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製造業で雇用が失われても問題ない? −年収は「住むところ」で決まる[特別連載1]
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140519-00012592-president-bus_all
プレジデント 5月19日(月)11時15分配信
あなたの年収は、学歴よりも住所で決まっている、と言われたらにわかに信じられるでしょうか? 先進国と途上国の給与格差の話ではありません。同じ国内です。アメリカでは、雇用の集中する都市と雇用が流出する都市の給与水準の格差が拡大し、ついに学歴の差を上回るインパクトを個人の給与水準に与えるに至りました。成長する都市の高卒者と衰退する都市の大卒者の年収が逆転しているのです。
カリフォルニア大学バークレー校の気鋭の経済学者、エンリコ・モレッティの新著『年収は「住むところ」で決まる』では、この現象を「イノベーション産業の乗数効果」で説明しています。イノベーション系の仕事(たとえばエンジニア)1件に対し、地元のサービス業(たとえばヨガのインストラクター)の雇用が5件増えることがわかっています。この乗数効果は製造業2倍以上。この差が都市格差を拡大させ続けています。ものづくりにこだわる日本の針路についても考えさせられます。
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※本連載では、プレジデント社の新刊『年収は「住むところ」で決まる』から「日本語のための序章」を抜粋して<全4回>でお届けします。
■拡大する一国内での地域経格差
中国とインドでは毎年、何百万人もの農民たちが故郷の村を離れ、無秩序に広がる都市に移り住み、増え続ける工場のいずれかで職に就いている。日本やアメリカなどの先進国で暮らす人たちは、そうした巨大な工場が生み出す膨大な数の雇用、工場からひっきりなしに吐き出される工業製品の数々、そして、これらの国の目を見張るような生活水準の向上を、驚きと恐れの入り混じった思いで見ている。先進国の住人がおそらく忘れているのは、それがそう遠くない昔の自分たちの姿にほかならないということだ。彼らも数十年前、低所得社会から中流社会への移行を成し遂げた。その際に原動力になった要素も、いまの中国やインドと同じだった。それは製造業の旺盛な雇用である。
第2次世界大戦が終わったころ、日本とアメリカの家庭は、今日に比べるとまだ貧しかった。乳幼児の死亡率は高く、給料も安く、消費に回せる金も少なかった。冷蔵庫や洗濯機などの家電製品は珍しく、新しい靴を買うのは、ほとんどの人にとって人生の一大イベントだった。テレビをもっている家庭もほんの一握りにすぎなかった。
しかしその後の30年ほどの間に、日本とアメリカの社会は、人類の歴史上有数の急激な変化を経験する。所得は急上昇し、社会のあらゆる階層で消費が飛躍的に拡大した。国内のあらゆる地域の人々がそれまでにない豊かさを実感し、将来に対して楽観的な気持ちをいだくようになった。1975年までに、日本とアメリカの乳幼児死亡率は半分に下がり、生活水準は2倍に上昇。冷蔵庫や洗濯機の価格も安くなり、誰でも買えるようになった。新しい靴を買うのは人生のありふれた1コマとなり、大半の家庭がテレビを保有するようになった。日本とアメリカの社会は、わずか1世代の間に中流社会に変貌したのである。
この時期の中流層の所得増と切っても切れない関係にあったのが、自動車、化学、電動工具といった製造業における生産性の向上だった。当時、多くの人は、工場で安定した高賃金の職に就くことをめざした。そうすれば、文化的にも経済的にも中流層の生活を満喫できた。マイホームを買い、週末は家族と過ごし、夏休みは旅行に出かけられた。工場でよい職に就ければ、豊かさと明るい未来が約束された時代だった。
1980年代に入ると、それが変わりはじめ、1990年代以降は、変化がますます加速している。日本でもアメリカでも、この20年ほど、グローバル化と技術の進歩により、製造業の雇用が減少してきた。製造業が下り坂になると、中流層の給料も伸び悩んだり、頭打ちになったりするようになった。自国が衰退期に突入したのではないかと、不安になるのも無理はない。しかし、経済の状況はそんなに単純ではない。昨今の経済論議では見落とされがちだが、一国の経済のある部分が経済的に苦しんでいるなかで、別の部分が繁栄を謳歌しているケースがある。とくに際立っているのは、一国内での地理的な格差が拡大してきていることだ。
■30年で人口が300倍になった都市
