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「何も持たない」という状態から抜け出すための基本とは?
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2014年6月8日 Darkness - ダークネス
すべてのゲーム、すべてのスポーツは、参加者全員が、まず最初に対等の状態になることからスタートする。
カードは同じ枚数が配られるし、駒は同じ数の駒が配られる。スポーツでも対戦人数は同じ数で始められる。
カードは、一方が30枚でもう一方が5枚のような、圧倒的な不平等でのゲームはあり得ない。将棋でも、一方が飛車角1枚ずつで、一方が飛車角が5枚あるというのもあり得ない。
サッカーでも、一方が5人で一方が20人という対戦はない。ボクシングでも、フライ級とヘビー級が戦うというものはない。
ゲームやスポーツでは、競争が成り立たせるために、両者の差をなるべく平等にするという配慮があり、さらにフェアプレイも要求される。
ところが、現実の世界はそうではない。ゲームやスポーツとはまるっきり逆だ。両者の差を同じにするという配慮はゼロなのだ。しかも、フェアプレイも求められていない。
その結果どうなるのかは誰でも想像が付く。巨大な権力、巨大な資本を持った人間が永遠に勝ち続け、何も持たない人間は徹底的に負け続けて奪われていくのである。
■スタート地点を平等にするという前提条件はない
スタート地点を平等にするという前提条件は、私たちの生きている社会にはない。子供が生まれた瞬間、子供は生まれた国や時代や資産や性別や遺伝によって優劣が決まる。
親の資産が1億円のアメリカ生まれの富裕層の子供と、親が極貧の中国僻地生まれの貧困層の子供とでは、その後の運命がまったく違ったものになる可能性があるのは誰でも分かる。
しかし、この両者が同じ土俵で競争するのがグローバル社会の正体である。
こういった極端な例でなくても、たとえば日本生まれの日本育ちの中でも、生まれた瞬間に優劣が決まり、その優劣は労働市場に出る前から本人に圧倒的な優越の差を与える。
良い仕事は恵まれた人たちが独占することが多い。悪い仕事は恵まれなかった人たちに押しつけられることが多い。
馬鹿な遊び人でも富裕層の息子は一流企業の重役になる。知的な人格者でも、貧困層の息子は中小企業の事務係になる。
もちろん、重役と事務係では報酬もまたまったく違う。その差は2倍、3倍どころではない。10倍かもしれないし、100倍かもしれない。それほどの差となって格差が開いていく。
不利な状態からスタートする人たちの多くは、その差を埋めることができず、生まれてから死ぬまで、とても不遇な人生を送ることになる。
現実主義者になるというのは、世の中がそういった世界であるということを見つめて、それでもその中でできるだけのことをするという姿勢を持つ人のことだ。
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