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※ 日経新聞連載記事
[物価考]世界の底流
(上) 漂う中銀目標 先進国、成長支援へ解探る
5月中旬、イタリア中部の小都市フェルモ。地元の主婦、ファビアナ・マグリ(36)は「50%オフ」の表示が並ぶスーパーで真剣な表情だった。
2009年に失業してから5年。共働きだった頃と比べ「お金の使い方は根底から変わった」。読書好きだがネット上の無料作品しか読まず、服もめったに買わない。スーパー側も新手の値引きで財布のひもを開いてもらおうと必死だ。
デフレの気配
債務危機の後遺症が深刻な欧州で物価低迷が広がっている。5月のユーロ圏の消費者物価上昇率は前年比0.5%。8カ月連続で1%を下回った。ギリシャやポルトガルはマイナス圏。継続的に物価が下がるデフレが色濃い。
あわてたのは、欧州中央銀行(ECB)総裁のマリオ・ドラギ(66)だ。「まだ終わりではない」。マイナス金利導入を決めた5日のECB理事会後、ドラギは大量に資金を供給する量的緩和にも含みを残した。
デフレの危機に目覚めたECB。その先に何があるのだろう。08年の金融危機直後から大胆な金融緩和を進めた米国。ネブラスカ州オマハで会った主婦のジュディ・クリスチャンセン(58)は上機嫌だった。「持ち株も持ち家も評価が上がった。家具を新調するの」
米家計が持つ不動産と金融資産の総額は87.3兆ドル(約8900兆円)。3次にわたる量的緩和をテコに09年末と比べ3割増えた。日本円にして約2000兆円の資産増効果は消費や投資に波及。米失業率がピークの10%から6%台に下がる原動力となった。
それでも物価は上がらない。米連邦準備理事会(FRB)が重視する物価指標は1%台で推移。2%の物価上昇率をめざす世界の常識に従えば緩和のアクセルをまだ踏んでいい局面だが、そうも言っていられない。
「えっ、本当?」。3月11日、シカゴ。米投資評価会社で地方債を担当するキャンディス・リーは驚いた。投資不適格のジャンク(くず)債である米自治領プエルトリコ債の35億ドルの売り出しに、ヘッジファンドなどから160億ドルもの発注があったからだ。
物価は上がらないのに資産価格はうなぎ登り。株価上昇率は企業利益の伸びを上回る。プエルトリコ債売り出しから8日後の19日、FRB議長のジャネット・イエレン(67)はゼロ金利解除を示唆。金融政策の正常化論議も始めた。
3元方程式に
経済が過熱すると物価が上がり金融引き締めが始まる。中央銀行は長く「物価」と「成長」の2元方程式を解くのが仕事だった。だが、物価と成長の関係が衰えた先進国では「資産価格が重要」(元日銀審議委員の植田和男)。経済を刺激する効果と過熱しやすい副作用。もろ刃の剣の「資産価格」も含めた3元方程式をどう解くか。
異次元緩和の導入から1年あまり。日本の物価上昇率は欧米を上回る水準になった。その日本で、日銀が4月に示した判断がひそかな話題を呼んでいる。株価が妥当な範囲か判断する仕組みを見直し、5割上がった昨年の株価の動きを「許容範囲」としたためだ。
多少の資産価格の振れは覚悟のうえで脱デフレと成長につなげたい。清貧志向が強かった日銀のもう一つの変身。中央銀行の方程式は進化を迫られている。
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動く世界。進む技術。中央銀行と庶民の生活を両軸に少し広い視野で物価の底流を考えてみた。=敬称略
[日経新聞6月8日朝刊P.1]
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(中) 新興国の食卓 インフレ再燃、その先に
6月12日の開幕を目前に控えたサッカー・ワールドカップ(W杯)ブラジル大会。開幕戦の舞台となる真新しい競技場「アレナ・ジ・サンパウロ」から車で20分ほどの住宅街でジョアキン・アンドラジ・ネット(52)は沈んだ顔だった。
「インフレがすごくて。最近は肉を買う量を減らしている」。ブラジルの4月の消費者物価指数は前年比6.3%上がり、中銀目標の中心値4.5%を大幅に上回る。せっかくのW杯だが「関心ない」。4人の子どもがいるブラジル国民とは思えないつぶやきだった。本音かどうか。
食卓は貧しく
米連邦準備理事会(FRB)が量的緩和(QE)縮小を示唆し世界の金融市場が動揺してから1年。余剰マネーの先進国回帰には歯止めがかかり、新興国通貨の下げも一服した。だが、通貨安に伴う輸入価格上昇をきっかけに新興国経済の奥底に潜んでいたインフレが再燃。嵐が過ぎた後のブラジル庶民の食卓は少し貧しくなり、W杯反対のデモが相次ぐ伏線となった。
嘆きは海を渡る。インドネシアの首都、ジャカルタ。「肉無いの?」。運送会社に勤めるムスダリファ(34)は食事時にこうこぼしたが、妻は「高いからしょうがないでしょ。卵で我慢して」。食卓に欠かせない鶏肉の値段は1年で50%上がった。
