02. 2014年6月02日 13:14:42
: nJF6kGWndY
米国だけに注目していると判断を誤るだろうhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140529/265727/?ST=print 倉都康行の世界金融時評 米国の「株高と債券高」共存の怪 FRBの呪術を解くのはやはり中国リスクか 2014年6月2日(月) 倉都 康行 102円前後での推移が続くドル円や1万4000円台での往来が続く日経平均、そして0.6%前後に張り付いた長期金利など、日本の各市場は一定レンジの中に収まった準固定相場のような印象すら受ける。もっともそれは日本に限った話ではなく、世界中の市場で方向感の乏しい展開が続いている。 各国の株式市場では、地政学上のリスクや冴えない経済指標で下落する場面が見られても、順調な景気回復シナリオに基づく買い意欲が下値を支えし、為替市場ではユーロ売りや円買いの気配が浮かんでは消える、という局面が続いている。新興国通貨も平穏を取り戻し、債券市場でも南欧国債の嵐が過ぎ去って静寂感が戻ってきた。 どのマーケットでも業者泣かせのボラティリティ低下が顕著となっているおり、JPモルガン・チェースやシティグループなど米大手金融機関は相次いで4-6月期の市場部門の業績低迷見通しを発表している。 実体経済にとってみれば市場の安定は歓迎すべきことだが、嵐の前の静けさという言葉もある。故ミンスキー教授が指摘したように、相場が安定すると借り入れによる投資(レバレッジ投資)が増え、次なる大変動を引き起こす土壌にもなり易い。金融危機が起きる直前まで喝采を浴びていた「グレート・モデレーション(超安定期)」が復活する、と信じる人はそれほど多くないだろう。 イエレン議長のマインド・コントロールが機能か そんな変動率の低下の中で浮かび上がってきたのが、米国市場における「株高と債券高の共存」という不思議な現象である。債券高とは、市場金利低下のことに他ならない。日本の低金利と違うのは、日本国債が日銀に買い占められて身動きが取れなくなっているのに対し、米国では量的緩和が縮小しているのに長期金利が低下している、という点である。 通常、景気回復が期待されるなら「株高と債券安」、景気低迷と見れば「株安と債券高」というのが資本市場のパターンである。アナリストらの本年のメーン・シナリオが前者であったことは言うまでもないが、現在米国市場で観測されているのは、景気回復期待の中での「株高と債券高」という奇妙な組み合わせなのである。 これは、単に一時的で過渡的な現象なのか、あるいはどちらかが根本的に間違っているのか、それとも「ニュー・ノーマル」とでも言うべき新たな定常的市場構造なのだろうか。 最高水準を更新し続ける米国株の堅調さの理由としては、金融緩和継続の長期化観測や企業決算への期待感、そしてマクロ経済における堅実な成長予想などが挙げられよう。一方で債券の強さに関しては、同じく金融緩和の継続期待や地政学上のリスクなどが指摘されているが、米国経済の行方に関して債券市場は株式市場に比べてかなり慎重だ。 両市場におけるマクロ経済の見方の違いは「コップに水が半分も入っている」という株式市場の楽観と、債券市場における「コップに水が半分しかない」という悲観の差である。その相容れない感覚の隙間を埋めているのが、FRBの金融政策であることは間違いない。その意味では、「株高と債券高の共存」という不思議な現象は、イエレン議長の市場マインド・コントロールが実に上手く機能している証左だ、ということも出来るだろう。 だが、市場の安定を期待する人々には申し訳ないが、過去の経験則から言って市場変動率の異様な低下を伴うこの不気味な均衡が永続するとは考えにくい。今後の最大注目点は先に崩れるのは株か債券か、というポイントだろう。 債券市場の強気派は、株価下落は時間の問題だと見ているようだ。第1四半期の米主要企業の増益率は鈍化しており、米国の3%成長期待も後退しつつある。新興国経済の早期復活を期待するのは無理があり、世界経済には減速傾向が見えてきた。OECDは第1四半期の主要国と新興国の貿易量が前期比予想外に減少した、と発表している。ダウやS&P500は、最高値を更新しているとはいえ、その上昇ペースは極めて穏やかである。 一方で株式市場の強気派は、債券高は厳冬の影響による一時的現象に過ぎない、と見ており、春以降の米国経済回復が顕著になるにつれ長期金利は3%に向けて上昇に転じる、との信念は揺らいでいないようだ。