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慶応→ハーバードの御曹司が会社を潰すまで 『アイスノン』『ホッカイロ』でお馴染み 老舗「白元」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39663
2014年07月07日(月) 週刊現代 :現代ビジネス
大口取引先幹部でさえ「破綻」をニュースで知り、怒りに震えた。関係者の信頼を裏切ってまで彼が守ろうとしたのは、きっと己のプライド―。漂う「腐臭」を隠そうとして、迷走劇は幕を開けた。
■丸川珠代と浮名を流して
受付には10名以上の社員が一列に並び、訪れる債権者たちに頭を下げながら資料を配る。会場の扉ごとに社員が警備員のように立つ厳戒態勢が敷かれている。東京タワー近くのイベント会場『メルパルクホール』。白元(東京都台東区)の債権者説明会が開催されたのは6月3日のことだ。
開始時刻の14時前から債権者たちが続々と会場入りし、1582席の客席を備えたホールが埋め尽くされていく。この日の最高気温は28・9度。背広を脱いだワイシャツ姿の債権者たちは座席につくと、汗をぬぐう暇もなく、配られたA4判17ページに及ぶ資料に必死に目を走らせる。
次々とため息が漏れた。
「'14年3月期の最終赤字が62億円だなんて。真っ赤な決算を隠して取り引きしていたなんて許せませんよ」(債権者の一人)
出席者によれば、白元の民事再生手続きの申立代理人を務める西村あさひ法律事務所の弁護士が司会を担い、資料の確認、出席者の紹介と淡々と進行していった。「主人公」に出番が回ってきたのは、そんな一通りの事前説明が終わった後、会の開始から約5分が経った時のことである。
「株式会社白元、前代表取締役社長の鎌田真でございます」
事実上の「破綻」騒動後、鎌田氏が表舞台で初めて口を開いた瞬間だった。
白元の前身の鎌田商会が創業したのが1923年。創業者・鎌田泉氏の孫で、'06年4月から4代目社長として白元を率いてきたのが鎌田真氏(47歳)である。
慶應大学経済学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)を経て白元に入社。'98年に米ハーバード大学ビジネススクールでMBAを取得した秀才の御曹司だが、債権者集会ではそんなエリートの輝きは影を潜めた。
「関係者の方々の信頼を著しく損ねた責任を日々痛感しております。申し訳ありませんでした」
右手でマイクを握りしめ、時に左手で持ったペーパーに目を落とす。スーツで小綺麗にきめているが、声は沈んでいる。約2分30秒にわたって謝罪し続けた鎌田氏の表情は、最後までこわばったままだった―。
デビューは華々しかった。
ハーバード大から鎌田氏が白元に復帰したのは'98年。当時の白元の主力商品は防虫剤の『ミセスロイド』『パラゾール』で、ほかにも使い捨てカイロの『ホッカイロ』、保冷剤の『アイスノン』といった人気商品を抱えていた。だが、ライバル社が類似商品を出すなかで価格競争に陥って利幅が縮小。老舗企業にありがちな停滞期に入っていた。
取締役マーケティング部長に就いた鎌田氏はここで手腕を発揮する。
「鎌田氏は自らが新しい市場を開拓することで高く売れる商品を作るという戦略に舵を切り、これが奏功した。足場のなかった殺虫剤市場にも企業買収などを通じて参入。『ワイパアゴキパオ』などの新商品で市場を席巻した」(経済誌記者)
メディアはこぞって鎌田氏を持ち上げ、「ハーバード帰りのヤリ手ビジネスマン」として一躍時の人へと登りつめる。並行して、派手な私生活でも注目を集めるようになった。
元テレビ朝日アナウンサーで現・参議院議員の丸川珠代氏との熱愛が発覚したのは、鎌田氏が社長に昇進した後の'07年。都内の高級マンションでの「同棲生活」から結婚秒読みと見られたが、名門の鎌田家の反対で破局したと報じられた。
'09年に結婚した真理夫人も『国民的美魔女コンテスト』のファイナリストに選ばれている。
「タレントの神田うの、元日本テレビアナウンサーの松本志のぶなどと交友があり、自ら起業したブランドの服を着て女性ファッション誌にモデルとして登場している」(女性誌ライター)
鎌田夫妻が現在住むのは、最低でも家賃月50万円ほどで、家賃200万円近い部屋もある東京・元麻布の超高級マンションである。
6月1日付けで鎌田氏に代わって社長代行に就いた間瀬和秀取締役の自宅が、埼玉県春日部市に1630万円の借金をして買った約100m2の宅地に建つのと比較すれば、差は歴然だ。
■「米国流」で大失敗
債権者集会に話を戻そう。鎌田氏に続いてマイクを握ったのがその間瀬氏だった。
「誠実に仕事に取り組む社員が多いことは弊社の強みであると思います」
'77年入社のベテランらしく、会社の行く末を心配する社員をねぎらうように語り出した。大舞台に緊張した面持ちで、うつむき加減。長身痩躯の体型もどこか頼りなさ気の間瀬氏だったが、続けて繰り広げたのはこんな「経営批判」だった。
「もっとも近年においては、過去のしがらみにとらわれ、改善すべきものを改善せず、問題を先送りし続けた結果としてこの度の事態を招いてしまいました」
出席者の一人が言う。