通貨安インフレを抑え込もうとインドネシア中銀は昨年、5回にわたり利上げを実施。同国の物価上昇ペースはやや鈍ったが、景気も冷え込んだ。今年1〜3月期の実質経済成長率は前年同期比5.21%と約4年ぶりの低水準。「食費が足りないから」。ムスダリファは月に一度の楽しみだった映画館詣でをやめ、海賊版のDVDを自宅で見る。
米国の金融政策に翻弄される新興国の食卓。「FRBは身勝手すぎる」。インド中央銀行総裁のラグラム・ラジャン(51)はこう漏らした。だが、国際金融の世界的権威であるラジャンは、中央銀行同士の責任の押し付け合いがしょせん水掛け論にすぎないことも知っている。
世界の外国為替市場での一日の取引額は2013年に5.3兆ドル(約540兆円)。アジア通貨危機直後だった15年前の3.5倍になった。
長期投資に的
加速するグローバル化。「世界を駆け巡るマネーが増えるにつれ、各国の為替や物価は海外事情に左右されるようになり、金融政策の独立性も侵食されていく」(東大特任教授の河合正弘)。そのマネーとあえて向き合うことで新興国の潜在力が開花し、庶民の生活水準が向上した面があるのも事実だ。
新興国では最近、自国経済に深く根を下ろす長期直接投資を「良いマネー」として取り込み、通貨や物価の安定につなげる動きが活発だ。
「新財務相も外資規制緩和に前向きらしい」。5月末、東京。日本生命保険常務執行役員の西啓介(53)はインドからのモディ新政権に関する現地報告に意を強くした。外資生保の出資上限を26%から49%まで引き上げる案は度々浮上しながら、議会の反発で流れてきた。地元生保への出資拡大を探ってきた西は「今度こそ」と意気込む。
転んでもただでは起きない。まだ若い新興国経済と世界の新たな物語が始まろうとしている。
(敬称略)
[日経新聞6月10日朝刊P.1]
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(下)消える価格 揺らぐ生活の羅針盤
「もう返事が来たのか」。千葉県浦安市の板倉哲郎(87)は自宅のソファで顔をほころばせた。
手にしていたスマホにはLINEの着信メッセージ。妻(82)や長女(56)、ニューヨークに住む孫(34)など3世代十数人の家族が、1歳と4歳になるひ孫の写真を瞬時に共有する。「有料の電話なんてもったいない」と長女が言い出してから半年。LINE上でのだんらんが板倉一家の楽しみになった。
「無料経済」広がる
2011年にLINEが登場して3年。利用者は日本、アジア、中南米まで5億人に迫る。LINE会員間の電話やメッセージのやり取りはタダだ。カメラ、オーディオ、カーナビ――。これまで慣れ親しんだモノがアプリというサービスに置き換わっていく。
「何かがソフトウエアになると、それは必ず無料になる」(米専門誌ワイアードのクリス・アンダーソン元編集長)。広がる無料経済圏では、モノにはそれぞれ値札がつくという常識が通用しない。
グーグルは検索やメールの無料サービスで利用者を集め、その数を武器に企業から広告料を得る。LINEも膨大なサーバーの維持費を有料ゲームや企業向けサービスなどで賄う。無料経済圏は5年前の試算で30兆円規模。オンライン広告費の伸び率をかけると今は50兆円。タイやアルゼンチンの国内総生産(GDP)を軽く上回る。
労働力の機械化を進め劇的なコスト削減を実現した英産業革命から約250年。米国の研究者がインターネットの原型を作って45年。スマホの原型が生まれてから約20年。技術革新による低価格化だけでは説明できない「ゼロ」の波は、デジタル革命で急拡大した新たな経済のかたちだ。
生活実感とズレ
無料経済圏では金銭のやり取りが複雑な企業間取引などに潜り、追跡しにくくなる。モノやサービスと値段が1対1の関係にない「二面的市場」は経済学のテーマに浮上。経済協力開発機構(OECD)のリポートは「独占企業が生まれても価格が変わらないなら企業競争のルールも見直す必要がある」とする。
3月20日、東京・霞が関の総務省。消費者物価指数(CPI)の作り方を検討する研究会では、スマホのアプリの価格変化をどう把握するか議論した。売れ筋アプリを選んで価格をみる案が有力だが、人気アプリはほとんど無料。「指数にどう反映すればよいのか」。会議では戸惑いの声が相次いだ。無料経済圏が存在感を増せば「生活水準を測る羅針盤としてCPIを見る重要性は低下する」(一橋大准教授の宇南山卓)。
日銀の異次元緩和は、CPIが安定的に2%上がるようになるまで続ける見通し。だが、そもそもなぜ中央銀行はCPIを使うのか。日銀出身の翁邦雄京都大教授ですら「国民にわかりやすい指標を使っているのが実態で、理論的には必然性がない」という。
物価安定は国民生活の健全な発展の手段。ところが、価格が消える世界では経済と物価の関係が薄れ、目的と手段がかみあわない。生活実感と消費者物価の間に生じた断層。加速するデジタル革命は、当たり前だった世界を根底から揺さぶる。
=敬称略
大隅隆、原克彦、松林薫、渡辺禎央、竹内康雄、宮本英威、高見浩輔、松尾洋平、牛込俊介、蔭山道子が担当しました。
[日経新聞6月11日朝刊P.1]
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