06. 2014年8月28日 08:15:26
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http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140821/270173/?ST=print 給料を上げた方が、会社は得をする佐賀県の地域運送会社「トワード」(後編) 2014年8月28日(木) 内藤 耕 トワードは、佐賀県吉野ヶ里町にある運送会社で、IT投資を積極的に行ってきた会社として知られている。同社の源流は戦争中まで遡る。 最近になって、トワードに襲いかかってきた危機が、人手不足という問題である。トワードの現場作業は、多くのパート従業員によって支えられているが、このパートが簡単に集まらなくなってきた。そこで、トワードは、会社全体の生産性向上に取り組み始めた。後編となる今回は、トワードが生産性向上に取り組むようになった背景について、現社長の友田健治氏に詳しく聞いていく。(前回はこちら) 「トワード」の物流拠点 地方でも人手不足は深刻 人手不足を乗り越えるには、やはり給与を上げないといけないということですね。 友田:この佐賀県でも人手不足は深刻化し始めています。この点からも給与を上げていかないといけません。これはあくまでも会社からの視点ですが、一方で社員の生活という視点からしても、給料は上がった方がいいに決まっています。この2年間、努力してきましたが、自分が現場を回って見ても、まだ生産性が高いと言える状況にはなく、改善できることはたくさんあります。 「給料をまだまだ上げられるのに」「まだ自分達には知恵が足りない」「動きに無駄が多い」――。このように、毎日“もう少し何とかなるのではないか”と考えながら現場に臨んでいます。 今のトワードは無駄なことをたくさんやっていて、給料をみんなで薄く分かち合っているだけなのです。もっと無駄をなくせば、もっと給料を出せるということです。 このような努力を続けて、社員達の給料をまず10%は上げていきたい。パートさんたちの給料も同じように上げないといけません。現場の社員達はパートさんをできるだけ安い賃金で募集しようとしますが、長く働いてくれれば習熟度も上がります。ミスが減っていけば、生産性がどんどん上がり、高い給料を出しても、会社はむしろ得することになります。 給料を上げた方が会社は“得する”という感覚を、経営者が持てるかどうか、と言うことですね。 友田:会社として大事なことは、“経費が下がること”です。その1つである人件費が、結果として下がればいい。つまり、これまで以上の成果さえ出してくれれば、給料がこれまで以上に高くても構わないはずです。少ない人数で働いた方が1人ひとりの分け前が大きいということで、現場の部門長たちが「人が足りない」と言っているうちは給料が上がるはずがないのです。 このように言ってしまうと単純化しすぎですが、今のトワードは頭を使って現場作業をどんどん改善し、それで生産性を上げた部門に成果給を厚く出す仕組みを作っているということです。生産性を上げるのはとても大変なのですが、このような方針で給与を少しずつ上げていけば、現場の働く環境も良くなっていくと思っています。 実は、社員の離職が1割弱くらいあります。トワードの社員数は120人で、1年間で10名程度が辞めていきます。サービス業としては低い方だと聞いていますが、この離職が今の課題です。特に気にしているのが退職の理由です。表面上は自己都合となっているのですが、「仕事が面白くできていないのでは」と感じています。この責任は自分にあります。もっと達成感を持たせられる仕事をさせられていないのではないかと、反省しています。 トワードの友田健治社長 友田:特に大きな問題は、パートさんです。激しく入れ替わっています。パートさんたちの離職を止めないといけません。新たに来てくれたパートさんに仕事を教えなければなりませんし、求人広告もばかにならない経費です。パートさんにも成果給のような制度を入れなければ、会社としての生産性向上はすぐに限界に来てしまいます。
ただ、パートさんの給料を上げることに対して、現場の部門長たちは抵抗してきます。給料を上げる話なのに、なかなか動いてくれないのです。経費が上がることを恐れているのだと思います。自分は会社や部門全体で生産性が上がって人件費率が下がればよいと思っていて、改革を押し切って進めています。トワードの現場で働いているパートさんやドライバーの生産性が上がらなければ会社が良くならないからです。 酒屋から運送会社に転換 そもそも、トワードはどのような会社なんですか? 友田:トワードの源流は、三瀬貨物有限会社というトラック運送会社で、自分の爺さんが戦争中の昭和16年にこの佐賀県の山の中で創業しました。当時はまだ珍しかった自動車を買ってきて、それを貨物運搬トラックに改造したようです。このような田舎では、当時はまだ馬車で貨物を運送する時代で、トラック運送自身がまだ珍しい商売でした。今は何も資料がなく、どうして戦争中の大変なときにトラック運送会社を始めたかは分かりません。 創業した三瀬という地域はものすごい山の中で、昔から林業が盛んで、材木を切り出す製材業や炭屋がたくさんありました。近所には酒、醤油やお酢をつくる醸造所もいくつかありました。自分の爺さんも小さな酒蔵をやっていました。酒だけでなく、炭や材木を小さな馬車に乗せて、自分で引いて福岡市や佐賀市まで2日かけて売りに行っていたようです。荷物を運ぶのに、当時まだ珍しかったトラックの方が1日で往復できて「早いぞ」ということになったのかもしれません。このような話を自分が子供だった頃によく聞かされていました。 創業して3年くらいは、地元の荷物を消費地まで運ぶ仕事をしていたようですが、戦時統合で地元にあった運送会社と一緒になったようです。