を知れば、それも納得がゆく。その建設の目的は、あくまでパンク寸前にあった東海道本線の輸送力の増強のためであり、時速200キロというスピードはその最適解として導き出されたものにすぎなかった。ようするに、スピードはあくまで手段にすぎず目的ではなかったのだ。
ひるがえって、リニア中央新幹線の建設には、東海道新幹線の輸送力増強に加え、将来大地震が起こったときの代替路線といった役割も課せられている。だが、最高時速500キロのリニアは果たしてその最適解といえるのだろうか? これについて、まだ議論し尽くされたとはいいがたい。
じつはスピードに関していえば、リニアはすでに鉄輪式の鉄道に対し絶対的優位の立場にはない。たしかに日本でリニアの開発が始まった1960〜70年代には、鉄輪式の鉄道で出せる速度はせいぜい300キロが物理的限界で、営業運転では250キロ程度が限界だとのデータが前提としてあった。だが、その後の技術開発により、日本のほか各国で300キロ以上での営業運転が実現し、フランスの走行実験では500キロを超す記録も出ている。同じスピードが出せるのであれば、べつにリニアにこだわる必要もないともいえるのだ。ただし、いずれの方式を採るにせよ、500キロの営業運転のためには、騒音やエネルギー消費などクリアすべき多くの問題があることに変わりはない。
元国鉄総裁の仁杉巌は、2002年に行なった講演で中央新幹線の早期実現の必要性を訴えつつも、リニアには慎重論を示した。その理由として仁杉はまず、リニアの走行や浮上にはかなりのエネルギーが要るであろうことをあげている。それに加えて、一つの国のなかに高速鉄道のシステムが二つあることになれば、鉄道の線路幅や電気の周波数などのケースと同様、不便なことが起こるのではないかと疑問を呈した。《非常に優秀な、しかも経済的な交通手段としてマグレブ[リニアモーターカーの英名――引用者注]があるならそれを使うべきであろう。しかし、もし同じぐらいのことならば、むしろシステムとしては[引用者注――従来と]一緒のものにしておいたほうがいい》のではないか、というのだ(仁杉巌『挑戦』交通新聞社、2003年)。
仁杉と同じく国鉄で長らく技術畑を歩いたのち、JR東日本の副社長、会長を歴任した山之内秀一郎も、リニアへの直接的な言及ではないものの、その警鐘ともとれる言葉を残している。このうち《鉄道においては、スピードばかりを競うような考え方はだめだし、そんな思想の技術者もだめだ》とは、島秀雄の考えとも通じる。
山之内はまた、《赤字経営に悩まされ続けて、ついに分割民営化した国鉄時代の苦い教訓からすると、鉄道事業において、公共事業みたいに巨額の設備投資による借金を抱えつつの経営は企業を倒産に追い込んでしまう》とも語っていた(前間孝則『新幹線を航空機に変えた男たち』さくら舎、2014年)。この発言は2000年と、JR東海がリニア中央新幹線を自前で建設すると発表する前のものだが、そのために9兆円という建設費がかかることがあきらかになったいま読むと、JR東海という企業の存続にも不安を感じざるをえない。日本の大動脈を預かる企業の倒産が、多大な影響を与えるであろうことは容易に想像がつく。
かつて日本と同じくリニアの研究開発が進められていたドイツでも、ベルリン〜ハンブルグ間に路線を建設する計画があった。しかしこれは結局、2000年に中止されている。とても巨額の投資を回収できる見込みがなく、環境に悪影響を与え、在来線とのネットワーク化も不十分にならざるをえないなどの理由からだった。
冒頭の繰り返しになるが、JR東海としては新幹線の成功体験をそのままリニアへと継承したいのだろう。だが、ここまで見てきたように両者は歴史的に“一直線(リニア)”につながるものではけっしてない。時代背景も、東海道新幹線が計画された高度成長期と、少子高齢化を迎えた現在とでは大きく異なる。本当にリニアは必要なのか、鉄道を利用する側としても、島秀雄をはじめ先人たちの意見を顧みたうえで、あらためて考える必要がありそうだ。
(近藤正高)
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