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http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N8IN1P6TTDSS01.html
7月11日(ブルームバーグ):
自転車レース「ツール・ド・フランス」にあこがれるマニュライフ ・アセット・マネジメントの津本啓介債券運用部長。国内債券の運用ファンドの中で首位争いを演じ、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF )の資金も預かる津本氏は安倍晋三首相が掲げるデフレ脱却には懐疑的だ。
津本氏(48歳)は、朝6時30分に江東区の自宅を出て、東京駅前にある高層ビル15階のオフィスへ自転車で向かう。出勤前には、イタリア製の愛車「ピナレロ」を駆って都内を40キロメートル疾走することもある。
「アベノミクスは壮大な社会実験だが、経済・社会の大きな流れを変えるのは難しい」。津本氏は8日のインタビューで、日本の潜在成長率の低下を背景に「どれだけ景気刺激策を打っても、先行きは再びデフレに戻ってしまう恐れがある」と述べた。
日本経済の成長力が高まらなければ、長期にわたる低金利が妥当だとみる津本氏は、「労働力人口の減少を女性や高齢者、移民で補う政策の効果は部分的だ。1970年代から低下傾向にある生産性を急上昇させるような技術革新は予見できない」と話した。「人口減による成長力の低下を生産性の向上で相殺するは難しいのではないか」と言う。
市場関係者は、株高・円安基調の定着もあり、消費増税後の景気減速が想定の範囲内に収まり、7−9月期からは成長軌道に戻ると予測している。4、5月のインフレ率 は消費増税の影響を除いても1%台半ばの伸び。日本銀行の中曽宏副総裁は8日の講演で、日本経済はデフレの制圧が視野に入ってきたと指摘した。GPIFは政府・日銀が目指す2%インフレの実現に備え、国内債に偏った資産構成を見直す方針だ。
手強い相手との競争
それでも、日本の長期金利の指標となる新発10年物国債利回り は1%の半分程度しかなく、世界最低水準のままだ。GPIFが4日に公表した13年度の運用状況によると、国内外の株式・債券4資産のアクティブ運用で指標となるベンチマークを上回る成績を残したのは国内債のみだった。アクティブ運用の割合は4資産の全てで前年度を下回った。
マニュライフ・アセットのアクティブ・ファンドは、GPIFが12年10月に実施した国内債運用の委託先見直しで採用された。3月末の時価総額は4183億円。同区分には邦銀3メガグループ系の運用受託機関、債券ファンド世界最大手である米パシフィック・インベストメント・マネジメント(PIMCO)と米保険会社2位のプルデンシャル ・ファイナンシャルの日本部門などがいる。
GPIFがこれら9社に委託した国内債アクティブ運用の収益率は昨年度0.78%。マニュライフ・アセットによると、GPIFの資産を運用する「日本債券アクティブ・コア」は同0.90%と平均を上回った。津本氏は低金利と信用スプレッド縮小を背景に「今年度の運用環境はさらに厳しくなる可能性がある。それでも、収益を上げる種は探せばいくらでもある」と語った。
秘訣は「ロールダウン」
資産運用コンサルティングのマーサーによると、カナダ最大手の生命保険会社の日本部門、マニュライフ・アセットが手掛ける「日本債券ストラテジック・アクティブ」は、安倍内閣の発足直後から3月末までの15カ月間で債券運用指標「野村BPI 」を1.25ポイント上回った。国内債で運用する45ファンドのうち2番目の成績で、指標からの超過幅は中央値の3倍に達した。
リスクと期待収益のバランスを念頭に売買の対象を選び出すマニュライフ・アセットの長年の収益確保を支えてきたのが、利回り曲線に着目する「ロールダウン」戦略だ。PIMCOのビル・グロース氏が採用した手法でもある。
債券相場の値動きが乏しくなると、機動的な売買で大きな差益を得られる機会は減少する。その分、ロールダウンでは、期間が長いほど利回りが高い平常時なら、債券を保有し続けることで、受け取り金利に加え、時間の経過とともに保有債券の残存年数が短期化して金利が低下(価格は上昇)することでキャピタルゲインが見込める。
道を究める
