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ドル基軸は消去法の選択
エスワー・プラサド コーネル大学教授
米国のドルは20世紀の大半を通じ、世界の準備通貨として圧倒的な地位を維持してきた。だが今日では、その優位性を脅かす要因が存在する。米国に端を発した世界的な金融危機を契機に、ドルの没落はそう遠くないと予想する声が高まってきた。
米国の政府債務は増え続けており、今や国内総生産(GDP)に匹敵する水準に達した。米連邦準備理事会(FRB)が非伝統的な金融緩和策を積極的に導入した結果、ドルの供給量は増大している。
さらに野党との協調がうまくいかずに政策立案が非効率に陥り、景気回復の足を引っ張っている。このため医療や社会保障支出の増大につながるような長期的な財政問題になかなか取り組めない状況だ。一方で短期的な財政緊縮により教育やインフラ関連支出は縮小しており、長期的な生産性に悪影響をおよぼしている。これらの要因は経済の弱体化、ひいてはドルの地位低下を招くと考えられる。
この論理は説得力があるが、現実には全く逆のことが起きている。準備通貨としてのドルの地位は金融危機以降、強まっているのだ。米国外の投資家は2007年以降に3.5兆ドルの米国債を買い込んだ。国際通貨基金(IMF)によれば、世界の外貨準備に占めるドルの比率は、危機があったにもかかわらず安定的に6割強を保っている。
なぜこうなったのか。また、この状態は維持できるのか。
理由の一部は金融のグローバル化で説明できる。金融の自由化が進んだ新興市場国では、資本フローの変動の影響を遮断するため、外貨準備を十分に積み上げておきたいと考えるようになった。さらにこれらの国の多くは自国通貨の上昇を抑える目的で為替介入を実施する。日本やスイスなど先進国の一部もそうだ。為替介入で積み上がった外貨は安全かつ流動性の高い資産で運用する必要が出てくる。
こうして、安全な金融資産に対する需要は高まっている。銀行などの金融機関に、金融ショックに備える緩衝材として安全資産の保有を義務づける規制改革がなされたことも、需要増大を後押しした。新自己資本規制(バーゼル3)のもと、国際業務を展開する銀行は安全資産を追加で2.5兆〜3兆ドル保有しなければならず、大半が先進国の国債になる見通しだ。
こうした需要の増大にもかかわらず安全資産の供給は減っている。危機後には安全とみなしうる民間部門の証券はほとんどない。ユーロ圏と日本の国債は高齢化や低成長が予想される点を考慮すると、磐石とは言いがたい。となれば、政府債務が膨張中とはいえ厚みのある金融市場を備えた米国が、安全資産の第一の供給源ということになる。
しかし、安全資産は本当に「安全」なのだろうか。米国にしてみれば、インフレを誘導して債務の目減りを図るのは、魅力的なアイデアである。より大きな損害を被るのは外国人投資家だからだ。
ただし、インフレ率の上昇は米経済にも痛みを与えずにはおかない。米国債の国内保有者には、年金生活者、年金ファンド、金融機関、保険会社などが含まれる。彼らは強い政治的な影響力を持っており、インフレ率が急上昇する事態となれば、現政権に自分たちの力を思い知らせることだろう。このことは外国人投資家にとって、対米投資がインフレから守られるという一種の保険になっている。
価値の保存機能の面ではドルが優位だとしても、必ずしもほかの面での優位が維持されるとは限らない。交換媒体や価値の尺度としての重要性は薄れる可能性がある。金融市場の発展と技術の進歩により、他通貨を使ったクロスボーダー(国境越え)の金融取引は容易になっており、ドルの必要性は低下している。石油のような商品取引契約をドル建てで表示し決済する理由はもはや見当たらない。
対照的に、ドル建ての金融資産、とくに米国債は、安全への逃避をめざす投資家にとって依然として好ましい投資対象である。
グローバルな金融市場で米国がこれほどの特別待遇を受けているのは、単に経済規模が大きいだけでなく、民主的な政府、公的機関、金融市場、法的枠組みなど、さまざまな制度を整えてきた歴史があるからだ。いろいろと不備はあるとしても、これらは今なお世界の標準となっている。
中国の人民元が主要準備通貨としてドルに対抗しうるかという問題は、大いに議論を呼んできた。現在の成長路線を継続できるなら、中国経済が米国に匹敵する規模になる日は近いだろう。世界のGDPと貿易における中国の存在感の拡大を背景に、人民元はすでに重要な国際通貨となり、貿易や金融取引で広く使われている。
人民元が準備通貨となるためには、中国は資本取引を完全に自由化するほか、通貨の交換制限を撤廃し、金融市場を整備する必要がある。これらの改革は徐々にではあるが進行中だ。したがって、今後10〜20年以内に人民元が準備通貨となる可能性はある。
だが人民元が、外国人投資家から信頼される安全通貨になる可能性は低い。現在の政治的・法的な枠組みを考えると、中国を安全な逃避先とみなすようになるとは考えにくい。中国の指導層は経済・金融市場の改革に力を入れると明言してきたが、幅広く政治、法律、制度改革に取り組む意志は示してこなかった。したがって、人民元は主要準備通貨としてのドルの優位を多少は侵食しても、揺るがすにはいたるまい。
ドルの優位は、必ずしも強い米国の政策を反映するものではない。むしろ、他国の政策や金融市場が信頼感に乏しく、また国際通貨制度がうまく機能していないがゆえの優位だと言える。
このことから、日本の非常に高い政府債務比率にもかかわらず、円は今後も重要な安全通貨であり続けると考えられる。日本には堅固な制度と厚みのある金融市場が備わっている。
したがってグローバル市場で混乱が生じた際には、投資家は引き続き日本を安全な逃避先とみなし、保有資産の多様化を図るために、ドル一辺倒から少なくとも部分的に円資産に切り替えるだろう。こうした安全への逃避を理由とする資本流入を考えると、日銀としては輸出促進のための円安誘導はしにくくなる。
ドル中心のシステムは脆弱で、ドルが急落すれば無秩序になり崩壊するのだろうか。実際には現状は最適とは言えないものの、安定した均衡状態にある。海外の中央銀行を含む外国人投資家の米国債保有残高は、いまや6兆ドル近くに達し、このほかに国債以外のドル資産が数兆ドルあると見込まれる。
となれば、他国にはドルを支える強い誘因が存在することになる。ドルの大幅な下落は、外国人投資家にとって自国通貨に換算した保有資産の大幅な目減りを意味し、巨額のキャピタルロス(値下がり損)につながるからだ。つまり、世界は「ドルの罠(わな)」にとらわれている。
このドルの罠を脱するには、結局は各国が抜本的な金融・制度・政治改革に取り組み、ドルの優位に対抗しうる強い自国通貨を育てるほかない。外貨準備を積み上げて自己防衛するといった手段に各国が頼らなくてすむよう、グローバルな改革を通じて信頼性の高い金融の安全網を整備し、安全資産への依存を減らすことも必要である。
結論として、ドルは今後当分の間、準備通貨として君臨するだろう。その最大の理由は、よりよい選択肢がほかにないからである。
〈ポイント〉
○米政治経済は弱さ抱えるが基軸通貨は堅持
○米債保有国は売るに売れない「ドルの罠」に
○対抗する「強い通貨」育成へ各国は改革急げ
Eswar Prasad シカゴ大博士。IMFを経て07年から現職。専門は国際金融
[日経新聞5月26日朝刊P.17]
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