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私たちはなぜ、これほどお金に振り回され、狂うのか?元エリート銀行員の禅僧の悟り
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140725-00010002-bjournal-bus_all#!bll41c
Business Journal 7月25日(金)3時0分配信
お金は特殊なエネルギーである。
「エネルギー交換が、あらゆるレベルで次々に生じて、回り回って、普遍的に行き渡ろうと流れるのが、お金の交換という現象といえます。現代のお金は、こうしたエネルギー交換の手段であるお金に、金利という時間の要素が加わったものなのです(略)古来、人がなぜこれほどお金に執着するのかを考えたとき、この生命に似た一種のエネルギーであることが、無意識に人々の中に了解されているからだと考えられます」というのは、『禅とマネー 仏教に学ぶお金との正しい付き合い方』(生田一舟著/アスペクト刊)だ。
著者の生田氏は、大手都市銀行に20年以上勤務、主に法人融資畑を歩んだエリート銀行員だったが、さまざまな出会いを経て禅僧になった人物だ。仏教という視点から“お金”について解き明かしている。
「人間はなぜこんなにお金に振り回され、苦労するのでしょうか。法廷闘争も戦争も、争いは最後にはお金に行き着きます。(略)私が何より伝えたかったのは、『お金は、神仏が人間を量る際の絶好の手段』ということです。そして、この人生は修行であり、天のお金の量り方は人の状況に応じて相対的で、地獄は必ず存在するということです」(同書より。以下同)
こうした悟りの境地に達するまでには、煩悩の塊のような大手都市銀行で、悩みに悩む20年を送る必要があった。
「現場では、返済に行き詰まって、ちゃぶ台を引っくり返す上場会社の社長、銀行の言うことを無視して不動産投資に走り、破たんするメーカーの経営者たち、逆に社長の株式投資を阻止しようとして飛ばされる財務部長、いかがわしい水道管浄化技術を元に銀行からお金を引き出そうと上層部から手を回す輩、実際の物件を見ることもなく転売益を狙って銀行の応接室を出入りする不動産業者、資金需要はあるものの社会的に問題視されているノンバンクに群がるバンカーたち、タクシー会社から持ち込まれる巨大観音立像への融資案件、先祖代々の畑に不採算のアパートを建ててしまい困窮する夫婦、目先の欲にくらんで騙される公認会計士資格を持つ銀行員」
「『やはり何かおかしい……』時おり息抜きにトイレに席を立つと、『これは現代の牢屋ではないか、自分は何かモルモットのように飼育されているのではないか、ここに血は通っているのか』『ここにいる皆は、金融の本質が分かっているのか。それとも何かに阻まれて直視しようとしていないだけなのか』――24時間、何兆円もの巨額マネーを動かしているメガバンク組織の頂点にいながら、私は度々そんな思いに駆られました」
●外資系有名ブランドの脱税の手口
お金に対する疑問が深まったのは、世界的に有名なブランドの日本法人から数百億円規模の資金調達の話が持ち込まれたからだという。
「融資判断に当たり、この企業の決算書などを三期分用意してもらい、採り上げ可能かどうかの調査を行いましたが、私はこの会社の決算書を見て愕然としました。あまりにも利益率が高かったからです(略)普通の日本の会社では、とうてい考えられないほどの利益率だったのです。しかもその利益率は、海外の本店から製品を仕入れた上での利益ですから、本国の連結ベース利益率は桁違いだと容易に推測されました。
なぜ、そんな高収益企業が銀行から借入れを行う必要があるのかというと、あまりに日本法人が儲かり過ぎて、今後蓄積するであろう巨額の利益に対する税金を逃れるため、日本法人は親会社の百パーセント子会社であるにもかかわらず、日本法人が数百億円で本国からブランドの営業権を買い取ることにしたので、その資金を貸してほしいということでした(略)世界的に見ても金利が断然安い状態でしたので、本国がこの仕組みを考えたというのです。
外資による脱税の片棒をかつぐような話であり、幸いいまだ良識のあった私が勤める銀行は検討の結果お断りするという判断を下しましたが、資金の貸出先に悩むほかの大手銀行数社から、まんまと資金を引き出し、この会社のディールは成功したようです」
●銀行による子どもの洗脳プログラム
しかし、銀行を辞めるきっかけになったのは、金融グループ全体のCSR施策として、小中学校を対象にした金融教育プログラムをつくるプロジェクトに参加したことだ。
「私はこの時、プログラムの方向性が、まるでマクドナルドの味覚戦略と同じように、真っ白な子どもたちを洗脳するような発想だと感じて、次のように主張しました。
『対象となる年代の子どもたちに、金融の教育をするのであれば、保証人になってはダメとか、借金は怖いよとか、印鑑を押す意味はこうだよとか、まずはそういうことを教えるべきです。こうすれば借金ができるとか、外為の仕組みなどは、大人になって、必要に駆られてからで十分です。子どもを持つ親としても、方向性として賛成できません』
しかし、多勢に無勢で孤立し、結局、何もできませんでした。大銀行といっても、私企業として大きな支出には利害関係者への説明責任が伴いますから、特色を出し、本業への効果を盛ろうとする考え方を否定することはできません。また、私の考え方が間違っているのかもしれませんが、少なくとも自分の子どもに説明できない仕事の片棒をかつぐことになったと思いました」
これでは「自分の仕事を子どもたちに説明できない」と、えげつない銀行に別れを告げ、「学校では教えてくれない、しかし人生を歩む際には無視できないお金に対する基礎知識を、わかりやすく伝えることもできる僧侶」になることを決意したのだという。
「お金など必要のない神仏の視点から見ると、一人の人間が生まれてから死ぬまで、お金とどう向き合ったかが、その人の重要な判断ポイントになる」
「人生の真理が『苦』、つまり『思う通りにならない』なのですから、お金についても思い通りにならないのが真理」「思い通りにならないものとしっかりとわきまえつつ、お金に執着し過ぎず、かといってムダにもしない自分なりの中道を見つけるのが、お金に振り回されないようにする方法」だという。
アベノミクスで浮かれる多くの日本人にとって、この夏の必読書ではないだろうか。
松井克明/CFP
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