01. 2014年7月16日 08:33:29
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持続不可能なものは、いつかは破綻するhttp://www.nikkei.com/article/DGXNASFL150NW_V10C14A7000000/ 経財相、来年度予算の概算要求「社会保障は聖域ではない」 2014/7/15 10:29 甘利明経済財政・再生相は15日午前の閣議後の記者会見で、2015年度予算の概算要求に関して「社会保障で毎年1兆円を超える自然増については、聖域であって誰も触れないとの認識があったらそれは間違いだ」との見解を示した。「自然増といえども聖域という見方ではなくて、自然増の中に工夫の余地はないかということも含めて(抑制に)取り組んでいく」と強調。「大事なことは予算の生産性を引き上げるということだ」と述べ、政策効果の高い予算の使い方が重要との認識を示した。 政府は7月中にも来年度予算の概算要求基準を閣議了解する方針だ。各省庁は同基準に基づき、8月末までに予算の概算要求をする。〔日経QUICKニュース(NQN)〕
http://diamond.jp/articles/print/56151 【第1回】 2014年7月16日 浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)] なぜ大病院の初診料は高額になるのか? 厚労省が目指す“脱病院”“地域ケア”の「障害」 今年4月に診療報酬が改定され、ついで6月には「地域医療・介護総合確保推進法」が成立した。これによって、我が国の「医療」「介護」大転換に向けて、第一歩が踏み出された。 少子高齢化が急速に進む中で、日本の社会保障が大きな改革を迫られていることは、誰の目にも明らかだ。その社会保障を語る際に最もふさわしい報告書が昨年8月に提出された。目指すべき社会保障の筋道を描いた「社会保障制度改革国民会議」の報告書である。同会議は2012年11月、自民、民主、公明3党が税と社会保障の一体改革について合意し野田内閣が設けた。年金、医療、介護、少子化の4分野を対象に、病院や施設の利害関係者でない15人の大学教授など有識者で構成。目先の思惑を排してより客観的にあるべき将来像を提案した。 2008年の福田・麻生政権時の「社会保障国民会議 最終報告」で、社会保障の機能強化とサービスの効率化が謳われ、団塊世代が75歳を迎える2025年を目標としたが、その改革の方向性を引き継いでいる。 今回の報告書は社会保障論議の集大成と言うべきもので、随時具体化されていく。 例えば、「患者の自己負担について『年齢別』から『負担能力別』への転換」が報告書で提言されたことを受けて、冒頭の「地域医療・介護総合確保推進法」では来年8月から年金年収が280万円の高齢者には、介護保険の利用料を1割から2割に増やすことを盛り込んだ。 報告書の中身の多くは、4分野のうちで改革が遅れている医療システムに重点を置いた。今回は、報告書を読み解きながら医療改革の方向性を追ってみる。 「治す」医療から「支える」医療へ “平均寿命80歳”で一変した患者像 報告書では、医療・介護分野の改革について述べた部分の冒頭で、「欧州各国では、1970〜80年代に病院病床数の削減に向かい、医療と介護がQOL(生活の質)の維持改善という同じ目標を掲げた医療福祉システムの構築に進んでいった」と世界の流れを見渡したうえで「日本はそうした姿に変わっていない」と糾弾し、改革の必要性を訴える。 変えるべきことは何か。 一言で言えば、医療の役割を「治す」から「支える」に転換させることだという。「治す」のは病院であったが、「支える」のは地域の診療所である。「病院完結型」から「地域完結型」への移行でもある。 なぜこのような転換が必要なのか。答えは簡単、明白である。 平均寿命が60歳代の時に描かれた現行のシステムでは、「患者は青壮年期。救命・延命、治療、社会復帰を前提」としていた。それが、「平均寿命が男性でも80歳近くとなり、女性では86歳を超えている社会では、慢性疾患による受療が多い、複数の疾病を抱えるなどの特徴を持つ老齢期の患者が中心となる」と、患者像が一変したと説く。 「そうした時代の医療は、病気と共存しながらQOLの維持・向上を目指す医療となる」と、きっぱり言い切る。病院関係者には相当に抵抗のある論旨だが、世界の流れにやっと追い付こうとする意欲的な主張だ。 また、「ひとつの病院に居続けることのできた患者は、病状に見合った医療施設、介護施設、さらに在宅へと移動を求められる」と、在宅志向を強く打ち出す。だが、現状では「在宅医療や在宅介護は十分に提供されていない」ので、充実の必要性を訴える。その際、医療・介護資源の地域差を考慮して「地域ごとに考えていく『ご当地医療』の必要性が改めて確認された」と、「ご当地医療」という新語で提案する。 要介護状態でも自宅や近くで暮らす 「地域包括ケア」のカギは診療所の医師