統合に関する資料は何も残っていないので、今となって詳しいことは分かりませんが、政府としては会社の数が少ない方がコントロールしやすいと考えたのかもしれません。 自分の父親は戦争で満州に行っていて、2年間の抑留を終えて帰って来ました。落ち着いたところを見計らって、昭和26年に会社を分割して三瀬陸運株式会社として再出発しました。元々の酒屋は廃業していたので、父親はトラック5台でこの仕事を再開し、かつてのように佐賀や福岡に荷物を運んでいました。 トラックの台数は10台の時もありましたが、自分が入社した昭和42年の時はそれが4台になっていました。時代の変化の中で、材木や炭、酒といった商品の運搬から、徐々に野菜へと移り、さらに昭和50年代後半になると生コン屋がこの田舎に来て、運送需要が増えてトラックも17台にまでなりました。 この時に三瀬という佐賀県と福岡県の境にある山の中から、今の吉野ヶ里に本社を移しました。ちょうど日本がバブル経済に浮き足立っていた時で、この田舎はその影響が全くなかったのですが、本社の土地を買うのに銀行が融資してくれました。会社名もこのときに株式会社トワード物流(2011年10月にさらに会社名を株式会社トワードへ変更)に変え、そして自分が父親から世代交代して社長になりました。 経験と勘では無駄が多すぎる 仕事のIT化に取り組まれたきっかけを教えていただけますか。 友田:馬車をトラックにいち早く変えたように、仕事のコンピュータ化も早かったと思います。1980年代にVANというのが出たとき、それを使ってお客様の発注システムを開発しました。さらに世の中にPDAというものが登場すると、それに発注システムを搭載しました。 かつてのトワードは、経験と勘で荷物を運んでいました。当時から、それまでのやり方に“ムダ”が非常に多いと思っていました。帰りのトラックが何も積まないで空っぽで帰ってくることもあれば、同じ時に荷物を積み切れないほどの時もありました。人を使って、トラックを使って、燃料を使って、空車と満車を同時に走らせることもあったのです。 本当にもったいないことをしていて、何とか一緒にできないのかといつも思っていました。荷物の情報さえ詳しく分かっていれば、もっと効率よく積載でき、トラックの台数が半分で済むはすです。今の2倍の荷物を運べ、効率が上がると感じていました。 このように思っても、最初はインフラが伴っていなかったので何もできなかったのですが、ある時からITが普及し始め、荷物だけでなく、情報もお客さんとつなぐことを考え始めたのです。以前は、ファックスや電話でお客さんの荷物の情報を得ていたのが、あるときからインターネットを使った方が効率的だと思うようになってPDAを使い始めたのです。 自分はトラックの運転手だったので、パソコンは得意ではないのですが、直感的にインターネットで世の中が変わると思っていました。自分達のお客さんは中小の会社が多く、単独でIT投資がやりにくいので、トワードが一括してやる事業を展開してきました。この一連のIT投資で、2006年に荷主を物流業務の代行とそれを支援するコールセンターサービス「COSO(コーソ)」(Chain Operation Support Office)を導入しました。 どうしてこのような積極的なIT投資をやろうと思ったのですか? 友田:とにかくムダなことを何とかしたかっただけです。運送の効率化は情報の仕組みがないとできないと直感的に思っていました。つまり、情報システムを会社としてきちんとしていかないといけない、というのが前提にあったのです。情報がきちんと回れば、お客さんに荷物がちゃんと届いたという証明もできます。今は通信料金が安くなってきているので、もっと簡単にできるようにしていかないといけません。 会社の根底には、ムダをなくしたいというのがいつもあります。空気を運ぶのがもったいない。空ふかしや不必要な加速、無駄な減速はもったいない。もっと無駄を省けるやり方があるのではといつも考えていました。トワードは小さな会社なので、他と競争していくには、ムダを少しでもなくすしかなかったのです。 自分が会社に入って最初の25年間は、今のように工夫することはありませんでした。ただトラックを乗り回していただけでした。それで飯は食えていました。 大きな転機になったのがオイルショックでした。さらに地球環境問題への関心の高まりや規制緩和の波がこの運送業界に襲いはじめ、それまでのやり方に限界を感じ始めたのです。今は人の問題が深刻ですが、「このままではいかん」と当時も思ったことを今でもよく覚えています。トラックの台数を増やし続けてもダメで、それで何か別のことをやらないといけないと思い始めたのがきっかけです。 ◇ ◇ ◇ トワードには、常に時代の変化を先読みしながら新しいことに取り組む遺伝子と、無駄なことをやりたくないという遺伝子がある。これにより、佐賀県の山奥で創業した会社を大きく成長させてきた。ここに来て“人”の働き方のムダに注目し、生産性向上に積極的に取り組むことで、会社をさらに成長させることを目指すようになった。トワード乗り組みはこれからも続く。 このコラムについて 賃上げで勝つカイシャ 世の中では、“賃上げ”への期待が高まっている。現政権の積極的な働きかけに呼応するように、一部の大企業の中には賃上げを積極的に検討するところが出てきた。しかし、地方の中小零細企業、特にその主体であるサービス業は、低賃金と長時間労働から脱却できていない。今、期待が高まっている賃上げの動きは、現実的には社会全体の中でごく一部の大企業に限られているのが現実だ。 しかし、政府が取り組みを始めるずっと以前から、地方の中小零細のサービス業の中で、静かに、賃上げの動きが始まってる。人の確保、離職率の低下、そして社員の生産性向上を実現するには、「賃上げ」などの社員の働く環境の整備が肝要ということに気付き、それを実践し始めている。 本コラムでは、地方の中小零細のサービス業の経営者達へのインタビューを通じて、サービス業の賃上げに向けた生の声を紹介していく。 |