世界経済の地図は、近年急速な変化を遂げてきた。きわめて大きな変化が空前のペースで進行しているのだ。新しい経済的エネルギーの集積地がその地図の上に出現する一方で、古い経済的中心地が退場しつつある。発展している都市もあるが、逆に衰退の道を歩んでいる都市もある。一昔前まで世界経済の地図上でケシ粒のような存在だった町が巨大都市に変貌し、何千もの新しい企業と何百万もの雇用を生み出しているケースもある。新しい経済の都が登場し、古い都に取って代わろうとしているのである。
世界経済の勢力図がどのように変化してきたかは、中国の沿岸部の都市、深センを見ればよくわかる。もし、あなたがこの町の名前を聞いたことがないとしても、今後はたびたび耳にするようになるだろう。深センは世界経済の新しい都の一つであり、いま世界で最も急速に成長している都市の一つでもある。わずか30年ほどの短い期間に、この町は小さな漁村から、1000万人を超す人口を擁する巨大都市に様変わりした。アメリカにも、ネバダ州のラスベガスやアリゾナ州のフェニックスなど、30年で人口が倍増した都市があるが、深センは同じ期間に人口を300倍に増やし、世界の製造業の都にのし上がった。
深センの台頭に注目すべきなのは、それが日米の製造業の衰退とほぼ表裏一体の関係にあるからだ。30年前、深センという町を知る人は、中国の広東省の外に出ればほとんどいなかった。この町の運命が――そして、日本とアメリカの製造業で働く何百万人もの人たちの運命が――決まったのは、1979年のことだ。この年、中国指導部が経済特区の一つとして深センを選んだのである。新設された経済特区には、たちまち外国から大量の投資が流れ込むようになり、何千もの新しい工場がつくられた。日本とアメリカの製造業雇用の多くは、そうした工場に流出していった。
アメリカの工業都市であるデトロイト(ミシガン州)やクリーブランド(オハイオ州)が衰退するのを尻目に、深センは大きく成長した。いま好景気に沸いている都市を見たければ、深センを訪ねればいい。あらゆる業種の大規模な生産施設が町を埋め尽くしている。毎週のように新しい超高層ビルが出現し、新しいオフィスや住宅が生まれている。高給の働き口を求めて農村から多くの人がひっきりなしに流れ込み、働き手の数も増え続けている。中国の人々の間では、「高層ビルが1日に1棟、大通りが3日に1本」のペースで生まれていると言われるくらいだ。この町の混み合った道を歩けば、旺盛なエネルギーと楽観的な雰囲気を肌で感じ取れるだろう。
深センは、中国屈指の経済活動の中心地であり、この20年は中国最大の輸出拠点でもある。いまや深センの港は、世界的に見ても異例の活況を呈している。広大な港湾施設に背の高いクレーンが林立し、貨物列車や大型トラック、色とりどりのコンテナがひしめき、24時間休むことなくコンテナが巨大な貨物船に積み込まれてアメリカ西海岸などへ運ばれていく。港を出ていくコンテナは、年間にざっと2500万個。1秒に1個近いペースだ。出航して2週間足らずでアメリカ西海岸の港に到着した工業製品は、またトラックに載せられて、ウォルマートの物流センターやIKEAの倉庫型店舗、アップルストアなどに運ばれる。
深センは、アップルのスマートフォン「iPhone」やタブレット型端末「iPad」が組み立てられている場所でもある。iPhoneは、経済のグローバル化の申し子と言っていいだろう。この製品が生産されるプロセスに着目すれば、グローバル化が雇用の分布をどのように変えつつあるかが見えてくる。日本とアメリカの労働者が直面している困難の本質も浮き彫りになる。
昔、IBMやヒューレット・パッカード(HP)といったアメリカの大手コンピュータ企業は、製品を自社でつくっていて、工場は従業員の住んでいるアメリカ国内にあった。しかし今日、アップルの従業員がiPhoneを1台1台製造することはない。製造はアジアの何百社もの業者にアウトソーシングされているのだ。そのサプライチェーンは、経済的に見ればきわめて理にかなっており、まさに芸術の域にまで磨き上げられている。アップルは、おしゃれな製品のデザインと同じくらい、サプライチェーンのデザインにも力を入れている。
iPhoneは、カリフォルニア州クパティーノのアップル本社にいるエンジニアたちが考案し設計した。生産プロセスの中でいまも全面的にアメリカ国内でおこなわれているのは、こうした製品デザイン、ソフトウェア開発、プロダクトマネジメント、マーケティングといった高付加価値の業務だけだ。この段階では、人件費を抑えることはさほど重要でない。創造性、創意工夫の才、アイデアの創出のほうが重んじられる。