「医療から介護へ」「病院・施設から地域・在宅へ」と言う流れを本気で進めようとすれば、医療の見直しと介護の見直しは、文字どおり一体となって行わねばならない――と指摘し、そのためには「地域包括ケアシステム」の構築が欠かせないと言う。 介護保険ではこの数年来、厚労省は合言葉のように「地域包括ケア」を訴え、唱え続けている。要介護状態がどんなに進んでも、遠くの病院でなく自宅やその近くの地域で暮らし続けよう。そのために在宅ケアや在宅医療を十分に配置していく、というものだ。要介護者にとっては、住宅、生活支援サービス、保健・予防、介護・リハビリ、医療・看護の5つの構成要素が必要と説く。その中の医療の役割を報告書は力説する。至極まっとうな論旨である。地域包括ケアも国際的な潮流だ。 報告書では、「訪問診療、訪問口腔ケア、訪問看護、訪問リハビリテーション、訪問薬剤指導喉の在宅医療が不可欠である」と医療側の参画を強く要請する。 「地域包括ケアの実現のためには地域包括支援センターの役割が大きい。かかりつけ医機能を担う地域医師会等の協力を得つつ、在宅医療と介護の連携推進することも重要である」と、診療所の医師にとりわけ踏み込んで積極的な参加を呼びかける。 ところがである。現場ではそう簡単に医療が協力できそうにない大きな関門が立ちはだかっている。フリーアクセスである。 厚労省の本音は 「フリーアクセスを止めたい」 フリーアクセスとは、どんな医療機関でも患者が自由に診療を受けることができる制度だ。住民が特定の診療所やその医師に登録し、原則として他の医療機関にはその診療所が指定しない限り行かれない欧州の一般的制度とは異なる、いわば日本独特の制度である。 日本医師会は「フリーアクセスこそ日本の宝」と信奉する。 フリーアクセスでは、医療と介護の関係はどうなるか。例えば、路上で転倒して大腿骨頸部を骨折した高齢者は「大きい病院で診てもらいたい」と県立病院など大病院に向かいがちだ。人工骨を入れる手術を終えるとリハビリに励み、ほぼ1ヵ月弱は入院を余儀なくされる。入院中に介護保険の認定を受け、退院後にケアマネジャーが在宅サービスを決める、というのが一般的な流れである。 ケアマネジャーは本人やヘルパー、デイサービス事業者などを集めてケア会議を開くことになっているが、ここに大病院の担当医が参加することはほとんどない。すると、本人の病院での処置などの記録がなかなかケアマネジャーに伝わらない。 実のところ、このように医療と介護の連続性が損なわれているのが現実だ。医療と介護の一体的な対応にならない。 報告書はこの問題にどのように応えているのか。 「大病院の外来は紹介患者(近くの診療所からの紹介状を持参した患者)を中心とし、一般的な外来受診は『かかりつけ医』に相談することを基本とするシステムの普及、定着は必須であろう」と書く。これだけだと、フリーアクセスを否定しているように見える。 しかし、その直前の文章では「フリーアクセスの基本は守りつつ」とあり、どう見ても矛盾する。 一方、別のところでは「ともすれば『いつでも、好きなところで』と極めて広く解釈されることもあったフリーアクセスを、今や疲弊おびただしい医療現場を守るためにも『必要な時に必要な医療にアクセスできる』という意味に変えていく必要がある。そして、この意味でのフリーアクセスを守るためには、ゆるやかなゲートキーパー機能を備えた『かかりつけ医』の普及は必須」とある。 文面からはフリーアクセスを否定したい心意気が感じられるが、決してストレートな表現にしていない。だから分かりにくいし、おかしな文章になってしまった。「必要な時に必要な医療」と限定すれば、とても「フリー」とは言えないはず。是が非でも「フリーアクセスを守る」という姿勢を残しておきたい思惑が透けて見える。 なぜなのか。