「間瀬さんは隣に座っている鎌田さんのことを一度も見なかった。白元の本社ビルを見ればわかりますが、小さな古い建物で、家族主義的な牧歌的な雰囲気のある下町の会社です。それを鎌田さんが米国流で時に古参社員も切り捨てていく様を忸怩たる想いで見てきたのでしょう。『創業当時の想いに立ち返りたい』、そして『生まれ変わって行きたい』とも語っていた。派手な買収策などを講じる鎌田への痛烈な批判です」
実は鎌田氏の経営手法が通用したのは復帰当初だけで、その後は目立ったヒット商品が生まれなくなっていた。
間もなく、エリートの転落が始まる。
最初に危機が表面化したのは、'06年3月期決算でのことだった。
「白元はこの決算で突然68億円の赤字を計上しています。背景にあったのが『押し込み販売』。期末に商品を売って売り上げを計上するが、期をまたいだ後で返品扱いにするという手法です。白元側はこれまでの『決算ドレッシング』を修正して、過去の膿を出すと説明していた」(信用調査会社・東京経済の情報部員)
この頃から鎌田氏は上場に向けた態勢づくりを急ぎ、ファンドからの資金調達などに手を付け始める。
大手から中堅各社までがドラッグストアなど小売店の棚を取り合う過当競争が熾烈な業界にあっては、「消費者にどれだけアピールできるか、広告宣伝費が勝負の分かれ目になる」(経営コンサルタントの鈴木貴博氏)。そのため、上場すればその資金を広告宣伝や新商品開発費につぎ込み、新たなヒット商品でV字回復するというのは、米国仕込みの鎌田氏が考えそうな一発逆転シナリオだった。
しかし、事態は思うように進まない。'08年に白元に約8億円を出資した日本アジア投資の幹部が言う。
「白元側が再生して上場に向けて動くということで資金を出しました。当時赤字が続いていたカイロ事業のリストラ策が白元側から示され、そのリストラ費用としてわれわれの資金も使われるはずでした。しかしわれわれがいくらせっついても、鎌田社長はリストラを進めようとしなかった」
社内から反発を受けて、リストラに踏み切れなかったようだ。「格好いいことを言うくせに、最終決断ができない。米国流が聞いてあきれる」と身近で見た関係者は鎌田氏を評している。
前出・日本アジア投資幹部社員によれば、こうして再生に向けた改革が後手に回るうちに、白元は新たな借入先の銀行を次々と探し回るなど資金繰りが厳しくなっていったという。そしてまた問題が噴出する。
「白元の会計監査人だったあずさ監査法人が'11年9月に辞任しました。任期途中の辞任は異例。不透明な会計処理が再開され、その対応の仕方をめぐって会社側と対立したのではないかと疑われた」(前出・情報部員)
■金融機関に見捨てられた
経営が好転しない中で、鎌田社長が次に活路を見出したのが海外市場。カイロ事業の中国進出を本格化させ、海外で稼ぐ企業への脱皮を図るというものだが、すでに同業他社ひしめく中国でそんな簡単に事業が発展するわけがなかった。
'90年以上続いた老舗企業であっても、一人の経営者の判断ミスによってあっという間に死に至る―。
いよいよ追い詰められてきたのが昨年になってからのこと。古くから付き合いのある住友化学から20億円弱の出資を受けたが、同時にカイロ事業の譲渡交渉を続けていた『キャベジンコーワ』で有名な興和から、譲渡代金を前借りしていることが判明。鎌田社長の米国仕込みのプレゼン能力をもってしても、新たな資金調達先を口説けなくなった。
万事休すだった。
「ちょっと財務が厳しいので、アドバイスして欲しい」
今年3月、白元から西村あさひ法律事務所にそんな連絡が入った。事業再生を専門とする南賢一弁護士率いるチーム主導のもと、3月13日には白元に融資する各銀行の担当者を集めたバンクミーティングが開かれ、「元金の支払いの一時停止のお願い」と「6月末までの残高維持の要請」が行われた。その間に弁護士とともに再生計画が練られた。
「しかし、得体のしれないコンサル業者に年間3億円のコンサル料を支払っていたことが判明。不透明な会計処理も見つかり、鎌田氏は経営者として末期状況と判断された。私的整理での破綻処理も検討されたが、三菱東京UFJ銀行がこれに強硬に反対。結局、民事再生しかないとの流れに傾いていった」(金融機関関係者)
追い打ちをかけるように情報が外部漏洩して、信用収縮が発生。資金繰り上のデッドラインは5月末という中で、最後まで金融機関との調整が行われたが、このままでは「野たれ死ぬ」として、ついに最終判断が降りた。5月29日、白元は臨時取締役会を開催。この日の17時20分に、民事再生の申し立てが行われたのだ。
鎌田氏は6月1日付で社長を辞任し、間瀬社長代行のもとで白元は再生に向けて動き出している。
「再生計画が認可されて債務処理できれば、財務的には健全になる。抜本的な対策を打てなかった経営者も去る。一方で白元はまだ闘えるブランド商品も持っている。すでに数々のスポンサー候補が名乗りを上げているようです」(嘉悦大学教授の小野展克氏)
白元の営業部が入る足立区のビルを訪れると、電気が消えて薄暗い。1階にある創業者の銅像も寂しげだったが、社員は汗をかきながらあくせく動き回っていた。ビルの裏には、「社員寮」と掲げられた建物が見える。古き良き下町企業はすでに、失敗の先にある未来に向かって歩み出しているのかもしれない。
「週刊現代」2014年6月21日号より
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