今年は「5月は売り」の格言も不発に終わり、モメンタム株の調整は軽微であった。地政学上のリスクに攪乱される場面もたびたびあったが、その都度下値は支えられてきた。 やや分裂症状の気配すら窺える米国市場だが、FRBが双方の市場心理をコントロールしている以上、米国内からは「どちらかが間違っている」と明確に警告する材料は当面出て来ないだろう。 先月の寄稿においては、為替市場を動かす要因として、米国FRBによる利上げ思惑の大幅後退、ECBによるユーロ切り下げ策、ウクライナの東西分裂危機などを挙げた。そのいずれも可能性は消えていないが、やはり米国市場を覚醒させるほどのインパクトを持つのは、中国リスク暴発のような「より震度の強い激震」なのかもしれない。 中国2年間のセメント生産量は米国の100年分を超えた 中国リスクについては、耳にタコが出来るほど聞かされたが何も起きてはいないじゃないか、という反論もあろう。経済統計には、景気減速しながらもソフト・ランディングに向かっているような数字も出ている。だが、不動産市場には明らかに変調が起きている。筆者には、現在の中国が1994-5年あたりの日本の住専破綻直前の時期に重なって見える。 中国住宅市場が変曲点を迎えたことを鮮明に映し出した統計が、前年同期比7.8%減となった1-4月の不動産販売件数であろう。販売面積ベースでは6.9%減、金額ベースでは7.8%減となり、新規着工面積は22.1%減と大幅な鈍化となっている。中国人民銀行は、一部銀行に対し住宅ローン貸出を増やすよう要請して梃入れを計ろうとしているが、売れ残る在庫が増える中では開発業者に建設を増やすインセンティブは働かない。 不動産は輸出と並ぶ中国経済の牽引車であった。ムーディーズの試算によれば、住宅関連の投資・消費が同国GDPに占める割合は昨年23%に達した、という。ちなみに、2011-12年の2年間の中国のセメント生産量は20世紀を通じて米国が生産した量を上回ったという仰天の推計すらある。 1980年代以降の金融危機を何度も現場で見てきた身には、不動産問題と聞くと、住宅販売不振、建設不振、建設業・資源産業・不動産業破綻、地方財政破綻、理財商品破綻、銀行連鎖破綻という陰惨なスパイラルが頭をよぎる。 市場には「中国政府がハード・ランディングを回避するために政策出動する」との期待が根強いようだが、中国に景気対策は可能であっても、先進国並みの金融危機予防策や対応策が可能なのかどうかと問われれば、イエスと確信を持って答えられない。そもそも中国人民銀行は中央銀行としての実績は20年足らずしかなく、銀行管理を巡る銀行監督管理委員会との政治的な確執もたびたび報じられている。 中国金融に対する一番の不信感は、その不良債権金額の公表姿勢にある。1990年代の日本の経験からもわかる通り、銀行が抱え込んだ不良債権の実態を暴くのはそれほど容易ではない。銀行は自発的にその内容を明かすことはしないし、当局の検査においても相当の疑念を以て調査しない限り、融資の実像を掴むことは難しい。中国のように政府自身が対外的な実態公表に消極的である場合は、なおさらである。同国が公表する数字が信頼できないのは、GDPなどの経済統計だけではないのだ。 中国の公式統計によれば、2008年から2012年までの民間信用はGDP比104%から134%に伸びた一方で、銀行の不良債権比率は1%増程度に止まっている。昨年はやや上昇したと発表されているが、異様な信用拡大ペースと比べれば増えたという印象は薄い。実体経済が失速する中で企業経営が悪化しているのに、急増した融資の不良債権化が進んでいないということは実務上有り得ないのである。 英国のシンクタンク「オックスフォード・エコノミクス」は、1980年以降33カ国の信用バブルにおける不良債権の実態を検証した上で、中国の公式統計は異常に低水準であると指摘し、実際の中国の不良債権額は6-12兆元と試算し、GDP比10-20%程度にまで拡大している、との推計を発表している。 ちなみに1990年代のフィンランドや2008年のギリシャで危機が起きた際の不良債権比率は、GDP比15%程度であった、という。同社の推計は、中国が既にそのレベルにあることを示唆している。 この問題は、1990年代の日本国内では銀行不良債権は10兆円程度でGDP比2%と見られていたのに対し、海外勢は約100兆円で同20%と見ていた当時を髣髴させる。