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2014年06月01日
5月30日付のロイター通信による、以下の報道を日本のメディアがどの程度伝えたか、筆者には分からないが、ニュースは官邸側の目くらまし拉致問題進展の話題で持ち切りなのだろう。そんなことより、ユーロ圏が、遂にマイナス金利政策に突入するかもしれないと云う問題の方が、“アベノミクスなど糞喰らえ”なほどインパクトのある現象だと、筆者などは考える。拉致被害者家族も気の毒だが、敢えて言うなら影響は限定的だが、世界経済がマイナス金利時代に向かう兆候を見せはじめた事象は、金融資本主義社会で生きている人々のすべてに、重大な影響を及ぼすだろう。
≪ ユーロ圏の銀行、大半がマイナス金利に対応する準備整う
[ロンドン 30日 ロイター] - ユーロ圏の大半の銀行は、欧州中央銀行(ECB)が6月5日の理事会でマイナス金利を導入したとしても、業務面で対応できる準備が整っていることを自国の中銀に伝えている。 ユーロ圏の銀行で短期金融市場部門を担当する幹部は、マイナス金利が導入された場合、業務にどのような影響が出るかが問題となるが、ECBが1年以上にわたってマイナス金利導入を示唆していることから、銀行のシステムを含め、対応する準備は十分整っているとの見方を示した。
オーストリア、アイルランド、ポルトガル、スロバキアの中銀はロイターに対し、国内銀行はマイナス金利に対応する準備が整っていると明らかにした。
ドイツ連銀と連邦金融監督当局によると、昨年末に国内銀行にマイナス金利に対応できるか質問した際、全行が対応可能、もしくは間もなく準備が整うと回答した。
ルクセンブルクとラトビアの中銀は、国内行にマイナス金利に備えるよう特に通知はしていないという。フィンランドの中銀は、問題にするほどではない、との姿勢だ。
エストニア、フランス、オランダ、スペインの中銀はコメントを拒否。他のユーロ圏7カ国の中銀はコメントを求めたが回答がなかった。 ≫(ロイター)
*注・予備知識【マイナス金利とは】
“金利がマイナスになること。通常は預金・貸し金の利子あるいは利息である金利(名目金利ということもある)がマイナスになることはないが、超低金利時には短期金利が極めてまれに瞬間的にマイナスになることもある。
名目金利から物価上昇分を引いた実質金利では、インフレが高進する時にはしばしば起こりうる。逆に、物価が下落(デフレ)している場合は、ゼロ金利であっても実質金利はプラスになる。
「ゼロ金利政策がとられていた日本だが、デフレのため実質金利は高い。高実質金利は企業の経済活動に多大な影響を及ぼし、ひいては日本経済回復の遅れにつながる。経済回復には実質金利を下げる対策が望まれ、それにはある程度の物価上昇が必要」というのが、インフレ・ターゲット論者の根拠の1つになっている。 ( 知恵蔵:本庄真 大和総研監査役 )”
この「マイナス金利時代」について調べていると、面白いコラムに出遭った。ここの紹介しておくが、時代は2012年、日銀総裁が白川氏の話だが、小さな旅を経て、このコラムの意味合いが一層深まった時代が巡ってきた。執筆者の倉戸康行が金融業界人であり、コラム全体に流れる基調は金融中心の世界観があるので、割引する必要はあるが、随所に薀蓄が含まれ、その薀蓄の部分を掘り下げてみると、哲学的世界のトリップが出来ることに気づいた。少々金融の話なので、通読程度では意味不明な部分もあるので、数回読み返してみると、味が出てくる(笑)。ここでは、これ以上に言及しないが、最後の知っておきたい、歴史上の人々の経歴等を末尾に添えておくので、好奇心のある方は、その人々の思想なり論理を見聞きする旅に出てみるのも一興だ。
≪ 定着するマイナス金利、銀行再編の引き金となるか
滞留するマネーを刺激する劇薬の合理性
ここ1カ月、ユーロの債務危機や米国の「財政の崖」と並んで、がぜん国際金融市場の注目を集め始めたテーマが「マイナス金利」である。金利はゼロが下限 であるというのが市場の常識であったが、実際にマイナス金利が存在し得ることが欧州で証明されたからだ。ほんの少し前まで、マイナス金利とは1970年代 にスイス中銀が為替管理の一環として用いていた歴史上の遺物でしかなかった。