津本氏は、日本では2000年前後から「広義のゼロ金利政策が一時的な例外を除き、ずっと続いている」と指摘。「金利水準が低下し、変動幅も縮小する中でキャリーロールダウンに注目した運用をずっと手掛けてきた」と言う。足元で投資妙味があるゾーンは残存期間20年から17、18年にかけてで、リスク1単位当たりの期待収益では7年ゾーンになると語った。
津本氏は日本のバブル経済とその後の「失われた20年」を体験している。「大学時代はバブル経済の頂点で、運用は非常に面白い仕事だと感じた」ため、1989年に日本長期信用銀行に入行し、91年に国内債運用の世界に入った。「当時は長期金利 が6%前後で、値動きも激しかった」と振り返る。
94年から2年間、シカゴ大学の大学院に留学。ノーベル賞の受賞者が「その辺を歩いているのは新鮮な驚きだった」と言う津本氏は、ファイナンスを専攻し「この道を究めていこう」と決心する。MBA(経営学修士号)を取得して卒業した後は、98年初めまで長銀系の在米投資顧問(フィラデルフィア)で働いた。
帰る場所あるのか
不良債権問題を背景とする邦銀の苦境は留学生活に暗い影を落とした。「行名がどんどん変わっていった。われわれが帰る場所はあるのかと話していた」と言う。津本氏は98年1月に長銀に戻ったが、6月に早期退職。長銀は10月に実質破綻し、国有化された。
UBS系の運用機関に再就職した津本氏は、グローバル企業で働く難しさを味わう。当時の同社は世界中で同じ投資戦略を適用していたが、デフレ色が強まる日本の債券市場では通用しなかったと言う。「意見の食い違いが生じたが、日本の事情をうまく説明できなかった。これが辞める一因にもなった。その後の転職先では最初から強く発信することを心掛けた」
シュローダー投信投資顧問時代に津本氏の直属の部下だったJPモルガン・アセット・マネジメントの塚谷厳治債券運用部長は、津本氏のことを「じっくり構えて慎重に物事を進めるタイプで、債券強気派として結果を残した。プレゼン能力も高く、GPIFからの運用受託につながったと思う」と語る。
プライドなどはどうでもよい
津本氏は07年、ヘンダーソン・グローバル・インベスターズの日本代表に就くが、08年9月のリーマンショックを受け、09年初めに職を失った。5月ごろまでは「場が開いている時間帯はやることがないので、自転車に毎日乗っていた」と言う。
国内債運用で首位争いを繰り広げる今でも埼玉県の狭山まで丸1日かけて北上することもある。津本氏は将来、欧州の自転車レース「ツール・ド・フランス」や「ジロー・デ・イタリア」などのコースを実際に走ってみたいとしている。
津本氏は、低金利下でも「イールドカーブの比較などで、投資の機会を見つけるのがファンドマネージャーの仕事だ」とし、金融市場の最前線で生き残る秘訣は「ポジションを間違えた時にはさっさと諦めることが大事。プライドなどはどうでもよい」と語った。「綺麗に舗装された道が突然バンピーになっても同じスピードで走り続けるのは愚かだ。その当たり前の冷静な判断ができるかどうかだ」と続けた。
日本の名目国内総生産(GDP)は13年度に481.5兆円。過去最高だった97年度の521.3兆円を下回る。国債・借入金・国庫短期証券を合わせた国の債務残高 は3月末に過去最大の1025兆円。インフレ率 は津本氏が国内債運用の世界に入った91年以降、平均で前年比0.3%しか上昇していない。
総務省と国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の総人口は08年に1億2808万4000人と過去最高を記録した後、6月1日時点の概算では1億2709万人に減少。48年には1億人の大台を割り込む見通しだ。
津本氏の目には、アベノミクスも需要の先細りを実質ゼロ金利で防ごうとする悪戦苦闘の1コマに過ぎないと映る。仮に大成功すれば本格的な金利上昇もあり得るが「その可能性はあまり高くない。ゆっくり時間を稼いでいるが、ぬるま湯が続くのがメーンシナリオ」だと予想。「ぬるま湯の先には明るい未来が待っているとは思えないが」と続けた。
記事に関する記者への問い合わせ先:東京 野沢茂樹 snozawa1@bloomberg.net;東京 Finbarr Flynn fflynn3@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先:Garfield Reynolds greynolds1@bloomberg.net崎浜秀磨, 青木勝, 山中英典
更新日時: 2014/07/11 14:42 JST
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