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日本は、這い上がることのできない絶望的な身分社会になる
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2014年7月7日 Darkness - ダークネス
今の日本人に「身分制度」と言ったら、過去の古臭い時代の話か、もしくはカースト制度が残っているインドのような異世界の国の話のように思ってしまうだろう。
しかし、このままでいくと日本は再び身分制度に戻る確率は高い。そして、それは遠い未来の話ではなく、現在進行形の話でもある。あなたも間違いなく、「新・身分制度」に巻き込まれていくだろう。
すでに、このような時代は目の前で進行しているというのは、もう多くの人が気付いていることだ。
小泉政権時代に経済財政政策を担当していた竹中平蔵が狂気のように推し進めた弱者切り捨て政策により、怒濤のように格差問題、貧困問題が日本の中で噴出するようになっている。
この中で企業は、正社員を雇わず、いつでもクビを切れる派遣労働者を集中的に拡充させていった。
その結果、2000年以降の日本は「経営者・正社員・派遣社員・パート」という賃金格差による身分制度が明確になって、若年層の多くが非正規雇用者に押し込められていった。
■金持ちエリートと貧乏労働者に二分されていく
派遣社員やパートは、企業にとっては「使い捨て人員」である。賃金を上げる必要もなければ、終身雇用をする必要もなければ、福利厚生を与える必要もない。
労働改善のようなうるさいことを言ってくるようになるとクビを切って別の「歯車」に入れ替えればいいので、この使い捨て人員は企業にとっては願ったり叶ったりの存在となった。
その結果、企業は積極的に正社員を切り捨てて非正規雇用者に入れ替える動きを進め、「経営者」と「労働者」が明確に分離していくようになっていった。
経営者というのは、要するにエリート・サラリーマンだが、こうしたエリートは会社の中でほんの少人数だけである。
このエリートが億単位の年収を得るようになり、その他労働者は数百万の賃金に抑えられるようになる。
分かりやすく言うと、金持ちのエリート社員と、食うや食わずの貧乏労働者階層に二分される。いや、もうそのようになっている。
これをもっと詳細に見ると、エリート・サラリーマンの上に、オーナー(株主)がいて、労働者の下にはパートという身分がある。さらに、もっと下に働くことすらもできない人間もいたりする。
そうすると、今や「株主、経営者、一般労働者、パート、無職者」の区分けになっていると見るべきだ。問題はここからだ。一度そうやっていくと、今度はその序列が固定化されていくことになるのである。
賃金格差が固定化されると、下に行くことはできても、上に行くことが極端なまでに難しくなってしまう。自分もそうだが、「自分の子供」もそうなるのだ。
■年収の格差が、教育の格差を生み出していく
いったん格差が生まれると、その格差が子供たちに「遺伝」してしまう。その理由はとても簡単だ。
いつクビにされるか分からず、年収が300万程度に固定化されてしまった平均的なサラリーマンの家庭では、とても子供に高等教育を受けさせることができない。
塾も行かせられず、大学進学も厳しく、せいぜい高校を卒業させてやるくらいが関の山だろう。それでも、借金を積み上げて大学に行かせることが何とかできるかもしれない。
しかし、それよりも下のアルバイト、フリーター、パートで働く親は、子供たちに義務教育を受けるだけでも四苦八苦しなければならない。
言うまでもないが、日本は歴然とした学歴社会であり、このような社会の中では、学歴のない人間が上層階層のポストを得るのは、はっきり言って不可能に近い。
これが日本に「新しい身分制度」をもたらす。
平均的なサラリーマンの子供は、環境によって親と同じ労働者階級で止まり、さらにその下の劣悪な労働環境で生きている親の子供たちは、教育の欠如によって、フリーターやニートにしかなれない。
一方で、金持ち階級に属するエリートは、子供にありったけの教育を与える。
習い事をさせ、良い学校で良い教育を受けさせ、塾に通わせ、家庭教師を付けることもあるだろう。それが良い高校、良い大学に進学できる基礎となる。
そうやって滞りなく学歴を手に入れることができたら、今度は一流企業に入り、エリート社員としてのキャリアを積み上げ、高給を稼ぐことになるのである。ちなみに、東大に通う生徒の親の年収は51.8%が950万以上である。
■「今の自分の身分が、子供の身分になる」現実
親が金持ちになれば、どんな愚かな子供であっても親の財力を継いで金持ちになる。親が貧乏であれば、どんな優秀な子供であっても教育や環境に恵まれずに貧乏になる。
もちろん、貧困層から生まれた子供が猛烈な才能と知力で金持ちになることもあれば、資産家の息子が想像を絶する馬鹿で凋落してしまうこともある。
そういった「一部の例外」を除くと、今後はほとんどが親の財力によって将来が決まっていく。
今はまだ格差の継承が始まったばかりなので誰も気付いていないが、やがて「身分の固定化」がはっきりと統計で示されるようになる。
多くの日本人はまだ、「自分は出世できない」「労働者で一生を過ごすしかない」という意識だけのはずだ。
しかし、これからは「今の自分の身分が、子供の身分になる」という絶望的な現実に直面していく。
そうなったとき、日本人の全員が「自分は身分制度に組み込まれてしまった」ということに気付くはずだ。しかし、気付いたときにはもう遅い。
いったん格差が生まれると、財力の差はもう埋めがたいものになってしまうので、日本は昔のような均質な社会に戻ることは絶対にない。
一億層中流だった時代は遠くに過ぎ去り、金持ちは金持ちに、貧乏人は貧乏人に明確に分離していく。日本はかつては身分制度があったが、やがて再び身分制度に戻る。
インドでは、貧困層の子供が貧困層に、金持ちの子供が金持ちであるのは、別に誰も疑っていない。誰もがそれが「当たり前だ」と思っている。
インドでは、物乞いの子供は物乞い、売春女性が生んだ女の子は売春女性になるという伝統すらもある。
格差が超えられないのは当たり前、と日本人も思うようになると、やがては日本人も新しい身分制度の中で、いつの間にか暮らし始めることになるだろう。
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