そんな異様な金利が、いま脚光を浴びている。ドイツをはじめとする欧州主要国の国債市場でマイナス金利が定着しているのである。債券には通常金利が付くので、この意味は分かりにくいかもしれない。例えば「1年債の利回りがマイナス0.1%」ということは、1年後の償還金10万円を確保するために10万 100円支払う、ということだ。100円の損である。機関投資家ならば10億円投資で100万円損することになる。とても有り得ない話のように聞こえる。
だがそれが、ドイツだけでなくオランダやスイス、フランス、オーストリア、フィンランドそしてデンマークといった国々の短期国債で観察されている。これは従来の債券市場では考えられないことであり、一時的な異常現象だという人も少なくないが、なかなか修正される気配は出てこない。
■ もはや「一時的現象」「異常現象」では説明しきれない
最初に国債市場にマイナス金利が表れたのはドイツであった。同国が2012年1月初めに行った6カ月もの国債入札結果がマイナス0.0122%となったのである。流通市場ではまれにマイナス金利が生まれることがあったが、入札でのマイナス金利は初めてのことであり、市場では「ドイツがユーロを離脱してマルクに戻ることを先読みした買いではないか」といった声が聞こえた。
もっともそれはギリシヤ不安などを背景としたややパニック的な異常現象だという見方が強く、その後数カ月間は市場もそれほどマイナス金利を意識しなくなっていた。ところが6月以降、このマイナス金利が流通市場に定着し始め、はじめは6カ月や12カ月という短期債に限定されていたそんな「氷点下の金利」 が、2年債にも見受けられるようになる。そして7月にはそれがオランダなど他国の2年債市場にも波及するようになったのだ。これはもはや「一時的現象」 「異常現象」という言葉では説明しきれないのではないか。
スイス国債への投資は、一段のスイスフラン高を狙った投機的な思惑があると見ても良いだろうし、ドイツやオランダなど「ユーロ圏の勝ち組」への国債投資もユーロ崩壊リスクへのヘッジといった意味合いがあるのも事実だろう。だがより根本的に、ユーロ危機が「想定外の景気後退を引き起こす大惨事リスク」を市場が意識し始めたのだと捉えることもできる。想定外という言い訳は、いまや投資家にも許されない時代なのだ。
国際通貨基金(IMF)は先月世界経済見通しを下方修正し、ユーロ圏に関しては2012年見通しをマイナス0.3%に据え置いたものの、2013年は 0.9%から0.7%へと予想を引き下げた。だが政治の混迷を痛感する市場の読みは、もっと悲観的である。独り勝ちしていたドイツ経済までもが景気鈍化の波を受け始めた以上、ユーロ圏の景気後退はもっと厳しくなるとの見方は日々増殖中である。
さらに、いつその悪循環から抜け出せるのか出口さえ見えない。そんな悪寒が、マイナス金利の定着の背景なのかもしれない。それは単なる市場現象というよ りも、閉塞感極まった市場経済システムが、自ら発し始めた苦悩の軋みのようにも思える。そして日本国債市場でも、同じように短期債利回りがマイナス金利と なるような事態が発生する可能性は、決してゼロではあるまい。
■ エンデの『モモ』の「時間貯蓄銀行」
マイナス金利というと、筆者はドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデが 描いた『モモ』のことを思い出す。1973年に発表され、日本でも3年後に翻訳されたこの作品を、小学生や中学生の時代にお読みになった方も多いのではないか。画期的だったのは「時間貯蓄銀行」という舞台設定である。
主人公のモモは、友人たちが利子につられて時間をその銀行に預けることで逆に時間に追いまくられ、結果的に人生の意味を失うことに気付いて、その銀行家たちを消滅させる、というストーリーである。 それだけ見ると、余裕なき現代社会へのありふれた警告メッセージのように聞こえるが、エンデの命題は、実は「時間泥棒」というコンセプトを通じて貨幣の胚胎する本質的問題を指摘することであった。この本は子供向けファンタジーの形式を借りた、手厳しい「反金利運動」の物語だったのである、モモが取り戻した「時間」は、「貨幣」のアナロジーだったのだ。
