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高級食材市場、なぜ縮小?よい「食」を評価する消費者減少の理由と、その経済的弊害
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140721-00010001-bjournal-bus_all#!biMDPE
Business Journal 7月21日(月)3時0分配信
食の仕事をしていて、最近非常に大きな問題であると感じるのが、日本で「よいものをよいと評価する消費者が減っている」ということです。よいものをよいと評価しなければ、それが大変貴重なものであったとしても、あるいは生産に手間がかかるものであったとしても、その費用分を満たすような価格が市場で付かなくなります。
その結果、その商品より品質で劣ってもより廉価なものの消費が支配的になり、結果として生産者の経営は厳しくなり、廃業に追い込まれることもあり、その「よいもの」は生産されなくなっていきます。そして、その「よいもの」がなくなってしまうことすらあります。
こういった現象は、消費者が区別できない識別性の問題で発生すると経済学的に説明されており、「悪貨が良貨を駆逐する」とか「レモンの原理」などといわれています。しかし、よいものをよいと評価できるのは、決して商品そのものに識別可能なラベルのようなものがあるかどうかという情報の非対称性に関わる問題だけでなく、消費者側のリテラシーの水準によっても変わります。現在は特に消費者側のリテラシーが以前と比較してかなり水準が落ちているのが、「よいもの」が市場から消えて行くひとつの原因になっているのではないかと感じます。
●縮小する高級食材市場
まず多くの高級食材の市場が縮小しています。高級食材はそれが高級であると評価する消費者がいなければ成立しません。無論、消費者の所得が減少すれば、こういった奢侈的要素のある商品はなかなか売れなくなっていきますが、それにしても市場の縮小がかなり急速です。具体的にはいくつも例があります。そこで2つ例を出します。
京都などの日本海側の産地で漁獲されるヤナギムシガレイは福井ではササガレイと呼ばれていますが、現在産地価格が暴落しています。大して漁獲量は変わっていないにもかかわらず、価格は以前の3分の1です。養殖トラフグも生産量がそれほど増えたわけではないのに、同様に価格が以前の3分の1まで下がっています。
こういった状況は、確実に漁業者や養殖業者の経営を圧迫しています。ヤナギムシガレイの干物は絶品であり、本当に幻の魚、という感じのものです。また近年の国産養殖トラフグは極めて味が高い水準でコントロールされていて、首都圏では夏場でもてっさ(刺身)や焼きフグで楽しむことができます。にもかかわらず、消費量が少なくなっていっているのは、消費者が「どうしてもほしい」と感じるようなものではなくなったからかもしれません。
●なぜ消費者は「どうしてもほしい」と感じなくなったのか?
しかし、それではなぜ「どうしてもほしい」と感じなくなったのでしょうか。無論、「財布事情が厳しい」という理由もあるでしょうが、そもそもそれが素晴らしいものであるということを知っている世代がリタイアしてしまって、現役世代が「よいもの」を知らないという理由もあるのではないでしょうか。実際に多くの人に話をしても、トラフグを食べたことがない人が多いですし、ヤナギムシガレイなんて聞いたことがない人がほとんどです。
なお、皮肉なことにノルウェーは日本市場で高い評価を得られたサーモンを、「日本の市場で認められた生食可能なサーモン」という謳い文句で全世界にマーケティングしており、日本人が本来持っていた「目利き能力の高さ」に半ばフリーライドして世界中の市場を手に入れています。このように日本の消費者がそもそも持っていた「目利きの能力」すなわち「よいものをよい」と評価する能力は価値があり、それを上手に活用することで世界の市場を獲得できるのです。
そのほかの理由として、接待が少なくなったからと指摘する人もいますが、本当によいものを提供してくれるようなところで飲食を楽しむのはとても価値のあることです。いつもコスト削減で、大して美味しくもない酒や料理で「ノミュニケーション」を成立させても、それはただ場を設けているだけの話で、本当に人をもてなしたり、あるいは価値を共有しようとしているわけではないのではないでしょうか。
筆者は学生と接する時、彼らには美味しいものを食べるということを経験させるようにしています。無論お金がないですので、自分で調達して自分で調理させるというところからの指導になります。先日は学生がスッポンの食に関する経済や文化を研究したいということだったので、学生らは自ら調達と調理を行い、「うまいものはうまい」ということを学んでいました。
よい食を味わうことは、よい食の価値を理解する最も重要なプロセスであり、やがてそれが「食べたい」「食べさせたい」という意思になり、そこで初めて需要が生まれるのです。よい食に対して正しい評価が生まれるのは、こういった経験に裏づけされる需要があってのことであり、その需要が経済と文化を生みます。なので、まず「美味しいものを食べる」ということは、我が国が世界の市場に日本のものを売り込んでいく上で、最初のステップになるのではないでしょうか。
有路昌彦/近畿大学農学部准教授
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