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石井敦氏は現在、NKSJホールディングスで働く。防衛大学校卒。
「日本は学歴にとらわれ過ぎ」 グーグル、MSでは学歴は関係なし!
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/140803/ecd1408031707002-n1.htm
2014.8.3 17:07 SankeiBiz
■都立日比谷高→防衛大→航空自衛隊
元自衛官の石井敦氏(48歳)が、航空自衛隊に勤務していた頃の思いを語る。
「内局(防衛省)は、シビリアン・コントロールの意味をはき違えている。彼らは、決して、国民から選挙で信任を得ているわけではない。ところが、自衛隊をコントロールしようとする。しかも、現場のことをわかっていない。そこに、大きな問題がある」
都立の名門・日比谷高校を卒業し、1984年、現役で防衛大学校の宇宙航空工学部に入学した。88年に航空自衛隊に任官し、北海道の千歳基地、石川県の小松基地などに勤務した。管制塔でレーダーなどを使い、自衛隊や民間機、さらに近隣諸国の軍用機や民間機などの監視をしていた。95年、退官した。2等空尉だった。
防大を卒業し、任官した中で「訓練や規律が厳しい」といった理由で辞める人はいないのだという。石井氏は、こう話す。
「むしろ、自衛隊の置かれた立場、例えば、憲法との関係やシビリアン・コントロールのあり方、さらに政治に翻弄される状況に疑問や怒りを感じ、退官することが多い」
防大を受験する際、担任の教師から聞かされた。
「防大は東大に入る学力をもった学生が志願する。その多くは、レンジャー訓練にも耐えられる体力も兼ね備えている」。実際に入学すると、大きく異なっていた。入学したばかりの学生はひ弱な印象に石井氏の目には映った。
「その人たちが意外にがんばる。多くは立派に卒業し、自衛隊に任官していった」
84年入学の同期生は約500人で、卒業したのは350人ほど。150人の多くは、1〜2年のときに辞めた。入学し、1か月後の5月の連休前後に、数十人が退学した。石井氏は「様々な意味で相当に厳しいから、ついていけないと判断するんじゃないかな」と振り返る。そして、「4年を終え、任官するときに拒否して民間企業に行くよりは、1〜3年で辞めるほうがはるかにまともな考えだと思う」と付け加える。
■グーグルでは学歴が話題になったことさえない
95年5月、29歳のとき、自衛隊を退官した。その後はかねてから関心があった、自動車ジャーナリストになろうとアメリカにわたる。デトロイトを拠点として活躍する、ジャーナリストに弟子入りした。アメリカには、母親が住んでいた。母は、中国系のアメリカ人。リノ(ネバダ州)にある母の家でしばらくは同居し、やがてデトロイトに移った。
だが、夢は叶わなかった。師匠と仰ぐジャーナリストが、「物書きよりも、モノを作って生きていくほうが、あなたには向いている」とさとす。そして、シリコンバレーにある、グーグル社を紹介した。師匠は、グーグルのウェブサイトで記事を書いていたこともあり、コネクションがあった。石井氏は自動車ジャーナリストに未練を残しつつも、グーグル社で働くことにした。30歳になっていた。
もともと、英語は堪能だった。プログラムにも長けていた。防大や航空自衛隊で管制塔に勤務している頃から、パソコンを始めとした通信機器、さらにそのシステムや複雑な仕組みには精通していた。
グーグル社では、サーチ・セクションで働いた。検索を繰り返しては、あるテーマについて調べていた。部署は、約40〜50人。アジアやヨーロッパなど各国から来ていた。石井氏は、学歴を感じることは1度もなかったという。
「話題にすらなったことがない。日本や韓国、中国などアジアの国では学歴が重視されるが、アメリカ企業の現場ではあまり重要視されていないと思う。むしろ、その人が何をどのくらいできるのか、そのことで評価される」
■マイクロソフトでは物を作っている緊張感が……
2年ほどが経った後、マイクロソフト社に移る。34歳の頃だった。グーグルにいた頃、ソフト関連の製品を扱うショーに行った。マイクロソフトのブースがあった。石井氏は、その場にいた担当者と話をした。それが縁で、マイクロソフトの本社に見学に行くことになる。物を作っている緊張感のようなものを強く感じたという。
「少なくとも、当時、在籍していたグーグルの部署にはない雰囲気だった。自分たちでリスクを追い、作り、販売する。そんな姿にあらためて魅力を感じた」
迷うことなく、採用試験にエントリーした。面接の場では、人事担当者が学歴・職歴をみた後、「軍隊にいたのですね」と確認した。石井氏は、「自衛隊は海外では軍隊として扱われている」と説明する。
「米軍でも、あの北朝鮮の軍でも、セルフ・ ディフェンスという考えのはず。自衛のために、軍があるわけだから。自衛隊だけが、セルフ・ ディフェンスではない。ところが、自衛隊だけがセルフ・ ディフェンス・フォースとなっている。こんな論理は、海外では通用しない。要は、フォースとあらためればいいだけのこと」
マイクロソフトでは、まず、3か月の研修の後、コンシューマーサポートをする部署に配属された。プログラムなどがある程度、できる人がいくセクションだ。お客からの問い合わせにメールで受け答えをしていく。
「まずは製品を使いこなし、自分の体で覚えていくことが必要。プログラムができないと、働くことは難しいセクションかもしれない」
次に、法人販売のサポートをする部署へ移った。仕事の内容は前の部署と大きくは変わらない。ただし、法人の場合はサーバーなどが必要になるだけに、システムなども含め、広く深い知識が求められるのだという。この後、開発の部署へ異動する。プランナとして、ウィンドウズ開発のチームに入る。1つのチームには、30人ほどがいた。ベースプログラミングから背景や設定まで、細部にわたり関わる。
2008年、40歳の頃、日本に10年ぶりに帰国することになった。ウィンドウズ8の日本バージョンを開発するにあたり、スタッフに選ばれた。2013年5月まで開発に関わり、退職をした。
■学歴ではその人の力を判断できない
その後、防大卒の自衛隊OBの先輩からの誘いもあり、現在はNKSJホールディングス(損保ジャパンと日本興亜損保の持株会社)で働く。船や飛行機、車などの損害保険の調査をするために、国内各地を飛び回る。防大の先輩数人が同じ部署で働く。
「40代後半になって、防大という学歴の意味を考えるようになった。これまで20数年間は、学歴を意識することはほとんどなかった」
それでも、学歴については仕事をするうえで、さほど重要ではないと考えている。アメリカのマイクロソフトにいた頃の上司は最終学歴が高卒だった。難易度の高い大学を卒業した人よりもハイレベルな仕事をしていたという。
さらに、このような投げかけもする。
「ここ5〜6年の日本の政治をみても、学歴がいかにその人の力を判断するうえで、いい加減なものであるのかがよくわかる。東大卒の鳩山さん、東工大卒の菅さん。この人たちの外交・防衛政策はひどかった。一方で、成蹊大卒の安倍さんの外交・防衛政策は、戦後70年ほどの中で最もまともだと思う。
その意味では、東大・東工大卒よりも、成蹊大卒が優秀にみえる。元自衛官として本音をいえば、内局にめちゃくちゃにコントロールされるのも困るけど、あの東大・東工大コンビにかき回されるのも、迷惑だね。日本は、学歴にとらわれ過ぎなのではないのかな……」
(ジャーナリスト 吉田典史=文)(PRESIDENT Online)
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