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"人口4300万人"ああニッポン30年後の現実【第3部】人がいなくなった、その後で
「昭和30年代」に戻るニッポンそれでいいじゃないかって!?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39661
2014年06月28日(土) 週刊現代 :現代ビジネス
■こんな日本に移民は来ない
数々の大問題を引き起こす人口減少。アベノミクスで経済立て直しを成功させつつあると胸を張る安倍政権も、ここにきて人口問題への危機感を強めている。
自民党の長期政権時代の怠慢で放置されてきた「人口問題」が、いよいよ目に見える形で影を落とし始め、錦の御旗だった「経済に強い」政権のイメージに暗雲が垂れ込めてきたからだ。
5月13日、政府の有識者委員会「選択する未来」(会長・三村明夫日本商工会議所会頭)は、
「50年後の2060年代に総人口1億人を維持する」
という目標をぶちあげた。
だが、そのためには'30年までに女性が一生の間に産む子供の数(合計特殊出生率)を2・07まで回復する必要があるという。
第1部にも登場した鬼頭氏は、こう指摘する。
「私は以前から、政府は人口に関する数値目標を出すべきだ、と言ってきたので、1億人維持と打ち出したこと自体は評価していいと思います。ただ、このことが女性に対して、『2人以上子供を産め』という圧力になってはいけない。
戦前の昭和16(1941)年に政府は『人口政策確立要綱』というものを出しました。ここでは、『昭和35年に人口1億人を達成しよう』と言っている。その理由として具体的に、兵隊がいないと困るとか、労働力を確保する、植民地で日本が支配的地位を維持するために人を送り出さなければいけないとした。そのために、『女性は20歳になったら家庭に戻れ、高等女学校では母性教育をしろ、子供は5人産むのを目標としろ』と定めている。
再びこんな風に『産まない女性は非国民』扱いされるムードになっては、女性はたまったものではありませんよね」
実際、女性の目にはこのところの「女性に子供を産ませよう」といった政府・財界の議論は、どう映っているのか。
女性のライフスタイルの現状を取材してきたジャーナリストの白河桃子氏は、こう話す。
「幸いなことに、多くの女性は『子供は欲しい』と言っています。けれども政府が単に、『子供がいなくなるから』産め、増やせと言っても前向きになれません。
日本では社会制度上も、結婚しないと子供を産みにくいのです。育休を取りたくても、結婚相手の子供でないと難しい。日本ではフランスのように婚外子を増やすのは難しいでしょう。
では若い女性にもっと結婚してもらえばいいかというと、経済的な問題で難しいのです。現実として、子供を産むと多くの場合、仕事をやめないといけない。正規雇用で再就職するのは至難の業です。ところが男性には、子育て期から将来にわたって女性を支えられる人が減少している。結果として女性は結婚せず、子供も産まないのです」
そもそも、政府が女性に求めるものは矛盾している。子供をもっと産めという一方で、労働力としてもっと働けという。そんなことは無理ではないのか。
政治家や財界人は頻繁に、「スウェーデンなど女性がよく働いている国ほど合計特殊出生率も高くなっている」と発言するが、専門家らの研究では、これが間違った統計によるものだと明らかになっている。この言説はOECD加盟国のうち、なぜか統計に都合のいい13ヵ国のデータを選んで計算されているのだ。
本来は、女性の社会進出が進んだ社会では、人生の選択肢が増え、出生率は下がる傾向にあると言い、政府はご都合主義の要求を女性に押しつけていることになる。
女性の出産と並んで、政府が推進しようとしているのが、海外からの移民だ。
今年3月には政府が毎年20万人の移民受け入れについて本格的な検討を開始したと報じられたが、これは経団連など経済界が以前から強く要望してきた案だ。
企業、とくに大手製造業には、移民のニーズが高い。国内では安い単純労働力が調達できないので、外国から補充しようとソロバンを弾いた結果だ。
だが、前出の松谷氏はこの考えに疑問を呈する。
「毎年何十万人という規模の移民を、日本社会が受け入れるとは思えません。
また、よしんば受け入れても失敗は目に見えている。
ドイツは戦後、積極的に移民を受け入れましたが、しばらくすると『移民がドイツ人の職を奪う』という世論に押され、政府は受け入れをストップしました。