同会議の委員にこの点を質すと「フリーアクセスを全面否定すると日本医師会の賛同を得られなくなり、閣議決定に支障を来しかねない」と、あっけらかんと言い訳をするではないか。 地域包括ケアの地域は中学校区を単位と想定されており、医療を取り込むためには、大病院でなく近くの診療所でなければならない(注)。利用者が最初にかかわる医療機関はその中学校区内に限定されなければ、地域包括ケアは実現できないのは明らかなことだ。 (注)病院とはベッド数が20床以上の医療機関のことで、診療所とは入院施設がまったくないかベッド数が19床以下の医療機関をいう。したがって、街角にあるいわゆる「病院」は、「**医院」「○○クリニック」と名乗っていても、病院でなく診療所であることが多い。 日本医師会の推す「かかりつけ医」と 厚労省が検討する「総合診療医」の違い 同報告書は、「脱病院」の観点から「複数の従来の領域別専門医による診療よりも総合的な診療能力を有する医師『総合診療医』による診療の方が適切な場合が多い」と記し、日本医師会が「発明」した「かかりつけ医」とは別の診療医を強く推す。 日本の診療所の多くは、病院で内科などを担当していた医師が開業する。外科や小児科の看板を出すのは自由なので、並べて表示する診療所が多い。日本医師会は、この診療所の医師を「かかりつけ医」と名付けた。 耳鼻科や眼科はやや特殊なのでその専門診療所となっている。医師はどのような臓器分野を表示しても構わない。医師の国家試験は分野別ではないからだ。しかし、病院で担当していた分野でないと、最新の医療技術や投薬法などに追い付くのは難しい。 どこの地域でも、どのような分野でも自由に開業できるのは、患者のフリーアクセスと裏表の関係といえる。税金が投入されているにもかかわらず、大きな「自由」が保障されているのは国際的には珍しい。 欧州では診療所の医師は「家庭医」と呼ばれ、予防を含めあらゆる分野の医療に対応できる一次医療の国家資格を持ち、手術などが必要な時に限って、専門医がいる2次医療の病院を紹介するシステムとなっている。 厚労省が新しく検討している「総合診療医」はその家庭医制度を取り入れようというものである。 だが、総合診療医は厚労省がその研修方法などをいまだに検討中。実現にはほど遠い話である。 医師会との葛藤から生まれた 初診料の高額設定 フリーアクセスを否定できないために、提案したアイデアが初診料の高額設定だ。大病院への直行を阻むための壁を設けようという戦術だ。報告書では「紹介状のない患者の一定病床数以上の病院の外来受診について一定の自己負担を求める仕組みが必要」と謳う。 会議の中では「初診料を1万円にしては」という提案も出され、現在、それに近い金額を厚労省は検討に入った。 高額な初診料にすれば、患者は大病院に来なくなり、実質的にフリーアクセスが少なくなるとの読みからだが、小手先の細工でしかない。「フリーアクセスは非効率で地域包括ケアに反するから、近いうちに止める」と正々堂々と分かりやすく宣言すべきだろう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20140714/268629/?ST=print 韓国「負担なくして給付なし」を徹底 持続可能性を考え「高福祉」から「低福祉」へ制度改革を敢行 2014年7月16日(水) 高安 雄一 2014年度(注1)における日本の社会保障給付費(予算ベース)は115兆円で、そのうち56兆円(49%)を年金、37兆円(32%)を医療が占めています。このように金額面から社会保障制度を見る場合、年金と医療がほとんどを占めており、いかに重要であるかがわかります。 (1)以下では「年」と「年度」が混在しているが、「年」は1月から12月、「年度」は4月から翌年の3月を意味する。韓国の「年度」は1月から12月であるので、ここでは「年」とする。 前回は、「韓国の社会保障制度が低福祉であること」、「許容可能な負担で高齢化に耐えるための社会保障のモデルは韓国にあること」を指摘しました。今回は、年金に絞って「低福祉」で特徴づけられる韓国の社会保障制度について説明していきます。 急激な高齢化を見据え2度にわたる年金改革 最初に年金給付額の対名目GDP比を見てみましょう。韓国の年金制度は被用者や自営業者などが加入する国民年金に加え、職域年金である公務員年金、軍人年金、私立教職員年金がありますが、これらすべて加えた数値が2012年で1.9%です。