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何でもないものですらも、美しく昇華してきたのが日本人の特質だ。日本人のあなたも何かのオリジナルを生み出す遺伝子を受け継いでいる。
あなたはオリジナルを生み出すことの重要性を認識しているか
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2014年8月2日 Darkness - ダークネス
中国・韓国の企業や個人がパクリ・剽窃・盗用に邁進する理由は簡単だ。オリジナルを生み出すのは手間がかかり、とても地味でつらい作業になるからだ。
何でもそうだが、「新しいもの」を生み出すというのは、大変なことなのだ。
何もないとこから考え、試行錯誤し、多大な時間と多大な問題をひとつひとつ解決していかなければならない。ときには途中でどうしても困難が解決できずに今までの時間を無駄にしてしまうことすらもある。
そして、それだけ手間暇をかけても、それが受け入れられるかどうかはまったく分からない。自分の時間、自分の人生、自分の収入が無駄になる可能性もある。
オリジナルを作り出すというのは、そういった苦労が裏にあり、それを乗り越えて生まれて来るものなのだ。
ところが、パクリ・剽窃・盗用は楽だ。単に成功しているものをそのまま何の考えもなく右から左に持ってきて涼しい顔をしていればいい。楽な商売だ。
■ニセモノは、しょせんニセモノでしかない
しかし、オリジナルが生み出せない国や民族や人は、やがてじり貧になっていく。
なぜなら、いくら真似が得意でも同じように真似する人間は他に山ほどいるので、真似同士でつぶし合い、捨てられていくからだ。
また、完璧なる盗用ができずに真似であるにも関わらず、劣化する場合が多い。なぜならオリジナルがそれを生み出す際に持つちょっとした工夫、哲学、こだわりがすっぽりと消えてしまうからである。
表層的にパクリ・剽窃・盗用ができても、たいていの場合はオリジナルを超えることができない。ニセモノはしょせんニセモノでしかないからだ。
ニセモノに関わっている企業や人は、哲学が欠如しているので、いつまで経ってもオリジナルを超えることができない。したがって、いずれ忘れ去られて、そのまま消えていく。誰に顧みられることもない。
パクリ企業の多くはあちこちの企業の製品をそのままパクって形にしているので、あちこちから訴えられて裁判闘争に明け暮れている。
こういった企業に限って面の皮が厚く、自分たちがオリジナルだと強弁して開き直るクズのような態度を取ることが多い。やがて、裁判官を買収したり、証拠を捏造したりして、パクリ企業の方が勝つことすらもある。
しかし、そんなことを繰り返しているうちに、やがて良心のある消費者がポツリポツリと離れていき、やがては見捨てられることになる。社会全体がパクリで成り立っていると、社会全体が衰退する。
■アイデアと実行力と不動心と継続心
どのみち、パクリ企業はオリジナルが超えられないのだから、いずれは見捨てられて忘れられることになるのは当然の結末だ。
パクリ・剽窃・盗用に邁進する企業・組織・個人は、どんなに巨大な力を持ったとしても、オリジナルを生み出す体質にはならない。なぜなら、そういった文化も哲学も体制も才能も持っていないからだ。
オリジナルを生み出すためには、アイデアと実行力と不動心と継続心のすべてを持ち合わせていなければならない。そのいずれが欠けてもオリジナルを生み出せない。
アイデアは誰でもいくらでも思い付くが、そういったアイデアをきちんと形にできる実行力を持っている人はいない。
アイデアが出るだけではダメで、それを形にして磨き上げるだけの実行力や、形になるまでそれに取り組む情熱や継続心が必要になっていく。
パクリばかりしている企業や人間が、そういった情熱や継続心があるはずがない。そんな手間をかけるくらいなら、まわりを見回して、どこか手っ取り早く「盗めるもの」がないか捜す方が楽だと考える。
そんな精神状態だから、イノベーションを生み出すこともできず、尊敬もされず、ひとつの事業をずっと継続することもできず、落ち目になったら途端に叩きのめされることになる。
パクリ企業は、オリジナルを生み出している企業や人に対して愛を持たない。オリジナルを逆に踏みにじる。自分こそがオリジナルだと詭弁と強弁と捏造を強行する。
起源は自分にあると激しく主張し、「嘘も百回言えば本当になる」を実行してまわりを欺こうとする。このような腐った体質の企業や人間が現実に存在するのである。
■尊敬を持って接して、さらに発展させようとする
日本人の多くはオリジナルを尊重し、オリジナルを愛し、そしてオリジナルを手本にして追いつき、追い越そうとする。
オリジナルをパクって、あたかも自分が生み出したように見せかけるような、姑息で下劣な真似はしない。それは日本人のメンタリティではないし、日本人が目指す方向でもない。
日本人はその文化や哲学や生き方の中に、多くのオリジナルを持っている。オリジナルをきちんと愛し、オリジナルに尊敬を持って接して、願わくば、さらにそれを発展させようとする創意工夫を持つ。
起源を主張したり、パクって素知らぬ顔をしたり、他人のオリジナルをそっくり盗用してなりすましたり、消費者に対してニセモノを本物と偽って売ったりするような浅ましいものに対して心から軽蔑を示す。
しかし、最近は自分で作っていない曲を自分が作ったと主張したり、他人のものを盗んで自分のものだと言うような恐ろしい「自称」プロも増えてきている。
学者までが他人の研究や文章を何食わぬ顔でコピーして自分のものであるように見せかけたりして事件になっている。
大学生も卒業論文をインターネットからコピーして済ませたりして、罪悪感すら持たなくなっている。
しかし、日本人の多くは、オリジナルを生み出すことの重要性と、実行力を備えている。それに対して日本人は誇りを持っている。日本人はどんなものですらも、それを磨き上げて高度で大切な文化に昇華させてきたのだ。
今こそ、オリジナルを作り出すという「日本人がずっと大切にしてきた精神性」を見直すべきだ。
あなたも、もちろん何かの分野でオリジナルを作り出す能力がある。目を向けなければならないのは、自分が一生を賭けてどんなオリジナルを生み出すことができるのかという部分である。それが、あなたの人生そのものになる。
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