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京セラ、不思議な会社の深層競争力は「アメーバ経営」を支える倫理と論理の両輪
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140806-00010004-bjournal-bus_all#!bwHNEm
Business Journal 8月6日(水)3時0分配信
「2つの会社はすでに存在価値を失った。われわれは独立したかたちの会社として、新しい存在価値を見いだそうではないか。そのためにも利益を上げなくてはならない」
こう話すのは、富士通とパナソニックの半導体(システムLSI)事業を統合し10月〜12月に発足する新会社の社長に就任する元京セラ社長の西口泰夫氏。生産をせず、企画、研究開発に専念するファブレス会社として生まれ変わる同社には、富士通が500億円、パナソニックが100億円、そして日本政策投資銀行(DBJ)が200億円をそれぞれ出資する予定。数年後の新規株式公開を目指す。売上高は単純合算で年間約1500億円規模になる。
西口氏は、1972年に大阪教育大学大学院修士課程を修了。75年京セラに入社した。取締役電子部品事業本部長、常務取締役情報通信本部長、代表取締役専務、代表取締役副社長などを歴任し、99年に代表取締役社長に就任。その後、代表取締役会長兼CEO、取締役相談役に。経営者だけにとどまらず、アカデミズムの世界にも挑戦する。2009年9月、同志社大学大学院総合政策科学研究科総合政策科学専攻技術・革新的経営研究コース博士課程(後期課程)を修了し、博士(技術経営)を取得した。同志社大学ビジネススクール客員教授を務め、現在は同志社大学技術・企業国際競争力研究センター(ITEC)シニアフェロー。さらに、株式会社HANDY代表取締役社長、独立行政法人科学技術振興機構特任フェロー、京都府産業支援センター「経営戦略会議」アドバイザー、株式会社SOLE代表取締役、京都産業21・京都次世代ものづくり産業雇用創出プロジェクト ディレクター、一般社団法人日本電子デバイス産業協会理事・副会長のほかに、複数社の社外取締役や顧問など多数の肩書を持つ。
京セラの入社試験で西口氏の面接官だったのは、創業者の稲盛和夫氏。いわば「稲盛チルドレン」の一人である。30数年間、主に新規事業を立ち上げることに注力してきた。まさに、筆者がいうところの「創職系」企業家である。
以上の経歴から判断する限り、西口氏は極めて理を重んじる経営者に見える。一方、稲盛氏の発言や著書からは、仏教哲学的な倫理観が垣間見られる。特に近年、稲盛氏の経営哲学は誰でもわかる表現で叙述的に表されることが多い。それに基づき、「稲盛イズム」が語られているきらいがある。
その結果、いくつかの上滑りな見方も独り歩きし、賛否両論が巻き起こる。『生き方』『京セラフィロソフィ』(ともにサンマーク出版)など近著だけでなく、これまで数々の著書が相次いでベストセラーになってきた実績を見ても、日本にとどまらずアジアを中心とする海外にも稲盛ファンが多いことがわかる。一方では、当サイトでも指摘されているようにブラック企業論まで飛び出す不思議な会社である。しかし、表から見ていてはわからない不思議さが京セラの競争力であるという見方もできる。つまり、表層の競争力だけでなく、それを組織にまで落とし込んだ深層の競争力があるとも考えられる。自戒を込めていうと、ジャーナリスト、アナリスト、研究者など、京セラの経営に携わったことがない外部者、少なくとも参与観察していない者が安直に論じられる会社ではない。
●倫理と論理の両立
それでも、あえて京セラの競争力を検証しようとすれば、7月19、20日の両日、大阪で開かれた企業家研究の学会「企業家研究フォーラム」で登壇した西口氏の話が参考になった。「企業経営の責任を果たすための経営論理と実践の融合」というテーマの講演で西口氏は、「倫理と論理を両立させるべきだ」という。
「従業員に長く喜んで働いてもらう。株主へきっちり配当する。社会に対する責任として納税する。こういったステークホルダーへのリターンを考えると、持続的成長がもっとも大事です。これは利益を上げ続けなければ実現できない。利益は次の成長のための原資です。営利を追求することは企業の大きな責任です。しかし、利益を上げるためにといって間違ったことをしてはいけない。船場吉兆がアユを使いまわししたことが発覚し、つぶれてしまったのはその最たる例でしょう」
そして、西口氏は付け加える。「ただし、倫理は(経営の)十分条件ではない」と。では、経営における十分条件とはなんなのだろうか。それは、「論理である」と西口氏はいう。
「倫理と論理は車の両輪です。この考え方を社員に持ってもらわないといけない。なぜなら、経営者がいつも従業員を監視しているわけではありません。従業員は経営者が見ていないところでも、この両輪を動かして仕事をしてもらわなくてはなりません」
稲盛氏は「八百屋さんのような意識を持て」という。つまり、一つ一つの小さな集団が現場ごとに経営者意識を持ち、「売上―原価=利益」という極めてシンプルな原理をできるだけ小さな集団に落とし込み、体現してきた、京セラの創業時から続く「アメーバ経営」の原点なのである。これは、単なる成果主義とは異なり、人間とはどうあるべきか、いかに付加価値を生むか、といった考え方がベースにある。
●求められる、社会人としての倫理観
ところが、このような論理と同時に倫理を回転させるのが難しい時代になってきた。関西では終身雇用の代名詞と見られていたパナソニックでさえ、経営再建のため大胆な人員削減を実施するようになった。つまり社員にとっての「持続的成長」が保障されなくなってきたわけである。このような環境の中では、経営者も「会社を愛せよ」とは言いにくくなる。特に、賃金で時間や労働を買っている非正規雇用社員のような雇用形態が一般化した現在においては、「倫理は〜」といってもなかなか通じなくなってきた。さらにグローバル化が進む中、日本人に通じた倫理観も外国人には通じないのではないかと想定される。
だが、西口氏はこの点について楽観的である。
「私の経験からいうと、アメリカのクリスチャンのしかるべき人たちは、宗教に裏付けられた生き方をしています(キリスト教的倫理観を備えています)。企業活動がグローバル化していくこれからは、企業の中だけの倫理ではなく、社会人としての倫理観が重要になってくるのではないでしょうか。この点について、企業は社員と議論していかなくてはならないでしょう」
論理と倫理の両輪は、グローバル化という新しい時代に向けて回り始めている。(松下)幸之助イズムと同様、稲盛イズムは日本の経営(者)に大きな影響を与えた。しかし、環境の変化とともに変わり、解釈も変えていかなくては硬直し、神話化されたイデオロギーになってしまう。「変えてはならないもの」と「変えていいもの」を正しく見極めることで、企業の持続的成長はより確かなものとなる。
長田貴仁/神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー、岡山商科大学経営学部教授
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