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「移民受け入れで自国民賃金低下は誤り 海外移転工場の回帰も(NEWS ポストセブン)」
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法政大学准教授の小黒一正氏は、元財務省官僚で消費税増税の旗振りを行っている人物である。
小黒氏は、「移民受け入れのメリットは大きいのに国民的な合意は得られていない。理由の一つは、移民をめぐるいくつもの誤解があるからだ。最たるものが、《外国人労働者の流入により自国労働者の賃金が低下する》との説だが、アメリカの研究(Ottaviano and Peri〔2006〕)はその誤りを明らかにした」と説明している。
小黒氏は米国の研究を持ち出してその説の誤りを説明しているが、「《外国人労働者の流入により自国労働者の賃金が低下する》との説」の正誤は、様々な条件を捨象して判断することはできない。
民主主義国家では、経済論理を超越して、自国労働者の賃金が低下するような移民受け入れ政策を持続することはできない。多数派の国民は、不満をぶつける対象として移民を持ち出しても、経済的損失を受けているとは考えていない。
企業が供給活動拠点を移す動きは、その国の労働者の賃金上昇を抑制する要因であるが、民主主義的制約がなければ、利益の増大につながると判断したら、企業は自国民の賃金が低下してしまう移民政策も受け入れるだろう。
小黒氏は、移民受け入れと賃金の関係をめぐる問題について、“賃金の低下”という視点で語っているが、これまでの歴史を考慮するなら、“賃金上昇の抑制”という視点で語るべきである。
なぜなら、先進諸国の賃金は、デフレ不況に陥り賃金切り下げの動きを先行させた日本を除き、2000年代に入るまで、移民受け入れの可否に関わらず名目でも実質でも上昇を維持してきたからである。
2000年代に入って先進諸国で出現した顕著な“変質”は、ドイツまでもが実質賃金を低下させていることである。(ドイツの賃金抑制は、生産拠点の国外移動をネタに実現されてきた)
移民政策について概略的にみてみたい。
先住民を排除(疎外)して欧州的近代国家を作り上げてきた米国は、まさに移民国家であり、移民政策を採った理由も特殊であった。
一つは、近代的資本制産業に適合した労働者の絶対的不足である。
19世紀後半の米国では、英会話がある程度可能で初等教育修了レベルの近代的知識を習得している人たちの圧倒的な不足が経済成長の足枷になっていると自覚されていた。
「奴隷解放」をめぐって戦われたとされる南北戦争も、固定的な奴隷ではなく“賃金奴隷”の増大を利益とする北部側の意図が含まれていた。
英国を追い抜き世界No.1の工業国になった米国は、19世紀末から20世紀初頭にかけて膨大な移民を欧州諸国から受け入れることで経済成長を持続させることができた。
小黒氏も説明しているように、移民による労働力と人口の増加が、米国の工業産出高を高め輸出を増大させるとともに国内需要を拡大させたのである。
もう一つは、鉄道建設や鉱山労働など肉体的に過酷でありながら低賃金という“忌避職種”で不足した労働力の充当である。
米国では、「奴隷解放」後も、囚人が鉱山労働などで“黒人奴隷”を超える過酷な労働を強制されるという現実があった。
西部の開拓では、移民というより“国際出稼ぎ者”と呼んだほうがいい中国系労働者が過酷な労働に従事した。
これらのケースは、産業全体に影響を与える資源採掘や輸送費のコスト上昇を抑制するという思惑による移民政策である。
ここで忘れてはならないのは、産業勃興期の米国が移民政策で成功した裏側に、欧州や日本を含むアジアの国々が抱える“過剰人口”があったことである。生まれ育った地でそれなりの生活条件が手に入るなら、大量の移民は発生しない。
第二次世界大戦後の欧州における移民政策としては西ドイツのそれが有名だが、西ドイツの移民政策は、産業国家として勃興した19世紀末の米国に似た要因があった。
西ドイツは、東西分断と東西対立構造のなかで産業競争力の復活を遂げたため、絶対的な労働力不足に見舞われた。この問題を解消するため、トルコと協定を結び、大量の労働者を移民として受け入れたのである。
(高度成長期の日本も、朝鮮半島などを失ったことで似たような状況に陥ったが、移民に頼るのではなく、生産性の高度化(設備投資の拡充)で乗り切る賢明な選択を行った)
70年代初頭までの戦後経済成長期が終焉し、低成長が常態化した以降の欧州諸国の移民受け入れは、10%前後の失業率も珍しくない労働市場状況でわかるように、労働力の絶対的不足に起因しているわけではない。