一方、日本は2011年度で11.2%であり、韓国の経済規模に対する年金給付額は日本と比較して著しく小さいことがわかります。 日韓でここまで大きな差が付いている理由は、韓国の高齢化率が現在は低く、韓国の年金制度が成熟していないことです。よって現在のところは年金制度が「低福祉」であるために日韓に差が付いているわけではありません。 しかし韓国は急激な高齢化を見据えて2度にわたる年金改革を行いました。その結果、高齢化が進み年金制度が成熟する頃には、「低福祉」な年金制度となります。以下では、(1)高齢化率が現在は低い、(2)年金制度が成熟していない、(3)年金改革により将来は低福祉な年金制度になる、について順を追って解説していきます。 まず「高齢化率が現在は低い」についてですが、2012年の韓国の高齢化率は11.8%で、日本の24.2%より低い水準です。高齢化率が高いほど年金給付が増加することは自明であり、高齢化が進んでいる日本の年金給付額の対名目GDP比が高いことは自然です。 そこで、日本の高齢化率が2012年の韓国並みであった時期、具体的には1990年の日本の年金給付額の対名目GDP比と2012年の韓国の数値を比較してみます。1990年度の日本の数値は5.3%であり、2012年の韓国の数値である1.9%と比較して依然として高い水準です。これは高齢化率の差以外にも、日本の年金給付額の対名目GDP比が高い理由があることを意味しています。 国民皆保険の達成からまだ15年 次に「年金制度が成熟していない」についてです。韓国では1988年に国民年金制度が創設されました。しかし創設当初の対象は常用雇用10人以上の事業所の被用者に限られていました。その後、段階的に対象が拡大されましたが、皆年金は1999年まで待たなければなりませんでした。つまり韓国では国民皆年金が達成されてから15年しか経っていません。その結果、2012年における、60歳以上人口に占める老齢年金受給者の比率は、男性で50.5%、女性で17.0%にとどまっています。 60歳以上で年金を受け取っている人が少ないことに加え、受け取っている人の年金の内容も問題です。韓国の国民年金には大きく3つの類型があります。 韓国の3つの年金 1つ目は完全老齢年金です。これは原則的に受給資格を得ることのできる20年以上保険料を支払った場合(注2)に受け取ることができます。ただし支払った期間が20年を切っても、10年を超えていれば年金を受け取ることができます。これが2つ目の減額老齢年金であり、20年から保険料を支払った年数を引いた数に5%を掛けた分、基本年金額が減らされます(注3)。例えば、15年の場合の減額率は25%となります(支給率は75%)。 (2)韓国では保険料の未納期間は当然のことながら、保険料の支払いを免除された時期も加入期間に算入されない。 (3) 基本年金額とは、1:年金受給開始前3年間における全加入者平均基準所得月額、2:本人の全加入期間平均所得月額、3:本人の加入月数などにより算出される。詳しくは高安(2014)45ページを参照。 3つ目が特例老齢年金です。国民年金の対象になった時点で高齢であり、保険料を支払うことのできる期間が短かった人のための年金です。特例老齢年金は5年以上の加入期間で受け取ることができますが、5年の場合は基本年金額の25%だけ受け取ることができ、1年加入期間が増えれば5%支給率が高まります。つまり特例老齢年金の対象者で9年加入した場合は、45%が支給率となります。 これらの年金の実際の金額はどの程度でしょうか。2014年4月の平均額を見ると、完全老齢年金が86万4000ウォン(月中平均市場為替レートで8万5000円)、減額老齢年金が41万5000ウォン(4万1000円)、特例老齢年金が20万6000ウォン(2万円)です。 韓国の国民年金は報酬比例方式を導入しています。そこで同じ所得比例方式である日本の厚生年金平均受給額を見ると2012年度で14万8000円です(注4)。物価水準の差を考慮したとしても、特例老齢年金、減額老齢年金はもとより、完全老齢年金でさえ韓国の支給水準は低いことがわかります。完全老齢年金でさえ低水準である理由は、最も長い人でさえ加入期間が25年に過ぎず、年金が完成すると考えられる40年(注5)に遠く及ばないことです。 (4) 韓国の国民年金の対象は民間被用者のみならず自営業者なども含まれる一方、日本の厚生年金の対象は民間被用者である点には留意が必要である。 (5) 所得代替率を算出する際、加入期間が40年であることが前提とされる。 完全老齢年金受給者は約4% 老齢年金を受け取っている人は60歳以上の男性で50.5%、女性で17.0%ですが、その中で完全老齢年金を受給している人はわずかです。完全老齢年金を受け取っている人が受給者全体に占める割合は、2012年で4.4%に過ぎません。一方、支給額が少ない特例老齢年金は58.4%と6割弱を占めています。 国民年金の現状は、(1)60歳以上の人で年金を支給されている者が少ない、(2)年金を支給されていても、金額が少ない特例老齢年金を受け取っている場合が多い、(3)受け取っている人はごく少数である完全老齢年金も、年金が完成する40年加入からはほど遠い、の3点に要約できます。つまり国民年金が成熟していないため年金給付額の対名目GDP比が低いと言えるのです。 ここまで見ると、年金制度は「低福祉」ではないと思ってしまいます。事実、国民年金が創設された1988年は「高福祉」と言っても過言ではありませんでした。しかし2度にわたる年金改革の末、年金制度は「高福祉」から「低福祉」に転換されました。 年金制度の水準を測る上で重要な指標は所得代替率や支給開始年齢でしょう。1988年の国民年金発足当初、所得代替率は70%、支給開始年齢は60歳でした。これを最新のOECDデータから得た数値と比較してみましょう。所得代替率が70%以上の国は34カ国中6カ国に過ぎず、1988年時点の韓国の所得代替率は平均値より15%ポイント以上高い水準です。そして支給開始年齢は最も早くなっています。 「所得代替率60%」「受給開始年齢65歳」を敢行 しかし年金制度の発足後ほどなくして長期的な財政安定に疑問が持たれるようになりました。そこで1999年に、(1)所得代替率を60%に引き下げる、(2)受給年齢を2033年までに段階的に65歳まで引き上げる改革が行われました。この結果、最新のOECDの数値との比較では、所得代替率がOECD平均より5%ほど上回る程度となりました。 さらに2003年に公表された年金財政計算では、2040年代後半には財政が持続可能でなくなると見通されました。この見通しを受けて再度議論が行われ、所得代替率を60%で維持し保険料率を高める給付重視案、所得代替率を40%に引き下げ保険料率の上昇を抑制する負担抑制重視案などが出されました。決着まで紆余曲折ありましたが(この辺の事情は拙著『韓国の社会保障』第1章に詳しく書かれています)、所得代替率を2028年まで段階的に40%に引き下げる一方で、保険料率を維持する負担抑制重視案が2008年に採用されました。 最終的な数値を最新のOECD平均値と比較すると、支給開始年齢は平均値と同じですが、所得代替率は10%ポイント以上低い水準です。保険料率も比較すると、韓国は9%ですが、OECD平均より10%ポイント以上低い水準であり、韓国より低い国は1カ国しかありません。ここから韓国の年金制度は最終的には「低福祉・低負担」の年金制度になることがわかります。 次に税金の投入についても見てみます。年金制度が完全に保険料方式で運用されていれば、高齢化が進んでも、財政の負担となることはありません。日本では基礎年金の給付に必要な額の2分の1に相当する額の税金が投入されており、2013年度予算では10兆円を超える額にのぼっています。この額は今後高齢化が進むとともに増加していき、財政に対する負担も大きくなっていきます。 韓国は年金給付には税金は投入されておらず、国民年金公団の管理・運営費の5%に相当する約100億ウォン(約10億円)が補助されているに過ぎません。現在は年金制度が成熟していないので税金が投入されていないのですが、年金制度が成熟しても給付が大幅に引き下げられることから、税金を投入しなくても制度は長期的に持続可能と見通されています(注6)。 (6)ただし2013年に公表された年金財政計算によれば、2060年には積立金が枯渇することが見通されているため、その後は、1:所得代替率の引き下げあるいは支給開始年齢の引き上げ、2:保険料率の引き上げ、3:税金投入などの措置が必要になる。 保険料を免除された期間に相当する年金額はゼロ 韓国の年金制度の給付面に関してもう1つ特徴を示します。専業主婦・夫、学生、無所得あるいは所得減少に陥った人は、適用除外制度や納付例外制度により年金保険料を支払う必要がありません。 しかし、保険料を納めることを免除された期間に相当する年金額はゼロであり、加入期間からも除かれます。