時間を取り戻すよう指示するマイスター・ホラの家に向かうモモは、前向きに歩くと近づけず、後ろ向きに歩くと近づけるという体験をする。これはマイナス 金利を暗示したものだ。歩いても止まっている、というゼロ金利状態も出てくる。時間貯蓄銀行とは、利子だけで生活する人々のメタファーである。
エンデは、黙っていても増殖が可能になる貨幣の利子に対して強い疑義を唱えたのであった。その警告を『モモ』に託したのであるが、エンデがこの着想を得たのは、20世紀初頭の経済学者であるシルビオ・ゲゼルの「自由貨幣」と、同時代の思想家ルドルフ・シュタイナーの「老化貨幣」という二つのマネー論で あった、と言われる。
ゲゼルについては、あのケインズが「我々は将来の人間がマルクスの思想よりもゲゼルの思想からいっそう多くのものを学ぶだろうと考えている」と述べているように、当時から独創的な経済思想の持ち主として知られていたが、現代ではすっかり忘れられてしまった。貨幣は国家の管轄下にあることが当然視されるようになったからだ。
ゲゼルは、1862年に現在のベルギーに生まれた。おカネだけが減価しないのはおかしいというその主張は、いわばマイナス金利を経済学的に解釈して見せ たもの、とも言えよう。シュタイナーと同様に彼が提唱したマネーは、時間の経過とともに名目的に減価してしまうのである。世の中に存在する物質と同様に、 エントロピーの法則に従う貨幣と言っても良い。
■ 放っておくと消滅してしまう通貨
この「ゲゼル・マネー」は20世紀前半に実際にドイツやオーストリアの地方都市で地域通貨として導入が試みられたことがあり、日本でゲゼルは地域通貨の提唱者としても知られている。このマネーの保有者は、減価する前に使ってしまうか、価値を保持するために貼付用スタンプを買って税金を払うか、という選択に迫られるのだ。
これはいわば「放っておくと消滅してしまう通貨」である。仮に世界のマネーがすべてこうなると、経済観は一変する。一番困るのは銀行や大金持ち、そして 小金持ちの高齢者らであろうが、ゲゼルやエンデが主張したようなマネー社会が一般化することは、現時点ではちょっと想定しにくい。
だが現在のように異様なまでにリスク資産へ資本が流れない経済では、滞留するマネーを刺激することが必要であり、マイナス金利はそのための劇薬だと考えることができるかもしれない。その意味で、欧州市場に定着しつつあるマイナス金利は、金融資本に再考を迫るための重要な触媒効果を果たそうとしているのではないか。
特にいま、おカネの使い方を考えねばならないのは銀行である。それは日本だけではなく欧米など先進国の共通意識となっている。日本は世界に先駆けて日銀 当座預金残高を増額する量的緩和を開始し、「ダム論」と言われるような銀行融資増の効果を狙ったが、結局は空振りに終わった。
米国や英国でも2009年以降、中央銀行が国債やモーゲージ債を対象に買い入れる「量的緩和」を導入してきたが、デフレを食い止めるのが精一杯で、銀行融資も増えず景気も一向に上向かない。先般米連邦準備理事会(FRB)が追加の量的緩和を見送ったのも、その効果の限界を認識しつつあるからかもしれない。
もっとも、銀行融資が増えないのは資金需要が無いからでもあり、一概に銀行経営の所為とは言えない。銀行が預かる預金は100%返済が義務付けられてお り、とても無責任な評論家や経済学者が言うような「リスク・テイク」などできるはずもないからだ。不況時に威勢よく無担保融資拡大などの「リスク・テイ ク」を宣言する銀行に、預金する人はいないだろう。その結果、預金が集まり過ぎて行き場を無くして国債に流れるほかないという現代の問題が生じている。
この構造欠陥は、銀行が依然として多過ぎることの裏返しでもある。欧州ではスペインが最も銀行が多いと言われるが、淘汰が進んだように見える日本でもまだ銀行は多過ぎる。そもそも資金需要があるところに資金調達手段として現れたのが銀行であり、カネ余りの時代に銀行はそれほど必要ないのである。その歪みが、別の意味でのマイナス金利、つまり中央銀行が超過準備に課すマイナス金利に現れ始めている。
■ マイナス金利導入は銀行経営の限界を示唆
