01. 2014年6月06日 12:56:17
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中国のビジネスモデルも、そろそろ限界中所得の罠から脱出できるかは、今後の内政改革次第だろう http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/40885 Bpress>海外>Financial Times [Financial Times] 世界の労働者を分断した天安門 2014年06月06日(Fri) Financial Times (2014年6月5日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 中国民主化運動の象徴「戦車男」、天安門事件から25年 天安門事件からちょうど25年が経った(写真は1989年6月4日、中国北京の天安門広場に進入しようとし、群衆に燃やされた約20台の装甲車)〔AFPBB News〕 今から25年前、ケ小平率いる中国共産党指導部が天安門広場の抗議者たちへの攻撃を始めた時、彼らは社会主義の道をたどり、労働者階級による支配というマルクス主義の原則に従っているはずだった。 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは1848年の共産党宣言で「万国の労働者よ、団結せよ!」と宣言した。 だが、民主化要求デモを弾圧した後にケ小平が解き放った世界の労働人口の急拡大は、反対の結果を招いた。経済改革と外国直接投資を通じた中国の開放は、プロレタリアートを結束させる代わりに、分断したのだ。 中国の改革開放路線が世界にもたらした結果 労働者の分断はマルクスが思い描いた革命ではなかったが、それがケ小平の1992年の南巡講話がもたらした結果だった。ケ小平はこの時、人民に機会を提供することで共産党支配を強化しようと、深センなどの都市で改革を支持した。現在、1989年6月4日を記念する中国人がほとんどいないという事実は、党による検閲とケ小平の作戦の双方の賜物だ。 エコノミストのブランコ・ミラノヴィッチ氏が書いたように、これが「産業革命以来最も著しい人々の経済的地位の世界的再編」を促した。世界人口の上位1%の高額所得者(特に上位0.1%の富裕層)と、世界の産業労働力に新たに加わる何百万人の人々は、ケ小平の自由化とは異なる形で利益を手にした。 一方、先進国の非ブルジョワ――教育水準が低く、スキルが限られた製造業・サービス業労働者――は賃金停滞に苦しめられた。賃上げを求めて交渉する力は、世界的な労働供給量の目覚ましい伸びによって損なわれてしまった。1980年から2010年にかけて、世界の労働人口は12億人も増加している。 ケ小平はたった一人で世界を揺るがしたわけではない。1980年代終盤から1990年代初頭にかけて筆者が雇用担当記者だった頃、マーガレット・サッチャーの国有産業民営化と1984〜85年の炭鉱労働者ストの打破によって、英国の労働組合の力は既に弱められていた。民間部門の組合員数は減少しており、その後も減り続けた。 政治的、経済的な激変は、1990年代半ばのインターネットの進化と情報技術(IT)の急速な発展と重なった。それが仕事のオートメーション(自動化)と国際貿易の増加につながった。サプライチェーン(供給網)を世界中に広げることが容易になったのだ。 だが、中国の台頭がギシギシきしむ貿易と雇用に対する障壁を崩し、グローバルな労働市場と急激な工業化を生み出した。マッキンゼー・グローバル・インスティテュート(MGI)によると、農場から工場へ移ることで、全世界で約6億2000万人が貧困から救い出され、1980年には先進国の水準の3%だった中国の1人当たり国内総生産(GDP)は2010年に20%に拡大した。 経済的な観点からすると、これは中国人にとってよいことだった。格差を拡大させたものの、利益が広く分配されたからだ。だが、先進国の多くの労働者にとっては、まるで、より安い賃金でより長時間働く気がある全く新しい労働力が現れたようなものだった。彼らの交渉力はそのショックから回復することはなかった。 「一消費者としての個人にとっては、素晴らしいことだった。製品とサービスが大幅に増え、選択肢が大きく広がり、すべてが以前より安くなった」。MGIのディレクター、ジェームズ・マニカ氏はこう言う。「限られたスキルしか持たない労働者にとっては、かなり悲惨だ。彼らはかつて保護されていたが、今では自分たちより安く、もしかしたらスキルの高い人たちと競争している」 最も大きな影響を受けた欧米の低スキル労働者 最も著しい影響を受けたのが、欧州と米国だ。欧米諸国では、労働者に分配される所得の割合が、戦後から1980年代までの64%から、現在の58%に低下した。サンフランシスコ地区連銀のある調査では、最も急激な労働分配率の低下は、輸入品との競争に最もさらされている繊維メーカーなどの産業で起きたことが分かった。 生産工程の労働集約的な部分を中国などの国々に移転し、付加価値の高い部分を国内にとどめておくことで、企業はコストを引き下げ、資本利益率を高めた。世界の労働者全体にとっては、これは賃金カットを意味した。 4半世紀が経ち、このサヤ取りは和らいでいる。中国沿岸部の都市の賃金が上昇し、生産を米国内に維持することの費用効率が高まった。だが、これは製造業と第1次産業の大量雇用への回帰を保証するものではない。技術の進化は、工場が雇う労働者の数が減っていることを意味しているからだ。 経済協力開発機構(OECD)のために実施されたある調査によると、世界の労働分配率の低下の8割は、技術的な変化と資本集約的な生産へのシフトがもたらしたもので、ソフトウエアとITが「イノベーションの空前の進歩」を可能にしたという。 管理職や高いスキルが必要な仕事に就いている人は、利益を得た。米国の平均的な大卒者は1980年に高校中退者の1.7倍の賃金を得ていたが、2008年には2.7倍稼いでおり、今後もより恵まれた雇用機会を得続ける。MGIの推計では、持っているスキルが低いために、発展途上国で9500万人が2020年までに失業する可能性があるという。 歴史のレンズを通して見ると、先進国でプロレタリアートの一員であるのが一番よかった時期は恐らく、戦後から1970年代半ばの石油ショックまでだった。中国とインドの人口の大半が貧しく、農業に従事し、競争がほとんどなかった頃だ。中国がケ小平の計画を実行した時には、その時代が既に終わりつつあった。 「現在、何億人もの中国人が1989年当時よりはるかに快適な生活を送っている」。エズラ・ヴォーゲル氏はケ小平に関する伝記でこう書いている。一方、先進国の何百万人の従業員はそれほど安泰ではない。これは労働者の革命だが、労働者を結束させる革命ではないのだ。 By John Gapper
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