これら制度を使うなどして年金保険料を支払っていない人は多く、2012年末現在で18〜59歳人口の52.1%にのぼっています。もちろん一時的に支払っていない人もいるなど、この全員が無年金になるわけではありません。とはいえ、これを勘案しても、将来年金制度が成熟した後も、年金を受け取れない人が多く出ることが予想されます。 日本では、第三号被保険者は保険料の負担がなくとも基礎年金がもらえますし、保険料を免除された期間でも基礎年金の半分が給付されます(これは基礎年金給付額の半分が税金によってまかなわれているためです)。一方、韓国では「負担なくして給付なし」の原則が徹底しています。 高齢化率が高まっても日本より低い給付額の対GDP比 「所得代替率40%」、「支給開始年齢65歳」、「負担なくして給付なし」の年金制度の下で、今後の年金給付額の対名目GDP比はどのようになるのでしょうか。 前回数値を引用した国会予算政策処の見通しから見てみます。まず国民皆年金から40年経った時点では4.2%です。高齢化率は31.7%、2012年時点の日本より既に高くなっていますが、2011年度の日本の年金給付額の対名目GDP比が11.2%ですので、まだまだ日本と比べて低い水準です。また2060年は7.0%です(図1)。 韓国と日本の年金給付額の対名目GDP比 この時点では韓国の年金制度も完全に成熟していると考えられます。加えて高齢化率は40.1%にまで高まっています。つまり年金が成熟し高齢化率が未曽有の水準に高まる時点においても、「低福祉」ゆえに、2060年時点における韓国の年金給付額の対名目GDP比は、2011年度の日本の数値を下回ります。 韓国の年金制度は当初「高福祉」に設計されていました。しかし年金財政見通しにより持続可能性に疑問符が付き、国民皆年金の達成から10年経たないうちに、「低福祉」に転換されました。その結果、税金の投入がなく、保険料率が低いにもかかわらず、未曽有の高齢化の下でも持続可能な制度に生まれまわりました。 社会保障給付費の中で最も多くを占める年金、もし日本が国民の負担を抑える選択をするのであれば、韓国の年金制度が参考になるのではないでしょうか。 <参考文献> 高安雄一(2014)『「低福祉・低福祉」社会保障の分析』学文社
知られざる韓国経済 韓国経済の真の姿を、データと現地取材を通して書いていきます。グローバル企業がめざましく躍進し、高い経済成長率を誇る韓国。果敢に各国と自由貿易協定を結ぶなど、その経済政策は日本でも注目されています。一方、格差、非正規、雇用、農業保護政策、少子高齢化などの分野では、さまざまな課題を抱えてもいます。こういった問題は日本に先駆けている部分もあり、韓国の政策のあり方は、日本にとって参考にすべき点が多くありそうです。マクロとミクロの両方から視点から描きだす、本当の韓国経済の姿がここにあります。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20140709/268392/?ST=print 急増している世界の人口は今世紀中に減少に転じる! 眼前の課題に目を奪われて長期トレンドを見失うリスク 2014年7月14日(月) 御立 尚資 まずは、上のグラフを見ていただきたい。これは、国連による2100年までの世界全体の人口推計だ(2012年改訂版)。20世紀後半以降、着実に増えてきた地球上の人口が、中位推計で今世紀中にほぼ横ばいになる、下位推計では2040年ごろから減少に転じる、ということを示している。 国連以外の人口学者の推計でも、21世紀中に世界人口はピークを迎えるという見方が強い、という話も伺う。 人口増加とサステナビリティー(持続可能な発展)のチャレンジ、という話に慣れ親しんできた向きには、にわかに信じがたい見方かもしれないが、この「21世紀中に世界人口が横ばい、ないし減少開始」というのは、かなりの確率で現実となる未来像だと思う。 何とか今世紀をしのげば問題は解決する?! これをもたらす最大の要因は、次第に豊かになる新興国で合計特殊出生率が下がり続け、2.1に限りなく近づくということにある。洋の東西を問わず、一人当たりGDP(国内総生産)が一定のレベルに達すると、乳幼児死亡率が大きく下がり始める。これに伴い、一家族当たりの子供の数も減ってくるのだ。 乳幼児死亡率が高い社会では、子供が成人に達する確率を考えるのだろう。