結果的に後者の見方が正しかったことは、ここであらためて言及する必要もないだろう。 銀行間では当局の目を眩ます「偽装的取引」 中国の銀行は昨年来、危うい融資を健全な銀行間取引に見せかけて当局の目を眩ます「トラスト・ベネフィシャリー・ライツ」という商品を利用している。これはA銀行が経営難のC社に支援融資を行いたい場合、B行に依頼して仲介してもらう「偽装的取引」だ。 B銀行はSPV(特別目的事業体)経由で信託受益権方式にてC社に融資し、そのリスクとリターンをA銀行に移し替えるのである。その結果、表面上はA銀行とB銀行の間のオフバランス取引のように見えるが、実体的にはA銀行によるC社への追い貸しであり、まさに当局が規制強化しようとしている融資そのものである。 さらに、キャッシュが豊富な国営企業が銀行の代わりに融資を行う一種の「迂回融資」も大きく伸びている、という。これは、1990年代の日本で不動産に対する銀行融資が抑制され、住専による融資が急増し始めた状況と酷似している。その担保となる不動産価値が下落を始めたことも、当時とそっくりだ。 また香港の債券市場では、大半の外債起債を占める中国不動産企業に対する信用不安が高まり、起債が延期されるケースが散見されている。国内での資金調達が難しくなってきたため、今後は外債発行が急増するのではないか、といった懸念も強まっている、という。多くの発行体は、既存ドル債に関し年初来の想定外の人民元下落で相当な為替損失を抱えてしまった、との憶測も浮上している。 中国は外貨準備が豊富なので支援体力が他国の比でないことは事実だが、海外の投資家まで配慮してくれるかどうかはわからない。外債発行企業は信用力が高いので心配ないとの楽観論もあるが、不動産バブルが崩壊する際にそんな神話が通用しないことは金融史が教えてくれる通りである。 中国が日本経済の失敗を研究していることは良く知られている。だが現在の金融システムを取り巻く状況からは、同国が日本とほとんど同じ道を歩もうとしているように見える。 資本市場が無視してきた中国が抱え込むマグマ さらに中国では、社会不安という危なっかしい話題も増えてきた。新疆ウイグル自治区などの民族問題だけでなく、農村、労働者そして遂には中間層までもが政府に反抗する機会が増えてきたことは、経済成長の歪みだけでなく「成長に寄生してきた中国共産党内部の腐敗への反感」という文脈でも読み取るべきなのかもしれない。 6月4日はあの忌まわしい天安門事件からちょうど25年目に当たる。未だに何人が犠牲者になったのかわからないまま、経済成長の一言で過去の弾圧を糊塗してきた中国共産党は、利権の収奪競争を通じて内部から腐敗が始まっている、と厳しい目を向ける向きもある。 習主席は薄熙来逮捕以降も腐敗撲滅への姿勢を強めているが、先般訪中したプーチン大統領と江沢民氏が会談したとの報道は、同氏が習主席の進める汚職疑惑追及に厳しい牽制球を投げたもの、と解釈されている。その内部抗争の激化は推して知るべし、であろう。 中国は金融システム不安や成長鈍化懸念だけでなく、民衆不満、環境汚染、民族問題、そして党内権力闘争という大変な問題を抱え込んでしまっているのだ。それは、一党独裁が胚胎する脆さの究極的な露呈の姿なのかもしれない。 米国をはじめとする資本市場は、25年にわたって蓄積されてきたこのマグマをほとんど無視してきた。確かに、中国リスクがすぐに顕現化することはないかもしれないが、今後も株価と債券は双方ともに安定が続くとの見方に安住するのは危険だろう。 市場には、どちらかと言えば株価の上昇が続き金利はいずれ上昇するとの見方の方が多いように見受けられる。「株高・債券高」は「株高・債券安」へ修正される、という読みである。だが中国問題を契機にFRBの呪術が解ける場面が来るとすれば、相場観の修正を強いられるのはむしろ株式市場であろう。 このコラムについて 倉都康行の世界金融時評 日本、そして世界の金融を読み解くコラム。筆者はいわゆる金融商品の先駆けであるデリバティブズの日本導入と、世界での市場作りにいどんだ最初の世代の日本人。2008年7月に出版した『投資銀行バブルの終焉 サブプライム問題のメカニズム』で、サブプライムローン問題を予言した。理屈だけでない、現場を見た筆者ならではの金融時評。
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