実はこれが高齢化を加速させた。移民を受け入れた時期の人口だけが突出して、直後に急減する人口のひずみが生じたのです。これは団塊の世代の直後に産児制限で人口を減らした日本と同じ構図です。その結果、『特定の時期に高齢者が急増するが、それを支える世代はいない』という結果をもたらしたのです」
日本がいま、無理に移民の受け入れをはじめても、その政策は長続きせず、将来また急速な高齢化を招く可能性が高い。
移民に「来てもらう」はずの日本社会の姿勢にも問題はある。日本人は、とかくアジア諸国などからやってくる労働者を差別し、低く見がちだ。農業や漁業の分野では、「研修生」と称してかき集めた外国人労働者に最低賃金以下の「奴隷的な」低賃金労働を許しているとして、日本政府はILO(国際労働機関)から実態の報告を求められるなど、国際的には「外国人労働者の人権を侵害してはばからない国」と見られている。
そんな国に、誰が好き好んで来るというのか。
さらに、前出の鬼頭氏は日本人が低賃金労働者を受け入れるとなっても、来日する人は今後、急減するだろうと指摘する。
「2025年を過ぎると、中国ですら人口減少がはじまります。すると技能を持つ人の給料が中国国内で上がっていく。中国人労働者は、わざわざ日本その他の外国で働く必要がなくなる。その流れは東南アジアにも波及し、各国とも自国内での労働者の待遇を向上させざるを得ない。アジアの低賃金労働者を入れて将来の日本をなんとかしようなんて、虫のいい話が成立するのはいまだけです」
政府・経済界が鼻息荒くぶちあげた人口1億人維持も、絵に描いた餅に終わる可能性が高いのだ。前出の松谷氏は、こう話す。
「為政者側としては、年金や社会保障はずっと安心だと示して崩壊の責任を回避したい。経済界も、既存の産業構造を転換すると、いまの有力企業が転落してしまう。政財界とも『人口は維持できるから社会保障も経済も安泰だ』とすれば都合がいい。人口1億人の維持が可能かのような発表をしたのも、そのための方便という印象が強いですね」
実際、健康保険、介護保険などの社会保障の財源も窮地に立たされており、元財務次官の武藤敏郎氏は昨年、テレビ番組の収録で、「2030年代中ごろまでには消費税を25%まで上げざるを得ない」
と発言。無策のまま状況に流されてズルズルと増税に頼れば、結局は消費税50%にしても国民の生命・健康が守れない国に転落してしまうだろう。
先の見えない人口減少問題。いったい、私たちはどうすればよいのか。
■貧しいけれど幸せだった
実は、人口減少はもう止まらないと認めてみると、こんな考え方ができる。右のグラフを見てほしい。今後、人口が減る、減ると言っても、2060年の人口は、つまるところ昭和30年代と変わらない。先年ブームとなった『三丁目の夕日』の時代だ。
あの頃、日本はずっと貧しかったが、家族は絆を大切にし、地域の人々は助け合い、人数の少なかった医師や教師は尊敬を集める存在だった。携帯電話もパソコンもなかったが、人々はご近所に1台しかないモノクロテレビの前に集まって、力道山の試合を観戦し、ともに熱狂した―。
幸福は、人口が少ない日本にも、たしかに存在したのだ。そう考えれば、人口減少社会にも救いはある。
「人口減少社会では、生活にいろいろな意味で『規模の経済性』が働いてきます。要するに、大家族ならば一人頭の生活費は安くて済むけれども、核家族化してバラバラになると高くなる。ですから、今後は大家族で暮らすのが当たり前になってくる可能性があります」(経済評論家・山崎元氏)
ならば、食事も自宅で家族と摂るのが当たり前になる。わざわざ若年労働者を安く使って、24時間、飲食店やコンビニを営業する必要もない。部屋に引きこもり、ネットで「孤独だ」とつぶやく若者も減るだろう。
もちろん、昭和30年代とはまったく異なる状況であることは議論をまたない。右の表のように人口構成を考えると、昭和30年代と2060年では子供と高齢者の数が逆転する。
日本社会は子供の教育費を支出しない代わりに、高齢者の医療費を支出するようになるわけだ。
だが一族郎党集まって暮らせば、子育てをする若い夫婦を支える手もあり、またかつてのように、介護が必要な人が出ても家族で面倒を見、自宅で看取られる最期を迎えることになる。
人口減少社会の行き着くさきでは、私たちは失われた人と人との結びつきを、否が応でも取り戻さなければ、生きられない。その密な人間関係のなかで、また子供が生まれ、新しい産業が芽を吹くかもしれない。
何をしても人は減る。だが、日本人が再び心豊かな暮らしを送れるならば、それは必ずしも不幸ではない。
「週刊現代」2014年6月21日号より
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