女性は数多くの子供を産むのが普通、という傾向が存在する。これが、栄養状態の改善、そして基本的な保健衛生、医療の普及によって、子供が無事に育つようになるにつれ、少産化へと変化していくのだ。 このあたりの構造を分かりやすく示している有名なTED talk(ただし、英語です)もあるので、ご興味ある方は是非ご覧になってみてください。 さらに下のグラフにあるように、最貧国でも1990年代後半から、人口増加率は既に低下し始めている。これに伴い、先ほどの中位推計でも世界全体の人口増加率が限りなくゼロに近づくのだ。 さて、この意味するところは何だろうか。 まずは、地球全体のサステナビリティー、特に食糧や資源の枯渇という問題。巨視的に言えば、サステナビリティーの問題は21世紀の問題だ、ということになる。人口が減り始めてしまえば、一人当たりの食糧必要量やエネルギー必要量を一定のレベルに維持できれば、全体としてのサステナビリティーの問題は解決に向かうことになるからだ。 もちろん、豊かになった層は、穀物ではなく家畜の肉を食べるようになるし、移動や空調でより多くの化石エネルギーを使うようにもなる。従って21世紀の間、イノベーションや技術移転によって、食糧の供給増、そして資源エネルギー効率の改善と一定の供給増を達成することが必要なのは言うまでもない。 しかし、何とか今世紀をしのいで、次の世代にバトンを渡せば、人類はこの問題を解決した、と言える可能性が高いのだ(温暖化の問題が不可逆的に悪化せず、食糧・資源の需給に致命的なアンバランスが発生しない、ということが前提になるが…)。 日本にとってはビジネスチャンスも さらに、日本にとっても様々な示唆がある。例えば、人口減少という問題。恐らくは、今世紀の後半になると、新興国の大部分でも高齢化、労働力人口の低下と人手不足、さらには人口減少という流れが明確になってくるだろう。たまたま世界に先駆けて人口減少に頭を悩ませている日本だが、この課題は、まさに各国共通の課題になってくるということだ。 人口減少に伴う経済の潜在成長力低下という課題。あるいは、数多くの産業での人手不足。今は、日本だけがこの課題に苦しんでいるので、将来になかなか明るさが見いだせないところがあるが、世界中が同じ課題に直面するのであれば、話は違う。 「課題先進国」という言い方は、あまり好きではないけれど、他国より先に課題を解決する機会を与えられていることは事実であり、うまく解決できれば、それを他国に持っていくことでビジネス化することも可能となる。 例えば、これらの課題を解決するためには、女性や高齢者の労働参加率向上がまず必要となる。それに加えて次の2点が不可欠となる。 (1)マクロには、生産性(正確に言えば、経済成長の要因としての全要素生産性)の大幅な向上 (2)ミクロには、ICT(情報通信技術)とオートメーションの組み合わせやロボットの活用による徹底的な省人化 サービス産業や政府も含めた大幅な生産性アップと省人化を世界に先駆けて成し遂げ、これをグローバルビジネスとする。今はそのための揺籃期にあるのが日本だ、と考えると少し将来の見え方が変わってこないだろうか。 日本再興戦略の改訂版策定に合わせて、日本の人口問題を正面からとらえるという動きが少しずつ始まった。その中で、地域による人口減少インパクトの違いなど、受け止めるべきことはきちんと受け止めるのがまず必要であることに異議はない。 しかし、課題の重さをとらまえることだけにフォーカスして、もっと先にある世界全体の絵姿やその中での日本という視点を忘れてしまうと、必要以上に悲観的な風潮が生まれたり、あるいは難題の解決をあきらめてしまったりするかもしれない。 中期課題を受け止めつつも、長期の大きな姿を見据えて、着実に、しかし楽観的に、人口問題を考えていく必要があるのではないだろうか。 御立尚資の帰ってきた「経営レンズ箱」 コンサルタントは様々な「レンズ」を通して経営を見つめています。レンズは使い方次第で、経営の現状や課題を思いもよらない姿で浮かび上がらせてくれます。いつもは仕事の中で、レンズを覗きながら、ぶつぶつとつぶやいているだけですが、ひょっとしたら、こうしたレンズを面白がってくれる人がいるかもしれません。 【「経営レンズ箱」】2006年6月29日〜2009年7月31日まで連載
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