一方、iPhoneに用いられている電子部品の製造は、主にシンガポールと台湾でおこなわれている。これらの部品は最先端のものではあるが、その製造過程は、iPhoneのデザイン過程ほどは知識集約的でない。生産プロセスの最後には、最も労働集約的な段階がひかえている。部品の組み立て、在庫の保管、製品の箱詰めと発送などである。この段階で最も重んじられるのは、人件費の安さだ。これらの業務は深セン近郊でおこなわれており、アップルの下請けである台湾のフォックスコン(富士康)という企業がそれを取り仕切っている。
世界有数の規模を誇る工場で働く労働者は40万人。敷地内に、寮や商店、映画館まであり、工場というより、さながら一つの町だ。労働者は、たいてい12時間連続で勤務し、日々のほとんどの時間を工場の敷地内で過ごす。もしあなたがアメリカに住んでいて、オンライン通販でiPhoneを購入すれば、商品は深センから直接アメリカに配送される。あなたの手に届くまでに、最終製品に物理的に手を触れるアメリカの労働者はただ1人――宅配業者のドライバーだけだ。
■製造業で雇用が失われても問題ない
iPhoneの物語は、一見アメリカや日本などの先進国の住人にとって気がかりなものに思えるだろう。iPhoneはアメリカの象徴のような商品で、世界中の人々を魅了している。それなのに、アメリカの労働者が主要な役割を担っているのは、イノベーションの段階だけだ。高機能の電子部品の製造も含めて、生産プロセスのそれ以外の段階は、シンガポールと台湾にあらかた流出してしまった。不安になるのは無理もない。今後、雇用はどうなるのか? アメリカだけでなく、日本や韓国にはじまり、イギリスやドイツにいたるまで、所得の高い国の国民は同じ不安を感じている。
アメリカの状況は、そうしたほかの国々にも参考になるだろう。過去半世紀、アメリカ経済は、物理的な製品をつくることを中心とする産業構造から、イノベーションと知識を生み出すことを中心とする産業構造へ転換してきた。アメリカは製造業の雇用のほとんどを失ったが、これまでのところ、イノベーション産業の雇用はしっかり維持されている。大半の新興国は、最近まで高度な技能を要求されない労働集約的な製造業に力を注ぎ、主として価格の安さを武器に競争してきた。
いずれは、そうした国々も「デザインド・イン・カリフォルニア(=カリフォルニアでデザインされた)」製品を量産するだけの役割では満足できなくなるかもしれない。そのとき、多くの新興国はイノベーションに本腰を入れはじめるだろう。現にインドのバンガロールには、いわばインド版シリコンバレーが栄えており、IT産業が発展してきている。中国もすでに、ヨーロッパのすべての国より多くの特許を新たに生み出すようになっており、テクノロジー産業が年々成長している。
それでも、アメリカや日本のような国はイノベーション産業に非常に強い比較優位をもっており、何十年も先まで先頭を走り続けられるだろう。なぜそう言えるのか? 昨今のグローバル経済をめぐる議論ではしばしば見落とされているが、アメリカや日本の経済がある特徴をもっているからだ。本書では、その特徴を明らかにし、それが雇用にとってどうして重要な意味をもつのかを論じていきたい。
ここではさしあたり、このような楽観的な見方が単なる机上の空論ではないことを指摘しておこう。アメリカのイノベーション関連の雇用が減っていないことは、データにもあらわれている。むしろ、この分野の雇用は爆発的に増えている。メディアでは、新興国へのアウトソーシングばかりが話題になるが、アメリカのイノベーション産業の優位は強まりこそすれ、弱まってなどいない。イノベーション産業は、雇用と経済的繁栄の原動力の一つになりつつある。本書で見ていくように、その恩恵を受けるのは、教育水準が高くテクノロジーに精通した人だけではない。イノベーション産業の成長は、そうした産業で働いていない人も含めて、すべての働き手にきわめて大きな恩恵をもたらす。その点では、教育レベルの低い人たちも例外ではない。
ただし、よいニュースばかりではない。このような経済の変容は、同じ地域内に勝者と敗者を生み出し、地域間や都市間では、雇用と人口と富の移動を空前の規模で引き起こしはじめている。新しいイノベーションハブ(イノベーションの拠点)が成長し、旧来の製造業の都市が衰退しつつあるのだ。しかも、勝者と敗者の格差はこれまでにない速さで拡大している。それは偶然の結果ではなく、イノベーション産業の台頭を突き動かしたのと同じ経済的要因がもたらす必然の結果だ。アメリカの成長エンジンが成功を収めることにより、地域間の経済格差が拡大している――そんなジレンマが生じているのである。そして以下で論じるように、誰がその勝者と敗者かは、一般のイメージとはだいぶ違う。
エンリコ・モレッティ
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