リーマンショックが発生した翌年の2009年7月に、スウェーデン中銀が政策金利の引き下げと同時に、預金ファシリティ金利のマイナス金利を導入して市場は驚いた。日本で言えば、日銀の当座預金にマイナス金利が適用されたようなものである。
銀行は、金融政策の一環として中央銀行に準備金を置くことが要求されている。現在のような超金融緩和時代には、むしろ使用使途のない資金が必要準備の水 準を超えて中銀に置かれるようになる。その超過準備を業界では花札言葉を使って「ブタ積み」と呼ぶが、スウェーデン中銀の政策は、余計な準備を積むくらいであれば手数料を徴収する、といったメッセージに読めたのである。
実際には同国の銀行超過準備ほとんど中銀オペによって吸収されており、このマイナス金利で銀行にコストが掛かるような話ではない、との情報が伝わって、この政策への注目度は急速に低下したが、先月デンマーク中銀が同じように預金ファシリティ金利をマイナスにする、と発表して再び市場がこの政策に注目するようになった。
デンマークの場合は、スウェーデンと違って銀行に実損が出ると予想されている。銀行は損失を避けるためには、どうしてもおカネを使わねばならない。だが貸出先は限定的であり、国債を買ってもほとんど利鞘がない。これは銀行業の行き詰まりである。極論すれば廃業するしかない。だが金融システムの健全化や市場経済の円滑化のためには、不要な銀行は退場してもらった方が合理的だ、との考え方も有り得る。
デンマーク中銀がそこまで意図していたかどうかは別として、マイナス金利導入は銀行経営の限界を示唆するものだと言って良い。こうした動きが経済規模の 比較的小さな地域に止まる限りはそれほど注目されないだろうが、7月に預金ファシリティ金利をゼロに引き下げた欧州中央銀行(ECB)も、次の一手として量的緩和よりもこのマイナス金利に注目している、と言われている。
■ いつかの時点で「劇薬」が使われる可能性も
これまで各国中銀首脳は「マイナス金利は現実的ではない」と斬り捨ててきた。日銀の白川総裁は2010年の国会答弁で「理論的には面白いが実務的には困 難」と述べている。FRBのバーナンキ議長は、準備預金の付利を撤廃することは短期金融市場にマイナスの影響を与えるとして、否定的な立場を表明している。ましてマイナス金利など論外、ということだろう。だが実務レベルでは、恐らくそのメリット・デメリットに関する研究が行われていると見てよい。
現時点で日本の緩和策は資産購入、英米は量的緩和、ユーロ圏は政策金利引き下げといった具体策が採られているが、いつかの時点で大して効果のない現政策から軸足を準備預金へのマイナス金利に移し替える可能性が無いとは言えない。これは劇薬ではあるが、おカネの循環を刺激すると同時に、銀行業界に再編を促す契機にもなり得る。
実質的に「預金課税」を意味するマイナス金利は、銀行の経営判断をかなり刺激するはずだ。中央銀行に預けても損するし、国債を買っても損をするのでは、 何とかして運用先を増やさねばならないが、超低空飛行の経済において全銀行がその目標を達成することは不可能に近い。結論めいたことを言えば、今後世界的に銀行業界が縮小することは避けられないだろう。国債のマイナス金利と中銀のマイナス金利が、金融システム修正の引き金を引くことになるかもしれない。
もちろんマイナス金利の下で皆がおカネの有効な使い道に知恵を絞るようになれば、実体経済が意外な方向へ動き出す可能性はある。それは危険な実験かもしれないが、金融業界にメリットが多く実体経済にデメリットを与えかねない通貨増刷の実験よりも、金融・実体経済双方への長期的なメリットが期待され、かつ迅速な政策修正が可能なマイナス金利の実験の方がわずかながらも合理性があると考えるのは、過激思想なのだろうか。 ≫(日経ビジネス:政治・経済:倉戸康行の世界金融時評)
上記コラムに登場した、歴史上の人々の◇ジョン・メイナード・ケインズ、◇ミヒャエル・エンデ、◇シルビオ・ゲゼル、◇ルドルフ・シュタイナーと云う四人の人々の思想や理論を知ることが、これから我々が向かっている行き先が何処なのか、多少のヒントを与えてくれるに相違ない。筆者も、まだ行き先が何処なのか、よく判っていない。今夜は、こんな視点から探す糸口に出もしようと云う話である。
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