高い失業率でもだらだらと移民を受け入れ続けている目的は、清掃業や介護職さらには家政婦や飲食サービス業などといった失業中の自国民でもその賃金水準では忌避しがちな職種の労働に従事してもらうためである。
社会的に必要な仕事なのに従事しようという人が少ないというのなら、賃金を上げることで労働需給のバランスが回復するのが“自然”である。
しかし、それらの職種は、その労働自身が付加価値を生み出すというより、税金や保険料などを通じて、ほかの産業で生み出された高い付加価値が再分配されることで支えられているものである。(外食産業もそのような位置づけでみることができる。中級クラス以下の飲食店のメニュー価格が上がると、代替がきく外食そのものが控えられるようになる)
自国民がそれらの職種に従事してもいいと思うほど賃金水準をアップさせようとしたら、税金や保険料の負担を著しく増加させなければならない。そして、賃金の引き上げはそれだけで済まず、自国民の中高学歴者が従事するものとされているよりましな職種の賃金上昇につながっていく。
失業者にはそれなりの福祉コストがかかるが、好まれない職種の賃金を自国民が就業してもいいと思うレベルまで引き上げるより、移民に頼ったほうが得という判断をしているのである。
ざっくばらんに言えば、当世の移民政策は、低賃金のうえに3K的労働環境ということで嫌われている仕事を貧しい国からの移民に頼ろうとするものである。
一日数ドルという生活費で暮らし先行きにも展望がない人であれば、たとえ過酷な労働であっても“恵まれた生活”を手に入れられる絶好の機会と思えるはずである。数か月ないし数年のあいだ労働に従事すれば、社会福祉の受給権利を得ることもできる。
政府が表だって移民受け入れを政策課題とするようになった日本は、大きな岐路に立っていると言える。
オリンピックをネタに建設関連の人手不足も叫ばれているが、超長寿命社会になった日本で介護職の人員がこれまで以上に必要になることは間違いない。しかし、現状のような労働条件では、きちんと丁寧に勤務してくれる人を長期的安定的に確保することは難しい。だからといって、必要な数だけ従事者を確保できるレベルまで労働条件を良くしようと思ったら、介護保険料や受益者負担額さらには税負担を著しく増加させなければならない。このようなジレンマを解決する一つの方策が、移民受け入れ政策なのである。
(自国民のなかから過酷な労働に従事する人をそれなりの規模で集めようと思うなら、短労働時間と高賃金を提供しなければならない。それが無理なら、機械化などで過酷な労働から解放しなければならない)
社会的軋轢や移民向け福祉コストといった社会的政治的問題をとりあえずおくと、短期的には過酷な労働現場の人手不足を移民政策でしのぐことができるとは思うが、中長期的には、外国人に頼って安上がりで済まそうという“虫のいい”政策は行き詰る。
欧米先進諸国が移民政策をそれなりに活用できたのは、南北格差と言われるグローバルレベルでの経済格差が存在したからである。
日本も、公式には単純労働者の移民を受け入れていないが、日系人や研修目的での労働者を受け入れているだけでなく、非合法で就労する外国人も数多くいると言われている(外国人就労者の数は全体で100万人ほどと見られている)。それでも、長引くデフレ不況のなかで日本を見限る人も多いという。
いやな見方だが、移民受け入れ問題は、食料調達問題に通じるものがある。
先行して経済成長を遂げた国は、世界各地から様々な食料を輸入して豊かな食生活を楽しむことができる。その一方で、植民地的支配を受けた国や経済的に隷属する国は、低価格で食料を供給する地位を強いられる。
思想や価値観を排除して経済論理としてのみ考えれば、それも現実ということになるが、いつまでもそのような関係性が続くわけではない。
後進国も経済的成長を追求するが、世界支配層も、より多くの利益を獲得しようと思ったら(現状の利益を維持するレベルであっても)、後進国の経済成長を促進せざるを得ない。
世界は、いい意味でも悪い意味でも間違いなく“平準化=フラット化”する。それは、圧倒的な経済格差を条件として成り立ってきた移民政策が通用しにくくなることを意味する。
日本は、賃金を抑制できる移民受け入れに頼るのではなく、高付加価値生産の産業力を基礎として、過酷な労働に従事する自国民を厚遇する政策に転換することで活路を見出すべきなのである。
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